第6章:鉄路の断絶、あるいは四国の天秤
1. 氷の対峙
野営地の天幕。外では夜風が天幕の布を叩き、松明の爆ぜる音だけが規則正しく響いている。
シンの目の前には、スカイウェールの隠密組織『風読みの鴉』の代表、オズリック・ガストとジグルド・ヴィークが、彫像のように硬い表情で座していた。
シンはゆっくりと口を開き、静寂を破った。
「単刀直入に聞く。あんたらは、このエンガードで何を企んでいる?」
年嵩のガストが、感情を削ぎ落とした声で即答する。
「それを貴殿らに伝える必要はない。我らと貴公らは、立つ土俵が違う」
「それはそうだな。だが、これだけは言っておく。あんたらがどれほどエンガード国内で王権家に対する反感を煽り、今の体制を倒したところで、戦争は止まらない。……なぜか分かるか?」
その挑発的な問いに、赤髪の青年ヴィークが冷笑を浮かべた。
「……イライザ女王は単なる傀儡。軍部の操り人形に過ぎないからか?」
「その言い方には賛同しかねるが……仮にそうだとしたら?」
「ならば、イライザを排除し、その背後にいる軍部もろとも叩き潰すまでだ。根を断たねば、争いの芽は摘めぬ」
(……見る目がないな)
シンは内心で毒づいた。彼らはまだ、あの少女の真価に気づいていない。イライザは操り人形などではない。彼女は今、自らが『嵐の目』となるべく、殻を破ろうとしているのだ。
「それができれば苦労はないがな。さぞかし、軍をスカイウェール領内へ深く誘い込み、伸び切った兵站線を叩くつもりだろうが……そう簡単にはいかないぞ?」
「何が分かるというのだ、傭兵風情が」
ガストの目が鋭く光る。シンは不敵に笑い、図面に指を滑らせた。
「分かるさ。――『遅速侵攻』。あんたらに馴染みのある言葉で言えば、『牛歩戦術』というべきかな。軍を少しずつ進めては、そこを占有し、要塞化する。領土の切り取りと開拓を同時に行うやり方だ。短期決戦を避け、何年も……場合によっては十年単位の時間をかけて、じわじわとスカイウェールを侵食していく。軍部が描いているのは、そういう持久戦の絵図だ」
「……馬鹿な。そんな非効率な戦い方があるものか」
「まあ、ないよな。今|俺|が|考|え|た言葉だしな」
「……貴様、我らを愚弄しているのか?」
ガストの低い声に、殺気が混じる。シンは肩をすくめた。
「茶化すつもりはない。だが、気に障ったなら謝ろう」
代わって、それまで沈黙を守っていたオットーが、穏やかながらも重みのある声で補足した。
「エンガードには、フランク王国と百年に渡って戦い続けた歴史があります。じっくりと時間をかけ、無理をせず、国力という名の真綿で首を絞める。彼らにはそれだけの兵と軍備、そして資金がある。シンの言った『牛歩』は、現実として最もあり得る脅威ですよ」
その指摘に、ガストとヴィークは顔を見合わせ、押し黙った。
一国の国力そのものをぶつけられる消耗戦。それが事実なら、小国スカイウェールに抗う術はない。
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2. 毒餌と茶会
ヴィークがシンの顔を真っ向から見据え、根本的な疑念をぶつけてきた。
「……緋色の傭兵団、と言ったか。シルカ殿からはエンガードに雇われた者たちだと聞いたが、そんな内情まで語る貴様たちは何者だ?」
「おっと。先走り過ぎたか。そういえば、まともな自己紹介がまだだったな」
シンはわざとらしく首を傾げ、芝居がかった口調で言った。
「俺たちは……そうだな、イライザ女王の『友人』? いや、違うな。……『同盟者』か。あるいは、女王陛下から極秘の特命を帯びた、影の執行人といったところか?」
「……密命だと? 我らの暗殺か。残念だが、エンガードの土を踏んだ時点で、我らは死んだも同然だ」
ガストの覚悟を、シンはひらひらと手を振って遮った。
「いや、どちらかと言えば死んでほしくないしな。暗殺は俺たちの本業じゃない。……まあ、『首狩り』はたまにやるが」
「ふざけているのか!」
「重ねてすまない。どうも空気が重すぎてね。茶の一杯も出していなかった」
シンは手際よく湯を沸かし、茶葉を用意した。
「女王陛下から直々に下賜された特上の茶葉だ。まあ、一服しよう」
陶器のカップに注がれた琥珀色の液体。芳醇な香りが天幕に広がるが、二人の鴉は指一本動かさない。
シンは苦笑し、自らのカップから茶を一口飲んで見せた。
「用心深いのはいいことだ。だが、冷める前に飲んだ方がいい。……ここからは、俺の手札を見せる番だ。あんたらの『切り札』を、引き出させてもらうためにね」
シンは茶器を置き、眼光を鋭くした。
「いいか。エンガードには戦争を数十年継続できるだけの資金力がある。ドルベス港を通じた大陸貿易、ウルステアの兵器量産。それに対し、スカイウェールはどうだ? 広い領土を誇っても、時間が経てば経つほどじり貧になるのは目に見えている」
「……スカイウェールにも武器生産の拠点はある。国外貿易の窓口もな」
ヴィークが食い下がる。
「グラス・ガレス、エディン・バーグ、インヴァ・ネス……。だが、グラス・ガレスの鋳造技術は旧式だ。制海権もエンガードに握られている。北外海へ船を出しても、無事に帰れる保証はない。安定した交易ができない相手を、大陸の商人がいつまでも選ぶと思うか?」
「ぐっ……」
ヴィークの言葉が詰まる。その時、沈黙を貫いていたガストが、絞り出すように反論した。
「……だが、我らには『ハイランダー』がいる」
(――来た。一つ目の切り札だ)
シンは内心で快哉を叫んだ。
「ハイランダー。北部山岳地帯に住まう、伝説の氏族。独自の古武術と剛剣を操り、一人で百の兵を蹴散らす戦士たち、か。……では聞くが、なぜその一騎当千の連中が、未だに戦線に出てこない?」
「それは……」
「連中はインヴァ・ネスに籠り、沈黙を貫いている。俗世の痴話喧嘩に貸す肩はないと? それとも、実はただの張子の虎か?」
「貴様、侮辱するか!」
激昂して立ち上がろうとするヴィークを、ガストが重々しく制した。
シンは構わず畳みかける。
「エンガードの狙いはそこだ。ハイランダーが出てくる前にスカイウェールを包囲し、孤立させる。数年かけて糧道を断てば、いかに屈強な戦士とて飢えには勝てない。……そうなる前に、あんたらの国は終わる」
「……ヴィーク、座れ」
ガストに促され、ヴィークは憤怒を滲ませながらも席に戻った。
シンは一度呼吸を置き、声を落とした。
「……まあ、あくまで俺の推測だ。だが、鉄理の規矩騎士団のライル団長も、本来はそう考えていたはずだ」
「はずだった、だと?」
「ああ。ろくに戦を知らないバカ官僚……ガンツやラングフォードといった手合いが、彼に短期決戦を強要した。その結果、騎士団と傭兵たちがマンプトンに集結した」
二人の鴉がシンを睨む。その視線には、驚愕が混じっていた。
「驚くことはない。俺たちはそのためにロンデニールにいたんだ。……さて、次の手札だ」
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3. 外科手術と密命
シンは身を乗り出し、二人の目を真正面から射抜いた。
「イライザ女王は、公式にはこの侵攻を黙認している。……だが、それはあのバカ侯爵二人に押し切られたからだ。彼女はこれを憂いている」
「憂いていても何もせん。傀儡には何もできん」
ガストの呻きを、シンは一喝した。
「だからこそ、俺たちがいる。……軍は、鉄理の規矩は動かない。いや、動けないんだ」
シンは右の拳を突き出した。
「第一。マンプトンに武器や糧食はもう届かない。俺たちがすべて止めた。……いや、奪ったと言ってもいい」
指を一本立てる。
「……何だと?」
「第二。戦争を煽っていたガンツとラングフォードは失脚した」
二本目の指を立てる。
「……それゆえ、マンプトンの軍勢は短期決戦の足を失った。侵攻計画は、物理的に立ち消えだ」
「それは、本当か……?」
ヴィークの声が震えている。
「本当だ。イライザ女王は傀儡じゃない。彼女は、血を流さずにこの国を腐敗から救うための『外科手術』を、俺たちに命じたんだ。……輜重隊を襲ったのは、そのための麻酔だよ」
「麻酔だと? ……随分と手荒な手術だな」
ガストの言葉に、シンの表情が冷徹なものへと変わる。
「あの武器で蹂躙されるよりはマシだろう? 武器を奪った俺たちと、その武器でスカイウェールの民を虐殺しようとした侯爵。どちらの罪が重いか、決めるのはあんたらの自由だ。だが、俺たちの『反逆』のおかげで、明日あんたの部下たちが飢えずに済むのも事実だ」
天幕の中に、張り詰めた沈黙が流れる。シンはその沈黙を裂くように、一気に勝負に出た。
「そしてこれは、単なる防衛戦ではない。エンガード女王イライザから我々が受けた真の密命――それは、スカイウェールを含む『四国宥和』、そして『四国連合』を実現させるための最初の一手だ」
「四国……連合……?」
ガストが呆然と聞き返す。かかった、と確信したシンは、懐から一通の書状を取り出した。
「いいか、これから話すことは最優先の国家機密だ。女王イライザは、近日中に『ブリタニア四国連合王権憲章』を発布する。……これを見ろ」
シンが机上に広げた『憲章』の写し。そこに記された条文を読み進めるにつれ、二人の鴉の顔が驚愕に染まっていく。
「……これは、本物なのか?」
ヴィークが呻くように言った。
「信じられん。……この内容が事実なら、エンガードは自国の利権の半分を、他三ヶ国に明け渡すことになるぞ」
シンは逃がさない。二人の瞳の奥を見据え、冷徹に、かつ情熱を込めて言い放った。
「信じられないか。……なら、仕方ない。この話はこれで終わりだ。お引き取り願おう」
シンが憲章の紙に手を伸ばした瞬間、ガストがその腕を掴んだ。
「待て……!」
鋼のような握力がシンの腕を締め付ける。
「もし……もしこれが本当で、実現できるというのなら……」
「実現できるなら、何だ?」
シンは不敵に、最高度の自信を込めて告げた。
「俺たちが、実現させるんだ。この手でな」
視線と視線が、火花を散らすようにぶつかり合う。
シンはすべての手札を晒した。鴉たちが持つ権限がどれほどのものかはまだ分からない。だが、彼らが国を想う真の隠密であるならば、答えは一つしかないはずだ。
「さあ、どうする? ――オズリック、ジグルド」
運命の天秤は、今、シンの手によって大きく揺れ動いていた。




