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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十三部:極北の紅い影

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第7章:鋼の交差、あるいは強き者への追従

1. 暴威と老境の火花


「おじいちゃん。ごちゃごちゃうるさい」


ガーブは、事もなげに耳の穴をほじくりながら、クリシュ・アランの長老テツザンに向かって言い放った。部屋にいたハイランダーたちの顔が、一瞬で怒りに染まる。


「な、何だと……?」


「理屈はいいから、これで決着つけようよ」


指先にふっと息を吹きかけ、彼女は愛用の大刀の柄を軽く叩いた。


「俺は、あんたの言う『強き者』だよ? 違う?」


テツザンは目を細め、静かに立ち上がるガーブを値踏みするように見つめた。


「ほう……。奥伝おくでんクラスの域には達しておるようだが。娘、悪いことは言わん。お前では儂には勝てぬぞ」


「……試す?」


ガーブの唇が、凶悪なほどに歪んだ。


その瞬間、二人の間の空気が目に見えて歪んだ。衝突する闘気が物理的な圧力となって、周囲の調度品を微かに震わせる。俺とハンス、オットーさんは無言で壁際まで下がり、戦域を確保した。


テツザンが壁に掛けられていた無骨な刀を手に取る。その瞬間、老人の体がひと回り大きく膨れ上がったかのような錯覚に陥った。抜刀。銀色の刃が空気を切り裂く。ガーブは先手を打たず、ただ静かに大刀を構え、その一挙手一投足を観察していた。あの戦闘狂のガーブが待機に回るとは、珍しいこともある。


「来い、小娘。……“武威を示せ”」


合図と同時に、ガーブが爆発的な踏み込みを見せた!


両手で大刀を頭上高く振り上げ、一気呵成に上段から叩きつける! 凄まじい風圧を伴う一撃。


だが、テツザンはわずかに半身をひねるだけでその剣筋を見切り、紙一重で回避。流れるような動作で片手下段からの切り上げを放つ。


「ふんッ!」


「……っ!」


ガーブは咄嗟にのけぞって躱したが、鋭い刃が彼女の髪をひと房、鮮やかに断ち切った。数歩下がり、距離を置くガーブ。


「今のは力が乗った良い斬撃だ。だが、それだけよ」


テツザンが刀を両手で正しく握り直す。先ほどまでの「しがない老人」の姿はどこにもない。そこにあるのは、数多の魔獣を屠ってきた殺戮の化身だ。


老戦士が音もなく間合いに侵入し、ガーブを急襲する。ガーブは必死に下がりながら回避を試みるが、テツザンの斬撃は矢継ぎ早に繰り出され、退路を断つ。


「ギィン! ギィン! ガインッ!」


激しく交差する鋼。飛び散る火花が薄暗い室内を明滅させる。


「ガァンッ!」


ガーブが大刀の腹でテツザンの刃を真っ向から受け止め、強引に鍔迫り合いへと持ち込んだ。


「ほう。儂の重圧を受け止めるか、なかなかの剛力。……だが!」


テツザンの筋肉が隆起し、ガーブの大刀をじりじりと押し込み始めた。純粋な筋力においても、老人がガーブを凌駕し始めている。


「ぐっ……!」


押し込まれる寸前、ガーブは素早く腰を落として刀を流し、横へと跳躍。一回転して立て直した瞬間、目の前には既にテツザンの切っ先が迫っていた。


首を傾け、死地を脱する。だが、その頬が鋭く裂けた。


一筋の鮮血が流れ落ち、床を叩く。テツザンの追撃は止まらない。


「ガシンッ!」


重い衝撃が走り、ガーブの体が木の葉のように吹っ飛んだ。彼女の背中が壁に激突し、凄まじい衝撃音が部屋に響き渡る。


「……ここまでか。小娘にしてはよく食らいついたが、『剛』の技を振るうにはまだ器が足りん」


テツザンが静かに刀を下ろした。


俺は壁際で冷や汗を流しながら、老人の動きを分析していた。


(強い……。隙が全くない。あれが本物の『剛』か)


俺やハンスでは、最初の一撃をまともに受けた瞬間に武器ごと圧し折られていただろう。ガーブには分が悪い。力と力のぶつかり合いでは、より硬く、重い方が勝つ。


だが。


壁に背を預けたままのガーブを見ると、その目は――笑っていた。


「ん……いい感じ。体が温まってきた」


肩をぐりぐりと回し、二、三度屈伸をするガーブ。その瞳は、獲物を前にした獣のごとく爛々と輝いている。


「さ、おじいちゃん。……始めよう?」


「始める、だと……?」


困惑するテツザンに向け、ガーブが再び弾丸のごとく突っ込んだ。


________________________________________


2. 体力お化けの真骨頂


「ガァァァッ!」


横薙ぎの一閃。テツザンがバックステップで躱す。ガーブは空振りの勢いを利用して一回転、さらに一歩踏み込んで斜め上段からの必殺の一撃を放った。


「ガインッ!」


大刀と刀が激突し、耳を劈く金属音が炸裂する。


ここから、ガーブの猛攻が始まった。一合、二合、十、二十……。


「があっ!」「ふっ!」「ふんッ!」


鋭い気合と共に、ガーブが狂ったように大刀を振り回し続ける。重厚な大刀を、まるで木の枝か何かのように軽々と、かつ精密に操る。


テツザンは一転して守勢に回らざるを得ない。受け流しながらも、その圧倒的な圧力にじりじりと後退を余儀なくされる。


刹那、ガーブの姿勢が不自然に沈んだ。


(ここだ!)


テツザンが好機と見て、上段から一気に斬り下ろそうと刀を振り上げた、その瞬間。


ガーブの鋭い蹴りが、テツザンの鳩尾を正確に貫いた。


「どっ!」


「ぐぬぅっ……!」


凄まじい衝撃を受けたテツザンが吹っ飛び、壁を突き破らんばかりの勢いで激突。そのまま力なく床に崩れ落ちた。腹を押さえ、激しく咳き込む。だが、その手はまだ愛刀を離してはいない。


「げほっ! ごほっ……!」


ガーブは追撃の手を緩め、一定の距離を保って老人を凝視している。


……息が、上がっていない。


頬を流れる汗が傷口の血と混ざり、顎へと滴る。彼女はそれを舌でぺろりと舐めとった。その眼光は、さらに鋭さを増している。


(……出たよ、体力お化け。テツザンさん、ご愁傷様です)


俺は内心で首を振った。ガーブの真の恐ろしさは、底なしのスタミナと、戦いの中で最適化されていく戦闘本能にある。


「……終わり? おじいちゃん」


ガーブが、どこか残念そうに声をかける。


テツザンは刀を杖代わりにし、震える足で立ち上がった。


「はぁ、はぁ……まだまだ! ……ふふ、血が滾るわい!」


「があぁっ!」


再び交差する二人。剣戟の音は止まない。


斬る、薙ぐ、突く。躱し、受け、流す。


互いの体に切り傷が増え、血飛沫が舞い、汗が床を濡らす。


ガーブが吹っ飛ばされ、床を二、三回転転がるが、即座に跳ね起きて斬りかかる。


テツザンが投げ飛ばされるが、受け身を取って一瞬で構え直す。


三十合、五十合――。


いつの間にか、サク・マク・ドウンら他の戦士たちも部屋に集まっていた。彼らは、伝説の長老が、名もなき傭兵の小娘と対等以上に渡り合う光景を、信じられないものを見るような目で見つめていた。


そして、その時は唐突に訪れた。


ガーブが放ったのは、テツザンの肉体ではなく、彼の「刀」そのものを狙った一撃だった。


「ぴきんッ! ……どっ!」


澄んだ破壊音が響く。テツザンの愛刀が、その半ばから無惨に切り折られ、宙を舞った。


茫然と、手元に残った折れた刀身を見つめるテツザン。


「終わり、だね」


ガーブが静かに告げた。


テツザンはゆっくりと顔を上げ、少女を見つめた。


「……ああ。終わりだ」


力なく手が離れ、折れた刀が床にがしゃりと虚しい音を立てて落ちた。


「小娘……いや、ガーブ殿。あなたの“勝ちだ”」


「いえーい! シン、勝ったよ!」


ガーブが両手を上げて飛び跳ねる。さっきまでの殺戮鬼はどこへやら、いつもの能天気な少女に戻っていた。


「楽しかったよ、おじいちゃん! またやろうね!」


テツザンは苦笑いを浮かべ、がたりと腰を落とした。


「おじいちゃん、か。……そうだな。また、いつかな」


その表情には、敗北の悔しさと共に、清々しい充足感が漂っていた。


________________________________________


3. 三人の長とダン・ネスへの道


「マク・ネル様!」


サク・マク・ドウンたちが慌てて駆け寄り、長老の傷の手当を始める。


俺も満身創痍のガーブに歩み寄り、その肩を掴んだ。


「ガーブ、落ち着け。傷を見せろ、ひどいじゃないか」


「ん、平気。その前に」


ガーブがテツザンを見やる。俺も姿勢を正して老人に問いかけた。


「……カハル・“テツザン”・マク・ネル殿。俺たちの『勝ち』ということで、よろしいでしょうか」


テツザンは痛む体に鞭打ち、背筋を伸ばして俺たちを直視した。


「……強き者がすべて。クリシュ・アランは、強き者に従う。我らは、お主らの意に従おう」


そう言って、長老は深く頭を下げた。後ろに控える戦士たちも、それに倣う。


「シン、やったね!」


ガーブが満面の笑みで俺の背中を叩いた。痛い。


それから数時間。負傷した二人の手当を行い、荒れ果てた部屋の片付けを終えて、一行はようやく一息ついた。


翌朝、供された朝食の席。


包帯だらけのガーブは「回復、回復ぅ〜」と上機嫌で鼻歌を歌いながら、通常の三人前を平らげていた。


(……これで、ようやく話が前に進むはずだ)


俺は温かい茶を啜りながら、これからの算段を巡らせる。


カハル・テツザンを落とした。だが、ハイランダーを束ねる長老はあと二人いる。


「剛」と「断」:カハル・“テツザン”・マク・ネル

「速」と「極」:フィンガーン・“ハヤテ”・ドゥーガル

「理」と「虚」:ローカン・“ムシン”・オ・ブライアン


彼ら三人の合意がなければ、ハイランダーを動かすことはできない。また昨日と同じような死闘を二回繰り返さなければならないのか?


「マク・ネル殿。改めて伺います。クリシュ・アランは我々に助力いただける、ということでよろしいのですね?」


オットーさんの問いに、テツザンは少し渋い顔をした。


「……概ね、その理解でよい」


「概ね……?」


「クリシュ・アランは三つの支族の連合体だ。儂の支族はお主らに従うが、残り二つがどう出るかは……儂にも断言できん」


テツザンは苦笑しながら、包帯の巻かれた腹をさすった。


「話し合いの場は儂が設ける。……ダン・ネスへ向かうぞ。あそこで三長老による評議を開く」


やはり、そうなるか。計算通りではあるが、一筋縄ではいかない。


「では、すぐに立ちましょう」


「待て。すまんが、儂はまだ動けん。二日……いや、一日待ってくれ」


俺は椅子にドスンと座り直した。昨夜の戦いで全力を出し切った老人に、無理を強いるわけにもいかない。


「おじいちゃん、無理しないでね」


ガーブが意外にも労いの言葉をかけると、テツザンは「……はは、かたじけない」と力なく笑った。


クリシュ・アランの本拠地「ダン・ネス」。


ここアヴィ・モアからは北に五十キロメートル。


距離は短く見えるが、そこに至る道は峻険な山々が連なり、尾根伝いに蛇行する難所だ。馬は通れず、健脚の者でも五日はかかると言われている。


その日は、なし崩し的に休養日となった。


ガーブは「寝る!」と言って部屋に引きこもったが、その寝顔はどこか苦しげで、やはり無理をしていたことが窺える。ハンスはインヴァ・ネスの街へ情報を集めに消え、俺とオットーさんはテツザンたちからスカイウェールの真の歴史や、東方から来たムッサーシの始祖についての逸話を聴き込んだ。


ゼン・ムッサーシの先祖が、この地の武術や思想にどれほど深い影響を与えたか。非常に興味深い話だった。


そして翌朝。


俺たち四人と、カハル・テツザン、サク・マク・ドウン、そして護衛の二人を加えた計七人は、決戦の地ダン・ネスを目指して歩み出した。


鉄理の規矩騎士団がグラス・ガレスに襲来するまで、あと十七日。



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