第1章:五日の猶予、あるいは暴走の騎士団
第十三部:極北の双影 〜鋼の矜持と聖地の試練〜
北の聖地インヴァ・ネス。孤高の氏族『ハイランダー』を味方に引き入れるべく、シンたちは「武威」を問う過酷な試練に挑む。剛のテツザン、速のハヤテ、理のムシン。伝説の長たちとの死闘を経て、ガーブの暴力とシンの合理が認められる。三柱の次代と精鋭五十名を加え、最強の「手足」を得た傭兵団は、要衝グラス・ガレスへ向け強行軍を開始する。
1. 牙を剥く「戦場の理」
運命の歯車は、往々にして最悪のタイミングで加速する。
翌朝、俺たちはムッサーシ男爵と共に、合議の場となる王都エディン・バーグへ向けて出発するはずだった。だが、出発の隊列を整えていた俺たちの前に、南の街道から猛烈な勢いで土煙を巻き上げ、二騎の馬が飛び込んできた。
「やっほー! 漆だよーっ!」
悲鳴のような、それでいて緊張感に欠けた独特の叫び。シルカの連絡員である漆と、そして――馬上で幽霊のように青ざめ、今にも落ちそうな男。今回、正式な「執政官」としてエディン・バーグへ向かっていたはずのヨーク子爵だった。
到着した瞬間、馬は口から白い泡を吹いて膝を折り、ヨーク子爵は地面に転げ落ちてそのまま動かなくなった。漆もまた、いつもの余裕はどこへやら、全身汗だくで肩を激しく上下させている。
「何があった」
俺は倒れ伏した子爵をハンスに預け、漆の肩を掴んで詰問した。
「はいー、大変ですー。緊急ー事態ですー!」
「……真面目モードでやれ」
俺の眼光に射すくめられ、漆は一瞬で表情を引き締めた。
「……執政官ヨーク子爵と共にマンプトンを経由した際、街の異様な殺気と慌ただしさに子爵が疑念を抱きました。ただちに鉄理の規矩騎士団長、カシウス・ライルに面会し状況を確認したところ――彼らが独断で、スカイウェール侵攻に向けて兵を動かしていることが判明したのです」
心臓が嫌な音を立てた。
「ヨーク子爵は執政官としての権限を盾にライル団長を制止しようとしましたが、彼は頑なに拒否。ならばとエディン・バーグとの交渉結果を待つよう説得を試みましたが、それも撥ねつけられました。子爵の決死の交渉により、辛うじて出発を『五日間』遅らせる約束を取り付けるのが限界だった、と……」
漆の声が震える。
「事態は一刻を争うと判断し、私たちは予定を変更。直接エディン・バーグへは向かわず、シンさんにこの危機を伝えるべくグラス・ガレスへ馬を飛ばしました。……それが、五日前のことです」
漆の報告が終わるのと同時に、俺とムッサーシ男爵は顔を見合わせた。
「シン……まずいのではないか?」
ゼンの声が苦く響く。
計算違いだ。カシウス・ライルという男を読み違えたか。もっと慎重で、大局を見る男だと思っていたが、彼は「最も選んで欲しくない手」を選択した。
恐らく、後ろ盾であったガンツやラングフォードが失脚したことで、自らにも汚職や連座の咎が及ぶことを察知したのだろう。軍法会議にかけられる前にスカイウェールへ侵攻し、既成事実としての軍功を立てる。あるいは、エンガードの法の手が及ばない「戦場の理」の中に逃げ込もうとしているのだ。
「ああ、最悪の計算違いだ。計画を根本から修正する必要がある」
「修正、程度で済むのか? 我々に残された時間は?」
俺は脳内で地図を展開し、高速で進軍速度を算出する。
鉄理の規矩は間違いなくグラス・ガレスを目指し北上する。
ここを落とせば軍功としては申し分ない。さらにここを橋頭堡として固めれば、スカイウェール全土の制圧、さらには王都エディン・バーグへの道筋も容易になる。補給線を確保するため、途中の街を蹂躙しながら進むはずだ。
その進軍速度を考えれば――。
「猶予は二十五日。二十五日後には、エンガードの鉄騎兵がこのグラス・ガレスの門前に現れる。それまでに、エディン・バーグでの意思統一を終え、かつハイランダーの援軍を取り付ける必要がある」
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2. 二つの戦線、決死の分断
ここからは一秒が命取りになる時間との勝負だ。俺はゼンに向き直った。
「エディン・バーグの説得はゼン、あんたに任せる。ヨーク子爵を看板として担ぎ出し、女王がこの暴走を容認していないことを突きつけろ。何が何でも女王派との融和を勝ち取り、防衛のための兵を集めるんだ」
「……だが、敵軍が既に進軍を開始している以上、融和などという甘い言葉が通じるか?」
「だからヨーク子爵を使うんだ。あれは騎士団の『暴走』であり、女王陛下の意志ではないと強弁しろ。理屈はどうでもいい、首を縦に振らせろ!」
「……やってみせよう。やるしかない、か。……シン、緋色の傭兵団はどう動く?」
「別れて行動する。俺たちはこれより直ちに、ハイランダーの拠点インヴァ・ネスに向かう」
ゼンの顔が驚愕に歪んだ。
「正気か? 彼らは王都の要請があって初めて動くはずだ。手順が逆だぞ!」
「そんな悠長なことをしていたら、王都が落ちるのが先だ。俺たちで何とかする。最悪、力ずくでも協力させるさ。……なあ、ガーブ?」
「おうよ! 腕が鳴るぜ!」
団長が獰猛に笑う。その頼もしさだけが、今の俺の支えだった。
「分かった……。エディン・バーグで決着がつき次第、すぐにインヴァ・ネスへ使者を出す」
ゼンは覚悟を決めたように、背後の配下たちへ振り返った。その声は、かつてないほど鋭く響き渡る。
「至急、マンプトンに通じる街道の全都市――ノス・ヨー、ペン・リス、カー・ライル、アンヴィル・ソーへ伝令を飛ばせ! 内容はこうだ。『エンガード軍の一部が暴走し北上中。避難できる者はグラス・ガレスへ。避難不能な場合は即座に降伏し、街を明け渡せ。食料を奪われても抵抗は無用。戦後の損害はすべて、このムッサーシが保障する』……行けっ!」
「「「はっ!」」」
部下たちが弾かれたように走り出す。
「代表会議への招集状を『至急・緊急』に書き換えろ! 街の衛士、近隣の駐留兵をすべて呼び集め、当面の防衛線を築く! 陣頭指揮は衛士隊長に一任する! 何としても、私が援軍を連れて戻るまでグラス・ガレスを守り抜け! 分かったな!」
矢継ぎ早に指示を下すゼンの姿は、まさに一城の主としての威厳に満ちていた。
「ガスト、ヴィーク。貴公らも私と共にエディン・バーグへ来い」
ヴィークが反射的に反論した。
「男爵様! 私はインヴァ・ネスへ、ハイランダーの説得に同行すべきでは――」
「逆だ。エディン・バーグの頑固な代表たちを黙らせるには、ハイランダーの血を引くお前の言葉が必要になる。付いてこい」
「……分かりました」
「漆殿。ヨーク子爵は動けるか?」
「うーん、子爵サマはー……再起不能?」
漆が白目を剥いた子爵を指さす。
「構わん。喋れずとも女王の代理人という『形』が重要だ。馬車に放り込め!」
「ご愁傷様ですー……」
ゼンたちが準備を進める傍ら、俺たちはインヴァ・ネスまでの行程を最終確認していた。
距離にして二百七十キロ。通常の行軍なら四日はかかるが、俺たちにはそんな猶予はない。
「スター・リン、パー・ヴィス、ダン・ケルドを経由する最短ルートで行く。二日でアヴィ・モアまで駆け抜け、替え馬を潰しながら三日目にはインヴァ・ネスに乗り込むぞ!」
「シン君、無理を言うね。だが、望むところだ」
オットーさんが不敵に笑う。
「オットーさん、きついようなら後から合流してくれても……」
「馬鹿を言いなさい。私もこれでも傭兵の端くれだ。遅れは取らんよ」
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3. 首都エディン・バーグの迷走
「ゼン、俺たちは出るぞ!」
「分かった! 私は二日後に王都へ着く。三日後には代表会議を開かせ、討議に二日。要請書がインヴァ・ネスに届くのは、最短で十四日後だ」
「……ハイランダーを引き連れてグラス・ガレスに戻れるのは、二十四日前後か。ギリギリだな」
「ライルが約束通り五日間待てば、の話だ。もし奴が約束を違えて早めに出発していたら、あるいは途中の街を蹂躙せず一直線にここを目指してきたら……」
ゼンが不安を口にする。俺はその肩を強く叩いた。
「考えても仕方のないことは考えるな。今は、できることを最速でやるだけだ」
「そうだな……。やろう!」
準備の合間、ハンスが漆と何やら密談していた。漆が深く頷き、ハンスが「頼んだ」と短く告げて別れる。
「ハンス、漆に何を頼んだ?」
「……特務隊を預けました」
それ以上は聞かなかった。ハンスが動くときは、常に最善の布石が打たれているはずだ。
「行くぞ!」
グラス・ガレスの門を出たところで、俺たちの隊列は二手に分かれた。
「さて……速度を上げるぞ! ついてこい!」
俺たちは馬の腹を蹴り、北の荒野へと消えていった。
二日後。
ムッサーシ男爵、ガスト、ヴィーク、そして未だに死にかけのヨーク子爵を乗せた馬車が、首都エディン・バーグの城門に辿り着いた。
「グラス・ガレスのムッサーシである! 門を開けい!」
ゼンの怒声が響き、衛兵たちが狼狽しながら巨大な石門を押し開く。
スカイウェールの首都エディン・バーグ。
古の歴史が石畳の隅々にまで染み付いた、荘厳な街並み。その中央路を、ゼンの馬車が猛然と駆け抜ける。城に着くやいなや、ゼンはスカイウェール王マルカム・ウィンドテイルへの緊急謁見を要求した。
「緊急事態である! 子爵としてではない、グラス・ガレス代表として、ただちに陛下へお取次ぎを!」
近習たちの制止を怒鳴り散らして撥ねつけ、ゼンはようやく謁見の間へと通された。
だが、そこで待たされること一時間。ようやく現れたマルカム王は、この期に及んでもどこか悠然としていた。
「子爵。これほどの騒ぎ、一体何事じゃ?」
「陛下……! 落ち着いて聞いていただきたい。――エンガード軍の好戦派が、我が国へ牙を剥きました」
マルカム王は、手にしたカップを口元で止めたまま、ぽかんと虚空を見つめた。
「……今、何と?」
「エンガードの鉄理の規矩騎士団八百騎、および徴用兵五百。計千三百の軍勢が、現在グラス・ガレスへ向けて侵攻を開始しました。これは現実です」
王の手からカップが離れ、テーブルに置かれた。その手は微かに震えている。
「……何故じゃ? 何故、このタイミングで……」
「理由など明白。我が領土を奪い、スカイウェールを跪かせるためです!」
「何故じゃ……どうすれば、どうするのが正しいのじゃ……? エンガードに抗議の使者を送るべきか? いや、しかし……」
予見していた通りだ。
マルカム王は、平時においては誠実で慎重な名君かもしれないが、想定外の危急に対しては決断を下せない男だった。「前例」のない事態に、王の思考は完全に停止しようとしていた。
この王に、戦端を開く覚悟をさせなければならない。
さもなくば、スカイウェールは戦わずして地図から消えることになる。




