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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十二部:見えない牙と傭兵の地均し

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第3章:黄金の落日と、吹き抜ける不穏な風

1. 漆という名の特異点


エンガード北部の荒野。マンプトンとヨルムヴィックのちょうど中間地点、街道から外れた窪地に、緋色の傭兵団の臨時野営地が設営されていた。吹き抜ける夜風は鋭く、湿った土の匂いが立ち込めている。


焚き火の爆ぜる音が響く天幕の中で、副団長シンは、ハンス、オットー、そして『鉄くずの掟』の陸と共に、一人の少女――ななからの報告を受けていた。


「で、その後はどうなった?」


シンの問いに、漆は口元を歪めてクスクスと肩を揺らした。


「はいー。ぷぷぷ。お笑いですー、副団長さん」


「……漆。お前の感想はいい。冷静に、事実だけを、客観的に話せ」


シンの冷徹な視線が漆を射抜くが、彼女はどこ吹く風といった様子で指を弄ぶ。


「分かりましたー。えーっとですね。セイゲル、ヴァナキー、レックスのくそったれ商人三人はー、あの会合からの三日間―、店員を総動員して、自分たちも泥だらけになって金策に走り回ってましたー。でもでもー、どこもー誰にもー相手にされませんでしたー。笑っちゃいますよねー。ガンツの戦争バカ貴族にも泣きついたようですがー、門前払いを食らったようですー」


ニコニコと、まるで花の蜜でも吸っているかのような愛らしい笑顔で残酷な末路を語る漆。シンはこめかみに指を当て、深く溜息をついた。


(どこが冷静だ。感情がだだ漏れじゃないか。シルカの奴、何を考えてこんな『劇物』を寄越したんだ……)


「漆。内容は分かったが、その喋り方、もう少しまともにできないのか? 報告だぞ」


すると、漆は一瞬だけ無表情になり、コホンと大仰に咳払いをした。その直後、彼女の口から出たのは、先ほどとは似ても似つかぬ、重厚で洗練された「報告」だった。


「セイゲル、ヴァナキー、レックスら三名の老魁ろうかいは、自らの窮状を脱せんがため、秘蔵せる別邸や名工の手による美術工芸品、さらには不動産から動産の類に至るまで、ことごとくを換金せんと足掻きを見せました。


されど、我らが紐帯ちゅうたいたる『銅貨の天秤』が、『当方の抵当権が設定されし物品を、許しなく購う不届き者は、明白なる敵対者と見なす』との峻厳しゅんげんなる通達をあまねく発せし故、その威を恐れ、買い手に名乗りを上げる者は一人として現れぬ事態となりました。


さらに彼らは、闇のあだに接触を試み、再起の活路を見出さんとしたようですが、これについては『鉄くずの掟』が事前に万全の根回しを完了させておりました。結果として、三老の招請に応ずる勢力は皆無。今や彼らは完全に孤立無援の境地に追い込まれた由にございます。


主さまより拝命いたしました『均し(ならし)』の密命、万事滞りなく推移しておりますれば、どうぞご休心くださいますよう」


「……悪かった。いつもの喋り方でいい」


あまりの変貌ぶりに、シンは頭を抱えて降参を示した。漆は満足げに頷き、なぜか小さな拳をグッと握っている。


「……続けてくれ」


「はいー。三日後、『銅貨の天秤』のシルカ様は、三バカ老人の元へ配下を強制執行に向かわせましたー。それぞれのー、商会に到着したところー、ほぼすべての店員はー、逃げた後でありー、備品がー持ち去られたりー、暴徒に強奪されたりしてー、在庫品もほとんどなくなっておりましたー」


漆はまた「ふにゃり」とした口調に戻り、状況を淡々と、しかし愉悦を込めて語る。


「トム・セイゲルはー、自害しておりましたー。ラングフォードやガンツに対する恨みつらみを、それはもうびっしりと書き綴った遺書が見つかっていますー。ヴァナキーはー、自我を失っていましたー。何を問いかけても、ヨダレを垂らして反応しなかったそうですー。……あ、でもレックスは、逃げやがったです」


「ん? 逃げた?」


「はい、持てるだけの金貨を持って身一つで」……あ、漆、この野郎、今普通に喋ったな?


シンが指摘する間もなく、漆は素早く「ぷぷぷー」と誤魔化す。


「見失ったのか?」


「『銅貨の天秤』を舐めないでくださいー。レックスのくそったれはドルベス港に向かって逃亡を図っています。現在、複数のチームで追跡中。ドルベスの協力者をあぶり出して、一網打尽にする予定とのことですー」


「分かった。シルカにお疲れさん、と伝えてくれ。それと、『風読みの鴉』の情報を回してくれと頼んでくれ」


「承知しましたー」


漆はひらひらと手を振り、軽やかな足取りで天幕を出て行った。


その背後を見送りながら、シンは同席していた三人の顔を見た。


オットーは「可愛いお嬢さんだねえ」とニコニコしながら白湯を啜っているが、ハンスは苦虫を十匹ほど噛み潰したような顔で、「あんな奴、特務隊にいたら性根を叩き直してやる……」と物騒な独り言を漏らしている。


一方、陸は目を閉じ、口を真一文字に結んで沈黙していた。その肩が微かに震えているのは、恐怖か、あるいはかつての支配者が墜落したことへの複雑な感慨か。


「コホン。……さて、武器商人たちの処置はこれで一段落だ。問題は、各地で『消失』させて回収した鹵獲品――武器と糧食の扱いだが」


オットーが帳面を開き、事務的な声を出した。


「武器・武装は大体八百人分。糧食は携帯食を中心に千二百人の二ヶ月分だ。緋色の傭兵団で消費するには、いささか分量が過ぎるね」


「……売ろうか」


「そうだね。だがブリタニア国内で公然と売るわけにはいかない。いっそ、喉から手が出るほど物資を欲しがっているエンガード軍部に、高値で売りつけてやろうか? どう思う、シン」


「いい考えだ。……陸、お前のところで『怪しい武器商人』を演じられる、胆の据わった奴はいないか?」


「……探しますが。そいつを、商人の身代わりに?」


「ああ。選んだらオットーさんのところに連れてこい。即席の『武器商人の立ち振る舞い』を叩き込んでもらう」


「……分かりました。至急、人選します」


立ち上がろうとした陸を、シンが手で制した。


「まだだ。悪いがもう一つ用事がある。陸、お前が街から集めてきた千二百人の連中だが……手練れと、どうしても使い道のある『本物のならず者』を除いて、全員解散させろ。当面の生活に困らないだけの報酬を渡し、このやくざな商売から足を洗わせるんだ」


陸が驚愕に目を見開く。「解散、ですか?」


「そうだ。これからの行動に数は必要ない。必要なのは、影に潜んで牙を剥ける少数精鋭だけだ。素人は足手まといになる。……何人残る?」


「……俺が目利きしたところでは、使い物になるのは百八十人といったところでしょう。残りの千人は、金を渡して帰らせます」


「頼んだ。残った百八十人は、ヤミルの直属として再編する。……それから、陸。お前たちとも、ここでさらばだ」


「え……?」


「ここからは本物の戦場になる。お前は戦いには向かない。『鉄くずの掟』は、今すぐエンガードに戻れ」


「シンさん……見捨てられるんですかい?」


「馬鹿を言え。エンガードに戻って、街の裏社会を完全に統括する組織の基盤を作れ。資金は『銅貨の天秤』から回すように手配しておく。……いいか、前のようなただのごろつきに戻れと言っているんじゃない。街を守り、裏から民を支える集団になれ。必要な面子を連れて行け」


「シンさん……」


陸は感極まったように声を詰まらせたが、シンの峻烈な眼差しに背筋を伸ばした。


「……ありがとうございます。必ずや」


陸は深く一礼し、天幕を後にした。


去りゆく陸の背中を見つめながら、ハンスが低い声で呟く。


「監視をつけるか?」


「必要ない。あいつも馬鹿じゃないし、何より裏切れば『銅貨の天秤』が黙っていないだろう。……そうだろう、漆?」


シンが天幕の隙間に向かって声をかけると、「ひぇっ!」という裏返った声が聞こえた。パタパタと小走りで遠ざかる足音が夜の静寂に消えていく。


ハンスとシンは、お互いの顔を見て、悪党のような不敵な笑みを交わした。


________________________________________


2. 鴉たちの影


「オットーさん。鹵獲品だが、二百人分程度をエンガード軍に流す。陸が選んだ男をそれなりに『武器商人』らしく鍛えてやってくれ」


「分かった。残りは?」


「百八十人の新規隊員の装備に充てる。携帯食は移動に困らない分を確保し、残りはすべて売却だ。『銅貨の天秤』に頼んでドルベス港経由でゲルマニア海運商会へ流せ。あっちの大陸なら、いくらでも捌ける」


「そうだね。売却益は……」


「『銅貨の天秤』への手数料と駄賃だ」


「……そりゃあ残念」


オットーは全く残念そうではない顔で立ち上がり、どっこいしょと腰を叩きながら外へ出て行った。


天幕の中に、シンとハンスの二人だけが残される。


「ハンス。北の状況は?」


「国境付近にエンガード軍の斥候が数隊出ているが、スカイウェール側は不気味なほど無人だ。静かなものだよ」


「人がいないのか、あえて誘い込んでいるのか……あるいは、内紛でそれどころではないのか。どちらにせよ、物資を失ったエンガード軍は進軍すらままならない状況だ。……しばらくは、こちらが盤面を動かす番だな」


その時だった。


「シンさーん!」


またしても、あの緊張感を削ぐような声と共に、漆が天幕に飛び込んできた。


「シルカ様よりー、連絡がー、来ましたー!」


「静かにしろ。……で、何だ」


漆はニヤリと、今度は少しだけ真剣な色を瞳に宿して告げた。


「はいー。明日、『風読みの鴉』の代表者二名を連れて、シルカ様自らこの野営地に来られるそうですー」


「……何だと?」


シンは思わず椅子から立ち上がった。


「風読みの鴉」――。スカイウェールの裏社会を牛耳り、比類なき情報収集能力を持つとされる隠密組織。その代表が、この辺境の野営地に直接やってくるというのか。


「いきなりすぎるだろうが……!」


シンの呟きは、夜風にさらわれて消えた。


翌日の会談が、単なる同盟交渉に留まらないことを、彼の直感が告げていた。ブリタニア四国連合という「見積書」を現実にするための、真の暗闘が幕を開けようとしていた。


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