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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十部:消えた緋色の行方

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第3章:公海の「法」と鉄の対話

1. 私掠しりゃくの論理


私掠船プライバティア」――その響きには、国家の正義と野蛮な略奪という相反する性質が混在している。


本来、北外海はどの国の主権も及ばない「公海」だ。しかし、この黒鉄期において制海権を握ることは、軍事的・経済的な優位性を維持するために不可欠な国家戦略となっている。自国の防衛、物流の安全、兵站の維持。それらを確実なものにする一方で、敵対国の海上物流を封鎖し、経済的な打撃を与える。そのための「手段」として、国家は民間船に公式な許可証――私掠免状――を与え、敵国籍の船舶を襲撃することを「合法化」したのだ。


かつてこの海の覇者は、西方諸国の中央に位置する大国、フランク王国であった。しかし、ブリタニア連合王権国との「百年戦争」において、その天秤は大きく傾く。島国であり、海を天然の要塞とするブリタニアの海軍はフランク艦隊を完膚なきまでに撃破。以来、北外海の制海権はブリタニアの掌中にあり続けている。


「……なるほど。ブリタニアとフランクの因縁は、今なおこの海でくすぶっているというわけですか」


シンの脳裏に、複雑に絡み合った王家の血縁と領地争いの歴史が浮かぶ。貴族同士の諍いが国を挙げた戦争へと発展し、今や平和な商船すらも「合法的な賊」の標的となる。


「それはそれは……なかなかに楽しくない状況ですね。団長が聞いたら、喜んで海へ飛び出していきかねない」


シンの冷ややかな言葉に、北方乙女号の船長はぎょっとして顔を強張らせた。


「じょ、冗談でしょう!? シン殿、どうか船や船員に被害だけは出さないでくだされよ?」


「安心してください。こちらからは、この船や乗員に傷一つ与えないように立ち回ります。船員の皆さんは安全な場所に退避を。手出しは無用です」


シンは不敵な笑みを残し、迎撃準備のために動き出した。


________________________________________


2. 「籠城戦」の布陣


甲板には緊張が走り、波の音だけが不気味に響く。シンは手際よく各隊長へ指示を飛ばしていく。


「クリス! 弓隊二十名、準備を確認しろ。マストや船室の影に潜ませ、合図があるまで姿を晒すな」


「了解。風は左から右、偏差は計算済みよ」


クリスが鋭い視線を水平線に向け、音もなく影に溶け込む。続けて、副官のアインスを呼び寄せた。


「アインス! 遊撃隊は海賊船への接舷と同時に乗り込む。防備は軽装だ。水に落ちても動けるよう、皮鎧で固めろ。フィーア、フェンにも徹底させろ」


「わかりました! ガーブ隊長には……」


「団長はいい。その時になれば、嫌でも突進してくる。今はまだ寝かせておけ。今連れてきても、うるさくて邪魔なだけだ」


「ですね、了解です!」


アインスが苦笑しながら駆け去る。そこへ、低い足音と共にハンスが歩み寄ってきた。


「ハンス。特務隊でバリスタを組み立て、敵船を狙えるか?」


「持ち込んだのは二張りだ。四人を専従させる。俺を含む残りは、遊撃隊の突入に合わせよう」


「よし。――クリス、ハンス、アインス、作戦を伝える。歩兵部隊は命綱を付けさせろ。槍を持たせ、船縁に一列に並ばせて『盾』とする。弓隊はその直後から射撃。特務隊はバリスタ二基を固定。その状態で、まずは相手の出方を待つ」


シンは水平線に迫る敵影を睨み据えた。


「相手が私掠船なら、船体そのものを沈めるような火器は使ってこないはずだ。もし火矢を放たれたら、船員たちを消火に回させる。戦闘は俺たちだけで完結させるぞ。……要は、揺れる床の上での『籠城戦』だ。つまり――」


「「いつもと変わらない、か」」


ハンスとシンの声が重なった。二人は不敵にニヤリと笑い、硬い拳をぶつけ合う。


「シン、ガーブ隊長は本当にそのままでいいのか?」


「……ああ。訂正する。ガーブが暴れ出したら、それが遊撃隊の突入合図だ。それまでは絶対に動くな」


「「「了解!」」」


隊長たちが散り、甲板は嵐の前の静けさに包まれた。シンはラットライン(索梯)を見上げ、マストの上からの狙撃も考慮したが、今回は堅実な防御反撃に徹することに決めた。


(さて、海賊の戦力はどうかな……。私掠船リーガル海賊イリーガルか。その違いで、こちらの『調理法』も変わる)


「シン、楽しそうだな?」


ハンスがシンの横顔を覗き込み、低く笑った。


「そう見えるか?」


「ああ。目が笑っているぞ」


________________________________________


3. 鉄の回答


敵船が、海面を滑るように近づいてくる。


陸戦のような怒涛の進撃とは異なり、波を切り、じわじわと距離を詰めてくるその停滞した時間が、かえって緊張を増幅させる。


やがて、敵船の細部が見える距離にまで達した。


人数は四十から五十。荒くれ者たちが船縁に並び、片手剣や長ナイフを抜いてこちらを威圧している。舵輪の傍らには、一際上等な外套を羽織った男が立っていた。あれが船長だろう。


距離五十歩。並走する形で敵船が横付けを狙う。罵声が風に乗って届き始めるが、シンはそれを完全に黙殺した。こちらの沈黙を「畏怖」と捉えたのか、敵船の男が勝ち誇ったように声を張り上げた。


「停船したまえ! そうすれば手荒なことはしない! なあに、荷を改めさせてもらい、その価値に見合った正当な『通行料』をいただくだけだ!」


賊にしては随分と紳士的な物言いだ。だが、その背後にあるのは剥き出しの略奪欲である。シンは自船の船長に目配せを送る。


「断る!」


船長が、シンの背後に潜む「緋色」の存在を頼りに叫び返した。


「ここは公海上だ! 貴様らに荷を改める権利も、通行料を払う義務もない!」


敵船長はニヤリと下卑た笑みを浮かべた。


「そうか、そうか。ならば……実力行使と行こうか?」


「望むところだ!」


船長の返答を合図に、シンが右手を挙げた。


刹那、船影に隠れていた歩兵隊が槍の穂先を一斉に突き出し、弓兵が弦をギリギリと引き絞る音が重なった。


「いつでもいいぜ、お仲間さん?」


シンが冷徹な笑みを向けると、敵船長は眉をひそめた。


「ほう、強気だな。傭兵か? だが残念だったな、ここは海の上だ。陸の勝手が通じないことを教えてやろう。強がるのはやめて素直に従いたまえ。そうすれば誰も傷つかず、お互い幸せに旅を続けられる。……船長、いい提案だろう?」


「口上戦はそれぐらいにしませんか?」


シンが割って入る。


「怖気づいているなら、今のうちに引き返してくれ。その方が、あんたらにとっても『幸せ』だぞ?」


「うるせええ! やっちまえ!!」


痺れを切らした海賊の一人が、怒号と共に接舷用のフックを手に飛びかかろうとした。


「クリス! 無力化!」


シンの鋭い命令と、弦の弾ける音は同時だった。


「ひゅん!」


放たれた一本の矢が、空を切り裂き、船縁に足をかけた男の右肩を正確に射抜いた。


「ぐあっ!」


男はもんどりうって自船の甲板へ転がり落ち、血が飛び散る。


「クリス、次だ。相手船長の帽子!」


二の矢が瞬時に番えられ、放たれる。


「ひゅん! かっ!」


乾いた音と共に、敵船長の被っていた帽子が背後のマストへと縫い留められた。男は呆然と自らの頭に手をやり、ゆっくりと振り返って、自分の帽子が矢で串刺しにされている光景を見つめた。


「戦闘開始の意思表示をしたのはあんたらだ。……このまま、始めていいか?」


シンが冷たく告げると同時に、ハンスの合図で特務隊がバリスタの覆いを取り払った。巨大な矢が装填された二基の攻城兵器が、じりじりと敵船長と船室に照準を合わせる。


「は……? バリスタだと……? 正気か、船の上に攻城兵器を持ち込んだのか!?」


敵船長の顔から余裕が消え、呆けた声が漏れる。


北方乙女号の船縁には、隙間なく槍を構えた四十人の精鋭。その後ろには、微動だにせず狙いを定める二十人の狙撃手。そして両端には、船ごと貫きかねないバリスタ。


「どうする。始めるか?」


シンが静かに問うと、海賊たちは一気に静まり返った。敵船長は苦虫を噛みつぶしたような顔で、騒ぎ立てる部下たちを手制した。


「……どうやら、大きな誤解があったようだ。申し訳ない、こちらに敵意はない」


「そうかい。で、どう落とし前をつける」


「……手打ちといこう。俺が一人でそちらへ出向く。話し合おうじゃないか」


シンは自船の船長を振り返ったが、それを遮るように敵船長が声を張り上げた。その瞳には、先ほどまでの侮りではなく、ある種の「確信」が宿っていた。


「いや、俺が話し合いたいのは船長じゃない。……あんたらだ。『緋色の傭兵団』」


シンの思考が一瞬、停止した。


隠匿していたはずの団名。それを、この北外海のど真ん中で、見知らぬ「海賊」が口にしたのだ。


「……ほう」


シンは目を細め、腰の剣の柄に手をかけた。


物語は、シンの想定を遥かに超えた速度で、ブリタニアの深淵へと引きずり込まれようとしていた。



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