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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十三部:極北の紅い影

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第6章:鋼の矜持、あるいは狼の旗の下に

1. クリシュ・アランの残香


「儂は、カハル・“テツザン”・マク・ネルという者じゃ」


老人が名乗ったその声は、長い年月を経て磨き上げられた古層の岩盤のように重く、深い響きを持っていた。岩肌を思わせる無骨な顔立ち。かつては燃えるような赤だったであろう髪は、今や雪を戴く峰のように白濁している。だが、その双眸だけは、獲物を射抜く若き鷲のごとき鋭さで俺たちを睥睨へいげいしていた。


「そなたらは、大陸だけでは飽き足らず、この島にまでやってきて何をするつもりじゃ? 緋色の傭兵団よ」


この老いぼれ――失礼、この御仁は俺たちの素性を知っている。だが、この北の果てまで足を運んだ真の理由までは掴めていないようだ。


「話すと長くなりますが……」


「そうよの。殺風景な道場で立ち話も風情がない。場所を変えるかの。こちらへ来なさい」


テツザンはそう言い捨てると、老いを感じさせない確かな足取りですたすたと部屋を後にした。俺たち四人も顔を見合わせ、その背を追う。


屋敷の奥へと進むにつれ、空気は一層張り詰め、静謐せいひつさを増していく。案内されたのは、簡素ながらも手入れの行き届いた客間だった。


「適当なところに座りなさい」


促されるままに入室する。そこには贅を凝らした調度品など一つもなかった。唯一、部屋の主の魂を象徴するように壁に掛けられていたのは、一流の職人が織り上げたであろう重厚な“旗”だった。


交差する二振りの片刃刀。その背後に、月夜に咆哮するような狼の首が描かれている。


「面白い旗だろう? クリシュ・アラン……ローランドの軟弱な者どもが『ハイランダー』と呼ぶ、我ら一族の誇りよ」


老人は壁の旗を見上げ、懐かしむように目を細めた。


「あれは『刀』という。もともとこの西方には馴染みのない武器よの。この地がテイル・ウィドラの残香を色濃く残しておった頃……極東から流れてきた一人の男が持ち込んだものだ。それは長い年月をかけ、ブリタニアに留まらず大陸にまで広がった。ここがその発祥の地よ」


テツザンの視線が、俺の腰とガーブの背中に止まる。


「ふむ、お主も、その娘も持っておるな。お主は『速』で、娘は『剛』でその刃を操るか。善哉ぜんざい、善哉」


「……見抜かれていますね」


「儂もかつては『剛』の徒でな。ほれ、儂の愛刀はそこにある」


彼が指さした先にあったのは、一振りの巨大な刀だった。


一言で言えば、武骨。極限まで幅広に造られた刀身。クレイモアの圧倒的な質量と、東洋の「野太刀」特有の鋭い反りを融合させた、独特の曲線を持つ大業物だ。ガーブの持つ大刀に勝るとも劣らない、戦場の破壊神を思わせる凄みがあった。


「さて、道草を食うたな。お主らがハイランダーに力を借りに来たと言ったが……一体、何のために動いておる?」


________________________________________


2. 計算と領土のジレンマ


俺は居住まいを正し、テツザンの赤目を見据えた。


「俺たちは、ブリタニアの永き安寧と真の発展を望む、エンガードの女王イライザ陛下の意を汲んでここに来ました」


「ほう……?」


テツザンの方眉がピクリと跳ね上がる。


「あの若き女王は、一介の傭兵に随分と大きな期待を寄せているようだな。……して、我らクリシュ・アランの力を求めているのはイライザ女王か。スカイウェールの北に住まう我らが、仇敵たるエンガードに助力するとでも思っているのか?」


「エンガードのためだけではありません。スカイウェール……ひいてはこの島すべての民のためです」


「ふん、大きく出たものよ」


俺は地図を広げる代わりに、言葉で現状を叩きつけた。


「エンガード騎士団の一部、鉄理の規矩てつりのきくが女王の命に背いて暴走し、グラス・ガレスを狙って北進しています。その数、精鋭騎兵八百。十日も経たぬうちに、グラス・ガレスは戦火に包まれる。奴らはそこを橋頭堡きょうとうほとし、スカイウェール全土を蹂躙しようと目論んでいます」


テツザンは黙って聞いている。俺は続けた。


「グラス・ガレスの領主ムッサーシ男爵は、現在王都エディン・バーグで兵を募っています。だが、集められるのは急造の四、五百名。訓練も行き届かぬ民兵では、プロの戦争屋相手に勝ち目はありません。このままではスカイウェールは死にます」


「……それが、どうしたというのだ。ローランドの不始末は、ローランドの者同士で片付けるのが筋というもの。そもそも、エンガードの騎士が暴発したのなら、エンガード自身が始末を付ければ済む話ではないか」


「それができれば苦労はしません。……『領土問題』ですよ」


俺は苦々しく吐き捨てた。


「暴走する騎士団を追って、エンガードの正規軍がスカイウェール領内へ踏み込めば、それは明らかな領土侵犯、宣戦布告と見なされる。両国の王が承知していても、周辺諸国や反対勢力はそうは見ない。『エンガードがスカイウェールへの侵略を開始した』……そう吹聴される隙を与えるわけにはいかないんです」


テツザンは皮肉げな冷笑を浮かべた。


「何を今さら。一部の騎士の暴走を許した時点で、もはや侵略は既成事実。世に知れ渡っておるわ」


流石は一族を束ねる長だ。思慮が深い。恐らく、ヴィークら『風読みの鴉』からもたらされる情報を精査し、ローランドの混迷を冷徹に観察していたのだろう。


「だからこそ、第三者の介入が必要なんです。女王の本意に従わぬ賊を討つための、圧倒的な武力が」


「女王の『本意』、か。都合の良い言い訳よな」


鼻で笑うテツザン。


「話にならん。儂らをそんな子供の使いに駆り出せると思うな」


ここで、俺は最後にして最大の切り札をテーブルに置いた。


「……イライザ女王の真の狙いは、『ブリタニア四国連合王権国』の創立です」


テツザンの表情に、初めて微かな戸惑いが混じった。


「……なんじゃ? それは」


俺は懐から一枚の書類を取り出し、慎重に広げた。


「ここに、イライザ女王自らがしたためた『憲章』の写しがあります。これを見て、判断していただきたい」


テツザンは最初、興味なさげに書類を手に取ったが、その目が一項目を追うごとに見開かれていった。読み終える頃には、その指先が微かに震えているようにも見えた。


「……これは、本物か? いや、それ以上に……あの女は『本気』なのか?」


「本物であり、女王が命を懸けて実現すると誓ったものです」


テツザンは書類をテーブルに置き、腕を組んで目を閉じた。


「『八百万やおよろずの神々と共に清明心せいめいしんで生きる』……イライザ女王は、この言葉を添えて署名しました。この精神を重んじるクリシュ・アランの者が、その重みを解らぬはずはないでしょう?」


テツザンが俺を鋭く睨みつける。


「……ゼン・ムッサーシから聞いたか」


「ええ」


「……確かに、儂らとて、隣国の民が理不尽に蹂躙されることを手放しで喜ぶほど堕ちてはおらん」


手応えはあった。だが、老人は冷たく首を振った。


「だがな、傭兵。それでもエディン・バーグの王に助力することはできん」


「何故です? 理由が分からない」


「理由などないからだ。助力する義理もなければ、利もない」


「あんたらだって、スカイウェールの一部だろう。 自分の国が危機なんだぞ?」


「儂らはクリシュ・アラン、ハイランダーだ。ローランドの軟弱な者どもと同列に語るな」


「生き方が違うと?」


「その通りだ。弱いから助けろ、負けそうだから手を貸せ? 自分のケツも拭けぬ男を、誰が助けるものか」


「……それが例え、ゼン・ムッサーシの懇願であってもか?」


「くどい」


________________________________________


3. 淘汰の摂理、あるいは祖先の血


沈黙を破ったのは、副団長のオットーだった。


「マク・ネル殿。それは、クリシュ・アランの総意でしょうか」


「儂の声は、一族の声よ。我らはローランドの王には跪かぬ」


「八百万の神々の下、多様な文化と民が手を取り合って生きるこのスカイウェールにおいて、あなた方はその理念に反する生き方を選ばれるのですか?」


「ふん、勘違いするな。八百万の神々の下に集うとは、『他者を否定せぬ』ことだ。ならば、自分たちの生き方を貫くこともまた肯定されるべきであろう。我らは我らの道を行く。それだけだ」


オットーが困り果てたように眉を下げた。


「確かにそうかもしれませんが……困っている隣人を助けるという、慈悲の心は?」


「強き者が生き残り、弱き者が消える。それが自然の摂理ルールよ。儂らに弱者を救ういわれなどないわ」


テツザンは遠い目をして、一族の歴史を語り始めた。


「今はブリタニアと呼ばれているこの島は、かつてゴラン・エイハ(Goran-Aiecha)と呼ばれ、テイル・ゴランという民が住んでおった。そこに北方の極寒の地を追われた儂らの祖先、ナタ・ヴォルが辿り着いた。……テイル・ゴランは、祖先を受け入れた」


「彼らが『力』を求めておったからだ。この地は実り豊かであったが、魔獣が跋扈しておった。特に南北を隔てるルク・ネス湖の北から降りてくる化け物どもがな。開拓した村は一夜で滅び、家畜は食い殺される。自然と共に生きるテイル・ゴランは、それも摂理と受け入れておったが、受け入れすぎて滅びかけておったのだ」


「儂らの先祖は、生きるために魔獣を狩り続けた。……その頃だ。一人の男がこの地に現れた。ムッサーシの始祖となる男だ。彼は誰よりも強かったが、同時にその武術を民に広めた。ナタ・ヴォルは彼に教えを乞うた。それが今の刀術の源流よ」


テツザンの声に熱がこもる。


「彼は厳しい自然の中で共存する知恵も説いた。『八百万の神々の下に生きる』という信念は、その時生まれたのだ。強くなければ生き残れぬ。だが自然は破壊するものではなく、共にあるもの。強き者が頂点に立つのは摂理だが、弱き者をただ滅ぼし尽くせば、循環が壊れ、やがてすべてが無に帰す。……これは、その戒めなのよ」


「ナタ・ヴォルは戦い抜き、魔獣を北へ追い返して安寧を手に入れた。やがて彼らはテイル・ゴランと同化し、ゴラン・ヴォルという民になった。……だが、安寧は毒よ。魔獣の恐怖から解放された者たちは、戦うことを忘れ、対話と同化ばかりを良しとするようになった」


「そこへ大陸から『文明』を自称する者たちが流れ着き、この地をブリタニアと呼び変え、土地を奪い始めた。戦いを忘れたゴラン・ヴォルは北へ追いやられ、今のスカイウェールを形作った。……だが、一部の者は、戦いを忘れた同族を恥じ、武を失わぬために北の険しき地へ向かった。それが我ら、クリシュ・アランよ」


テツザンは冷たく俺たちを射抜いた。


「強くなければ生き残れぬ。その真理を忘れ、滅びを唯々諾々と受け入れようとするエディン・バーグ。そんな腑抜けた奴らを、何故儂らが助けねばならんのだ?」


「……」


「エンガードの女王の甘い言葉に、尻尾を振って従う者を守れと? 笑わせるな」


重苦しい沈黙が部屋を支配した。俺もハンスもオットーも、老人の持つ「血の論理」を論破する言葉が見つからなかった。


その時だ。


「……おじいちゃん。ごちゃごちゃ、うるさい」


場違いなほどに透き通った、しかし氷のように冷ややかなガーブの声が響いた。


シンは心臓が止まるかと思った。


「なんだと……?」


テツザンの眉間に深い皺が刻まれる。


ガーブは椅子の背もたれに深く寄りかかったまま、退屈そうに老戦士を見据えていた。


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