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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十二部:見えない牙と傭兵の地均し

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第4章:綻びゆく共謀、あるいは蛇たちの晩餐

1. 鉄の規矩、誇りの限界


エンガード王都ロンデニール。その中枢にそびえる王城アルバ・ロンダの一室には、重苦しい沈黙と、隠しきれない焦燥が満ちていた。


人払いを済ませた商務省大臣、ラングフォード侯爵の執務室。そこに呼び出されたのは、軍事派閥の巨頭ガンツ侯爵と、彼が秘蔵する精鋭、『鉄理てつり規矩きく』騎士団の団長、カシウス・ライルであった。


ライル団長は、北のスカイウェール境界線にある軍営地から馬を飛ばし、泥に汚れた軍装も解かぬまま、両侯爵への面会を強行した。その鋭い眼光は、戦場の硝煙を帯びたまま、目の前の二人の「文官」を射抜いている。


「ラングフォード侯爵。説明を願いたい。――武器が届かん。兵糧もだ」


低く、地這うような声が部屋に響く。


「これでは侵攻など夢のまた夢だ。侯、貴殿はスカイウェールを攻めよ、支援は万全にすると豪語されていたはず。だが現実はどうだ。我が騎士団は、飢えと装備不足で身動き一つ取れぬ」


ラングフォード侯爵は、贅沢な装飾が施された椅子に深く腰掛けたまま、鼻先でせせら笑った。


「……ライル団長ともあろう御方が、高々武器や糧食の不足程度で泣き言を漏らすとは。情けない。足りぬのであれば、現地で『調達』すれば済む話ではないか」


その言葉に、ライルの頬の筋肉がピクリと跳ねた。


「……約束が違う。兵を増やせ、兵器と糧食の供給はすべて請け負うという甘言を信じ、我らはマンプトンに至るまでに、正規騎士団以外に二千八百もの『賎民兵』を徴用したのだ。だが、肝心の物資が一切届かぬ。貴殿は、誇り高き我が騎士団に対し、賎民どもの食い扶持を得るために、自国の村々を襲えと命じるのか?」


「送らぬ、とは言っておらん。しばし待て。……今少しの辛抱だ」


「ガンツ侯にも伺いたい。輜重しちょうの手配はどうなっているのですか」


話を振られたガンツ侯爵も、苛立ちを隠さずに応じる。


「もちろんだ。少々手間取ってはいるが、すぐにマンプトンに着くはずだ。案ずるな」


ライル団長は、目の前の二人の「怪物」を交互に見つめた。彼らには現場の、泥を啜って剣を振るう兵たちの悲鳴が届いていない。


「……これは冗談では済まされませんぞ。このままでは、徴用した賎民兵は解散させ、送り返さねばならん。既に騎士団用の虎の子の糧食を奴らに与えている始末だ。……十日だ。十日以内に糧食が届かなければ、私は兵を引く」


「待て。それは早計というものではないか? たかが食事、一日二日抜いたところで――」


ラングフォードの、あまりに現場を無視した発言。それが、ライルの理性の糸を断ち切った。


「ラングフォード侯爵!」


怒号が空気を震わせる。ライルは、冷徹なまでの怒りを込めて言葉を紡いだ。


「戦の基本は兵站ロジスティクスです。文官である貴殿に兵の何たるかを説くつもりはないが、胃袋が空では兵は動かん。軍はただの案山子に成り下がる。貴殿が望むスカイウェール侵攻を実現させたいのであれば、能書きよりも先にパンと肉を寄越したまえ!」


ガンツ侯が助け舟を出すように口を開く。


「ライル団長、ならばやはり現地調達……」


「……誇りある『鉄理の規矩』騎士団が、賎民兵のために野盗の如く、自国の民から食料を奪えとおっしゃるか、ガンツ侯」


ライルの目は、もはや獣のそれであった。


「スカイウェールの領民であれば、何をしても構わぬとお思いか。我らが駐留するマンプトンは国境に近いとはいえ、敵地の村までは五十キロも離れている。その手前三十キロの地点には、険峻なるケンデイル砦が立ち塞がっているのだ。……空腹で死にかけている兵たちに、その砦を抜けとおっしゃるのか!」


「ぬうぅ……」


流石のガンツも、具体的な軍事上の困難を突きつけられ、唸るしかなかった。


ライル団長は、決然と立ち上がった。


「失礼な物言いをしたかもしれないが、これは我が騎士団の存亡に関わること。十日。それが限界だ。十日以内にマンプトンへ物資が届かなければ、賎民兵は解散。騎士団もロンデニールへ引き返す。……では、私はこれにて。貴殿らの『誠意ある』対応に期待する」


拍車を鳴らし、ライルは部屋を後にした。


________________________________________


2. 蛇たちの醜い足掻き


遠ざかる重い靴音を聞きながら、残された二人の侯爵は、苦虫を百匹噛み潰したような顔でお互いを見やった。


部屋の空気は一気に冷え込み、今度は協力者であるはずの二人の間に、不信の黒い霧が立ち込める。


ラングフォード侯爵が、低く濁った声で口火を切った。


「ガンツ侯。貴殿も輜重を手配したと言っていたな。あれはどうなった」


「……手配はした。間違いなく。ロンデニールから、荷馬車五十三両分という膨大な物資をマンプトンへ向けて送った。だが……なぜだ! なぜ、すべての車両が煙のように消える! 護衛をつけていた輜重隊が、一体どこへ消えたというのだ!」


「手掛かりは?」


「ない。輜重隊が通ったはずの街道を、何度も私兵に調べさせているが、血痕一つ、折れた車輪一つ見つからん」


ガンツは机を叩き、ラングフォードを睨み返した。


「ラングフォード侯爵! あなたの方はどうなのだ。商務省の権限を使い、自慢の商会どもに武器を揃えさせていたのではなかったのか?」


「…………潰れた」


「今、なんと?」


「……武器を手配させていた大手三商会が、すべて同時に破産した。代表たちとも連絡がつかん。夜逃げか、あるいは自害したか……」


ガンツの顔から血の気が引いていく。


「え……、それでは……?」


「武器調達の伝手を失ったということだ。今から他の商人に当たったところで、十日以内に数千の兵装を揃えるなど不可能だ。……私は手を引くぞ、ガンツ侯。あとは貴殿の力でなんとかし給え。軍の重鎮としての腕の見せ所ではないか。期待しているよ」


「な……ッ! 何を血迷ったことを! そもそも、スカイウェールへの挑発を言い出したのは貴殿ではないか!」


「何を言う? 文官の私が戦を仕掛けろなどと言うはずがなかろう。私は、戦争信奉者である貴殿に唆され、便宜上、物資調達の真似事をしただけだ。……そうか、わかったぞ。これは私を陥れるための罠だったのだな!」


ガンツは目を剥き、絶句した。


「な、な、何を……」


「貴殿は私を政治的に抹殺するため、わざと武器を調達させ、それを移送途中で自らの手兵に襲わせた。荷を奪い、私に不履行の責任を被せるつもりだろう!」


「貴様……ッ!」


「私は被害者だ。国のために動こうとして、無能な軍閥に足を掬われた……そういうことにさせてもらう」


ガンツが野獣のような咆哮を上げた。


「何をぬかすか! 貴殿こそ、被害者を装って武器商人の荷馬車を横領し、証拠隠滅のために商会を潰したのではないのか! さらには私の輜重隊を襲わせ、私を窮地に追い込もうとしているのは貴殿の方だ!」


「言いがかりだ!」


「そちらこそ、今になって保身のために手を切ろうなどと、見え透いた策を!」


エンガードの高貴なる二人の侯爵が、今にも襟元を掴み合い、醜い乱闘を始めようとしたその時――。


控えめだが、どこか意志の強さを感じさせるノックの音が扉を叩いた。


「……ガンツ侯爵様。失礼いたします。面会を希望する商人が来ておりますが……」


「今は大事な話の最中だ! 追い返せ!」


ガンツが怒鳴りつけるが、従者は扉越しに言葉を続けた。


「はっ……。ですがその者、『今お困りの状況についてもしかして助力できるかもしれない』、ゆえに是非にと申しておりまして……。いかがいたしましょうか」


「……何だと?」


二人の蛇は、ピタリと動きを止めた。


「……よし、会おう。連れて参れ! ――いいな、ラングフォード侯爵。貴殿も同席しろ。逃がしはせんぞ」


「……ふん。付き合ってやるわ。今回だけはな」


________________________________________


3. 均衡イクリブリアムの訪れ


「失礼いたします。商人を連れてまいりました」


従者の導きにより、部屋に二人の男女が入ってきた。


一人は、どこにでもいそうな、しかし酷く緊張した面持ちの若い男。そしてもう一人は――。


その女の姿を見た瞬間、ラングフォード侯爵の顔色が土色に変わった。


「ぬ……? 貴様は……」


それは、数日前に彼の傘下にある商会を、慈悲もなく踏み潰した『銅貨の天秤』の女、シルカであった。


シルカは、蛇たちの殺気立つ視線を柳のように受け流し、完璧な作法でカーテシーを披露した。


「お目通りをお許しいただき、光栄に存じます、ガンツ侯爵。わたくし、新たに設立されました『イクリブリアム商会』の代表を務めております、シルカと申します。お見知りおきを」


「……イクリブリアムだと? 聞かぬ名だな。儂がガンツだ。して、何用だ。今は忙しい、手短に申せ」


顔を上げたシルカは、瑞々しい唇に毒を孕んだ微笑を浮かべた。


「はい。それでは手短に。本日は、この男をご紹介に参りました。名はエドマンド。――『リブラ・アームズ』という、名もなき小さな商会を営む若者です」


シルカは、隣で震える男を促した。


「彼の商会は、設立当初よりセイゲル、ヴァナキー、ルナ・アヴェンリーといった大手三商会から不当な圧力を受け、風前の灯火にございました。……しかし。先般、幸運にも(・・・・)かの三商会が同時に倒産いたしましたことで、ようやく息を吹き返した次第。現在、彼は手持ちの武器を捌き、商会を立て直そうとしておりますが、未だ有力な販路を持っておりません」


シルカの言葉が、ガンツの耳に心地よい音楽のように響き始めた。


「もし叶いますれば、ガンツ侯爵様に御贔屓いただけるか、あるいは適当なお取引先様をご紹介いただければと思い、こうして参上いたしました」


ガンツは、喉から手が出るほどの喜びを顔に出さぬよう、必死に表情を押し殺した。


(武器がある……だと? 今、この瞬間に!)


「ふむ。……して、用意できる武器の類はなんだ。数は?」


エドマンドと呼ばれた男が、上擦った声で答える。


「は、はい! 剣を二百、皮鎧を二百二十……で、ございます!」


「そうか。(……少ない。だが、今はそれだけでも助かる!)よかろう、儂がすべて買い取ってやる。いくらだ、申してみろ」


「! ありがとうございます! ええと、価格は……」


エドマンドが答えようとするのを、シルカが優雅な手つきで制した。


「ガンツ侯爵様。――即金での『言い値』決済、ということでよろしいでしょうか?」


その不敵な提案に、ガンツの眉が跳ねた。


「言い値だと? 貴様ら、何のつもりだ。儂が買ってやると言っているのだぞ。通常通り、六ヶ月の手形決済だ。価格は……そうだな、市場価格の六掛け。それが妥当というものだ」


「ほほ。ご冗談を」


シルカの含み笑いが、冷たく部屋に響く。


「現在の武器市場は、突発的な『供給不足』により、軒並み値が上がっております。その価格ではお話になりません。……また、失礼ながら、侯爵様の財務状況を調べさせていただきました。侯爵様の現在の“信用”は、地を這うほどに低くなっております。申し訳ありませんが、不確かな手形などという紙屑ではなく、現金以外のお取引は一切お受けできかねますわ」


「何を抜かす! 儂を信用できぬだと! 貴様、貴族であるこの儂を愚弄するつもりかッ!」


ガンツが机を叩いて立ち上がるが、シルカは眉一つ動かさない。


「お気に召しませんでしたら、お詫びいたします。……このお話は、無かったことに。大変失礼いたしました。これにて退散させていただきますわ」


シルカは流麗な動作で背を向けた。


その瞬間、ガンツの脳裏にライル団長の「十日」という宣告がよぎる。ここでこの女を逃せば、破滅を待つのみ。


「ま、待て……! 待てと言っているのだ!」


蛇は、自ら差し出された獲物に、喉元を差し出す他なかった。均衡イクリブリアムという名の網に、彼らはすでに絡め取られていたのである。


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