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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十二部:見えない牙と傭兵の地均し

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第7章:極北の獅子と、黒髪の男爵

1. 握られた掌の誓約


天幕の中に、張り詰めた沈黙が満ちる。シンの提示した『四国連合王権憲章』。その重みに耐えかねるように、オズリック・ガストが絞り出すような声で問いかけた。


「……貴様ら、緋色の傭兵団は。これから具体的にどう動くつもりだ?」


「ああ。スカイウェールへ向かう。剣を振るうためじゃない、話を聞いてくれる奴と、これからの未来を話し合うためにだ」


シンの揺るぎない返答に、ガストの鋭い瞳がさらに細められる。


「戦いに赴くのではなく、か?」


「そうだ」


「宥和と連合を、真に実現させるためにか?」


「その通りだ。そのための下準備として、我々はエンガードの膿――腐った武器商人と、私欲に溺れた役人どもを排除した。盤面を掃き清めたのさ」


ガストは数秒間、シンの目を見据えていた。やがて、深く、重い溜息を吐き出す。


「…………分かった。貴様らを信じるのではない。その『憲章』に賭けてみる。協力しよう」


「よし……!」


シンが差し出した右手を、ガストが鋼のような握力で握り返した。がしっと、骨が軋むような衝撃。その瞳は微塵も笑っていない。


(おい、待て……! 力が入りすぎだ、痛い、痛いって! 団長の怪力に慣れてる俺でも顔が歪みそうだ!)


「……もしこれが、スカイウェールを陥れる壮大な罠の一環であったなら。俺は地獄の底まで追いかけ、貴様の喉元を食いちぎってやる」


隣に立つヴィークも、燃えるような赤い瞳に抜き身の殺気を湛えてシンを睨みつけている。


「そう怖い顔をしないでくれ。信用がないのは百も承知だ。裏なんて何もない。……証明として、スカイウェールには、たった四人で行く」


「何だと?」


ヴィークが驚愕に声を上げた。


「俺、オットーさん、ハンス……そして団長のガーブ。この四人だけであんたらの国へ入る。残りの団員は、人質代わりにこの野営地へ残していこう。……持っていない『信頼』を示す方法は、これしか思いつかなかったんでね」


ガストとヴィークは信じられないといった風に絶句した。


「……で、どこの誰に会いに行けばいい? 首都エディン・バーグの王宮か?」


「いや、エディン・バーグに行く必要はない」


ガストは首を振った。


「行き先は、『鉄の都』グラス・ガレス。そこに居られるムッサーシ男爵――彼に会ってもらいたい」


(――来た! 二つ目の手札!)


シンは内心で小さく拳を握った。


「ムッサーシ男爵、か」


「そうだ。そのお方ならば、王都エディン・バーグと北の要衝インヴァ・ネスの両方に、誰よりも太いパイプを持っておられる。男爵を納得させられれば、彼はスカイウェールという国そのものを動かせる。爵位こそ低いが、紛れもない実力者だ」


「いいだろう。では、出発しようか」


「おい、今からか!?」


ヴィークの驚きをよそに、シンはニヤリと不敵に笑って立ち上がった。


「拙速が俺たちの信条なんでね」


________________________________________


2. 厳冬の北進路


準備は一刻を争った。


シンは団長ガーブの天幕を勢いよく開け、「出かけるぞ」と短く告げた。


「戦いか?」


「場合によってはな」


「よっしゃあー!」


ガーブは嬉々として跳ね起き、即座に武装を始めた。


「えーっと、大刀に、予備の剣に……あと、もう一本剣と、短剣も!」


「おい、もっと他に持っていくものがあるだろうが!」


結局、シンの指示でアインスにガーブの荷造りを手伝わせた。放っておけば、奴は武器だけを抱えて裸一貫で飛び出しかねない。


ヤミル、クリス、イエーガー、ゲルドらに留守中の指揮を託し、小一時間後には準備が整った。今回の足は馬だ。傭兵団の精鋭四人と、『風読みの鴉』の二人、そして予備を含めた八頭の馬が揃う。


「よし、行こう」


野営地のあるロイデス近郊から、軍が駐留するマンプトンを大きく迂回して北上を開始した。


ノス・ヨー、ペン・リス、カー・ライル、アンヴィル・ソー……。


グラス・ガレスまでの距離は約三百六十キロ。通常、徒歩ならば十二日はかかる難所続きの道だが、彼らは七日での走破を目標に馬を飛ばした。


初めて踏むスカイウェールの地は、エンガードや大陸とは明らかに異なる「拒絶」の空気を孕んでいた。


ノス・ヨーの街には、ロンデニールのような喧騒はなく、どこか凛とした静寂が漂う。ここで改めて装備を整えたが、しばらく実戦から遠ざかっていたガーブが「傭兵の勘を取り戻す」と称して、シンたちに“刃を交えての対話”を強要し、出発が数時間遅れる一幕もあった。


ペン・リスへと続く険しい峠道では、北国特有の厳しい気候が牙を剥いた。山嶺から吹き下ろす凍てつく風が、防寒着の隙間を容赦なく抉る。


「さっ……寒い、寒すぎる……!」


普段は薄着で豪快に笑うガーブが、歯の根も合わないほど震えていた。シンも自身の装備の不備を痛感し、ペン・リスの古着屋で慌てて毛皮を買い足した。


「そんな格好じゃ、ここの冬は越せやしないよ」


女将さんの笑い声が、寒風の中に溶けていく。


一方で、『風読みの鴉』の二人は相変わらずの薄着だった。彼らの皮膚はどうなっているのか、シンは戦慄すら覚えた。


カー・ライルを抜け、アンヴィル・ソーに近づくにつれ、検問は苛烈さを増していった。スカイウェールの深部。エンガードの民がまず紛れ込まないこの地で、余所者の俺たちは目立ちすぎた。


だが、その度にガストとヴィークが漆黒の証票を提示し、兵たちの顔を蒼白にさせて道を切り拓いていく。


ふと、シンはヴィークの背中を見つめた。赤髪赤目のその容姿は、この北の大地でも珍しいもののようだ。彼は自らの出自を徹底して隠している。シルカが残したメモの通り――今は、詮索すべき時ではないだろう。


アンヴィル・ソーを出てからは野宿が続いた。


どこまでも続く草原、深く静かな森林。のどかに羊を追う羊飼いたちの姿。だが、その平和な光景の裏に、険しい視線が混じっている。


「……監視されているな」


ハンスが低く囁く。敵意はないが、見慣れぬ武装集団への強い警戒心。彼らは既に、スカイウェールという国の「体内」に入り込んでいた。


グラス・ガレスを目前に控えた最後の夜。一行は早めに野宿の準備を整え、休息を取ることにした。シンとハンスが狩った野鳥を焚き火で炙り、皆で分かち合う。


「美味い! 最高の味だ!」


ガーブが一人で三人前を平らげるのを、シンは「食いしん坊め」と呆れながら眺めていた。明日、この先で待ち受ける「何か」に備えて。


________________________________________


3. ゼン・ムッサーシとの邂逅


グラス・ガレス。


スカイウェール北部において、王都エディン・バーグに次ぐ規模を誇る交易都市。


湾沿いの港町である王都に対し、ここは北の大地を結ぶ陸の要衝だ。検問所には、農家や商人の荷車が列をなし、意外にも俺たちはすんなりと街門を通り抜けることができた。


宿を取り、長旅の泥を落として一息ついていた、その時だった。


「――開けろ! グラス・ガレスの治安維持部隊だ!」


突如として、二十人近い重装衛士たちが宿を包囲し、俺たちの部屋へと踏み込んできた。


油断していたか? いや、分かっていた。門をくぐった時から、衛士たちがこそこそと連携を取っていたのは承知の上だ。ここで騒ぎを起こしても意味はない。むしろ、これこそが「先様」からの招待状だと、シンは冷静に受け止めていた。


気づけば、いつの間にかガストとヴィークの姿が消えている。……いや、油断じゃない。彼らが気配を消して離脱したのにも気づいていた。本当だ。


「物騒な歓迎だな」


うずうずと剣の柄に手をかけようとするガーブを、「まだだ、どうどう」と手で制する。


「グラス・ガレスの治安を守る者だ。大人しく同行してもらおう」


シンたちは抵抗せず、衛士たちに従った。言葉こそ棘があるが、武器を取り上げられる様子はない。彼らはそのまま宿を出され、街の中心にある重厚な石造りの庁舎へと連行された。


通されたのは、冷たい取調室ではなく、意外にも豪奢な応接間だった。一応、客として扱われているらしい。


(宿に来た時のあの威圧的な態度は、俺たちの反応を試していたのか……? 喰えない相手だな)


しばらく待たされた後、部屋の重い扉が開いた。


入ってきたのは、一人の若き貴族。その後ろには、先ほど姿を消したはずの『鴉』の二人が控えている。


その男は、ヴィークと同じ二十歳を少し過ぎたばかりの若さに見えた。


引き締まった体躯。少し釣り上がった目元には、理知的な笑みが浮かんでいる。だが、何より異彩を放っていたのは、その容姿だ。


深淵のような黒い瞳と、夜の闇を溶かしたような黒髪。


ブリタニアを含む西方諸国は金髪碧眼が主流であり、スカイウェールのナタ・ヴォル族は赤髪赤目が特徴だ。この地において、黒目黒髪は極めて稀――というより、本来存在しないはずの特異点。


(なるほど……出自が“存在しない国”と噂される由縁か)


「お待たせしました。公務が立て込んでいましてね。……初めまして。私がこの地を任されている、ゼン・ムッサーシです。男爵位を拝命しています。歓迎しますよ、緋色の傭兵団の皆さん」


シンが男の佇まいを観察している間に、ゼンは迷いのない動作で右手を差し出してきた。


太い手首、そして掌に刻まれた深い剣だこ。相当な手練れであることは一目で分かった。しかし、そこには武骨な荒々しさはなく、深い森の奥のような静謐な空気が漂っている。


ガーブがその手を真っ先に取った。


「緋色の傭兵団、団長のガーブだよ。よろしくな!」


底抜けの笑顔で握手を交わすガーブに、ゼンも穏やかに微笑む。


続いてシンも手を差し出した。


「副団長のシンです」


「君が噂のシン君ですか。……ふふ、面白い」


続いてオットー、ハンスとも握手を交わしたゼンは、一同をソファーへ促した。


「さあ、座って話しましょう。今、飲み物を用意させます」


全員が腰を下ろし、しばらくの沈黙。給仕が運んできた香り高い茶を一口飲み、彼が一礼して部屋を出るのを待ってから、ゼン・ムッサーシが口火を切った。


「――早速ですが。私たちに、何か『面白い提案』があるとお聞きしましたが?」


第二幕。スカイウェールの深奥、鉄の都の主を相手にした、命懸けの交渉劇が始まった。


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