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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十二部:見えない牙と傭兵の地均し

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第9章:北の合議、あるいは武人の杯

1. 四つの懸念と密命の権限


ゼン・ムッサーシ男爵が、永い沈黙の果てにイライザ女王の『憲章』から目を離し、下した結論は「手を組む」という一言だった。


シンは内心で深く安堵し、喉の奥で「よし」と呟いた。まずは最大の難関であった言質を取り付けた。だが、これはあくまで出発点に過ぎない。ムッサーシ男爵という個人が同意しただけで、国家としてのスカイウェールが動いたわけではないのだ。


具体的な戦略をどう描くか。ここからは、より泥臭い実務と調整の時間が始まる。


ゼンが腕を組み、指先でトントンと机を叩きながら思考を整理し始めた。


「……この『憲章』の通りに事が運べば、スカイウェールの文化も、古くから続く慣習も、宗教も、そして何より民の生活も保障される。次世代へ継承できる。その上、我が国にも相応の利益が落ちる仕組みだ。……実現できれば、な」


ゼンの認識は極めて正確だった。シンたちが手札を晒した以上、次はゼンがスカイウェール側の手札――すなわち、この計画を阻む壁を提示する番だ。


「懸念は……三つ。いや、四つあるか」


ゼンは一本ずつ指を立てながら、冷徹に現状を分析していく。


「一つ目は、王都エディン・バーグの王国行政府の説得だ。イライザ女王との和解、そしてこの連合案を公式に受け入れさせねばならん。スカイウェールの国政は、エンガードのような絶対王政ではない。各地域の代表から選出された十二名と、国王を議長とした『十二人合議制』によって決定される。私もグラス・ガレスの代表として一票を持つが、それだけだ。この頑固な代表たちを納得させられるかどうかが鍵となる」


「二つ目は、ハイランダーへの協力要請だ。彼らは合議には参加せず、独自の規律で動く。王政府とハイランダーは直接交渉の場を持つが、そこで彼らの了解を得られなければ、彼らはスカイウェールと袂を分かつだろう。それは我々にとっても、孤高の戦士たちにとっても不幸な結末にしかならない」


「三つ目は、国境のマンプトンに駐留する『鉄理の規矩てつりのきく』騎士団と徴用兵への対応だ。彼らは女王の意思を無視し、暴走する可能性がある。我らが境界線を越えようとすれば、必ずや牙を剥く。ハイランダーの助力がなければ、勝ち目はない」


「そして四つ目……これが最も厄介だが。イライザ女王のこの『憲章』、今はまだ公表できんのだろう? つまり、私はこの案を『ムッサーシの独断』として議会にかけ、私個人の責任で決議を勝ち取らねばならんということだ」


――十二人の代表の懐柔、ハイランダーの説得、そして国境に居座る敵軍の排除。


ゼンが打ち明けた懸念は、どれも一歩間違えれば首が飛ぶ難題ばかりだ。


「『八百万の神々と共に清明心で生きる』……その精神で当たるしかないか」


ゼンが自嘲気味に呟き、腰を上げようとした。


「待ってくれ、ゼン」


シンが呼び止める。


「この『憲章』、公にバラまくのはまずいが、合議のテーブルに乗せる分には構わない」


「何……? いいのか?」


「ああ。俺たちは女王の密使だが、同時に正式な『執政官』の全権を拝命している。この文書をどう扱い、誰に見せるかの裁量権も預かっているんだ」


ゼンは驚愕に目を見開いた。


「……私を『露払い』に使う気だな?」


「悪いが、そういうことだ。実はな、俺たちの後を追うように本隊の『執政官』がこちらに向かっている。ヨーク子爵という御仁だ。予定では、あと九日ほどで到着する」


「すぐではないか! 時間が足りんぞ! 代表の招集、発議、意見の集約……九日で何ができる!」


「まあ、その時はヨーク子爵を門前で待たせておけばいい。……分かっただろう? 時間がないんだ。明日には動いてもらいたい」


ゼンは頭を抱えながらも、その瞳には奇妙な活力が宿っていた。


「……承知した。明朝、直ちに早馬を飛ばし、招集状を送る」


「ハイランダーの対応については……」


シンが続けようとした時、それまで退屈そうにしていたガーブがいきなり身を乗り出した。


「シン。ハイランダーは私がやるよ」


「ガーブ?」


「ハイランダーってのは強いんだろ? 強い奴は、自分より強い奴に敬意を払うもんさ。そういう奴らには、こう、首を……コウタ垂れさせるのが一番だ」


「……おい。それは『頭を垂れる』だ。首を垂れるだと死んでるぞ」


シンは、かつてシルカがハイランダーについて語った言葉を思い出していた。


『彼らは剣にのみ価値を見出し、強さこそが正義であると信じる苛烈な集団です』


事前に打ち合わせていた通り、ガーブがその役割を買って出た。


「どうだ、ゼン。ガーブの意見に……根拠はあるか?」


「……確かに、ハイランダーは強者にのみ耳を貸す。だが、ガーブ団長。貴公は……本当に『強い』のか?」


ゼンの問いに、ガーブは肉食獣のような不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。


「試して、みるかい?」


凄まじい威圧感が部屋に満ちる。ガーブの背後にある空気が歪むような錯覚を覚え、シンは慌てて彼女の腕を抑えた。


「ガーブ、今はやめろ。指をさすなと言っただろう」


「えー? だって、このお兄さん私を信じてないよ?」


「いいから座れ。……ゼン。一度、俺たちの『腕』をその目で確かめてみるか? それで納得できれば、ハイランダーの件は俺たちに任せてもらうということで」


ゼンはシンの提案をじっと反芻し、やがて頷いた。


「分かった。場を設けよう。もし貴殿らがハイランダーを心服させられれば、マンプトンの駐留軍など恐るるに足りん。……できればの話だがな」


「できなければ、俺たち緋色の傭兵団が直接あいつらの相手をするさ」


________________________________________


2. 猪の晩餐と、真の信頼


打ち合わせを終え、一行は用意された客間へと下がった。


ゼンの背後に控えていたガストとヴィークは終始無言を貫いていたが、その顔色は実に忙しく変化していた。特に、ガーブが「ハイランダーを従える」と豪語した瞬間、赤髪のヴィークは顔を真っ赤にして身震いしていた。


「ハンス、ヴィークをどう思う?」


シンが小声で尋ねると、斥候は短く答えた。


「ハイランダーでしょうね。……恐らく、直系の。若いが、立ち居振る舞いに隠しきれない気高さがあります」


「そうだろうな。シルカのメモとも一致する」


「ねえねえ、シン! 腕試し、誰が出てくるかな? 強い奴だといいなー!」


ガーブが隣でぴょんぴょんと跳ねている。


「……ガーブ。ガストとヴィーク、二人同時に相手して勝てるか?」


「あの二人? 勝てるよ、余裕。殺しちゃダメなんだろ?」


「ああ、勝ち方に気をつけろよ。……まあ、ハイランダーを相手にする前の、いい準備運動にはなるかもな」


その日の夜。ゼン・ムッサーシ男爵の招待で会食が開かれた。


「格式ばった儀礼は抜きだ。気楽にやってくれ」


ゼンの言葉通り、並べられたのはスカイウェールの伝統的な大皿料理だった。


テーブルの中央には、猪が丸ごと一頭、黄金色に焼き上げられて鎮座している。豪快にナイフで肉を削ぎ、黒パンに乗せてかぶりつくスタイルだ。


「わーお! 美味そう!」


歓喜したガーブが、凄まじい勢いで肉を口に運んでいく。彼女一人で成人男性三人前は軽く平らげているだろう。


その宴の席で、ゼンは杯を掲げ、シンに向き直った。


「さっきの話は、私にとっても大きな勉強になったよ。……絶望しかないと思っていたが、少しだけ前向きになれそうだ。あとは、明日の出来次第だな」


「ええ。期待していてください、男爵」


「ゼン、だ」


「え?」


「私の名はゼン。もう公務の時間ではないだろう。私のことは、ゼンと呼んでくれ」


「……いいのか?」


「その代わり、私も君をシンと呼ぶ。対等な『同盟者』としてな」


「了解した。……よろしく、ゼン」


二人は杯を合わせ、一気に飲み干した。


その夜、ゼン・ムッサーシは書斎の灯を消すことなく、夜通しで合議の招集状を書き続けた。スカイウェールの未来を繋ぐための、渾身の親書だ。翌朝、それらは十数頭の早馬によって各地へ放たれた。


________________________________________


3. 中庭の熱気、あるいは遊戯の始まり


翌朝。冷たい霧が立ち込めるムッサーシ邸の中庭。


そこには、ゼンに仕える精鋭の武人たち十数名が集まっていた。いずれも北国の厳しい気候に鍛えられた、筋骨逞しい男たちだ。


「おい、新参者。お前ら、相当に強いらしいな? ひとつ、手合わせ願おうじゃないか」


腕を組み、ふんぞり返った男たちが、挑発的に武器を鳴らす。


「俺……いや、私! 強いよ! お前らの中で一番強い奴、出ておいで!」


ガーブは朝から全開だった。軽く足踏みをするだけで地面が微かに揺れ、彼女の周囲にだけ熱気が渦巻いている。


「ふん、ふん、ふん♪」


鼻歌を歌いながら準備運動をするその姿は、遊び場を見つけた子供のようであり、同時に獲物を前にした猛獣のようでもあった。


男たちの視線が、後ろに控えるシンとハンスにも向けられる。


「後ろのひょろい奴らはどうした? 女の影に隠れているだけか?」


「……と言うことらしいが、どうする、ハンス」


「仕方ありませんね。成り行きです」


ハンスが静かにナイフを回す。


「よし! 頑張ろう、シン、ハンス!」


ガーブの楽しげな号令と共に、中庭の空気が一変した。


スカイウェールの武人たち。そして、大陸を震撼させた緋色の傭兵団。


言葉よりも雄弁な、鉄と肉体の対話。その幕が、今、切って落とされた。


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