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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十二部:見えない牙と傭兵の地均し

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第1章:深淵からの招待状、あるいは「Z」の微笑

第十二部:見えない牙 〜黄金の落日と沈む不渡り〜


剣ではなく「金」と「情報」で敵を屠れ。武器商人の独占を崩し、不渡りの連鎖で強欲な貴族たちを自滅へと誘うシンの「見えない牙」。情報組織『Z』の大陸担当・漆との共闘により、物流を支配する経済的包囲網が完成する。戦場に至る前の圧倒的な盤面支配が、武力統一を叫ぶ主戦派の足元を根底から崩し、腐敗した王国の秩序を浄化していく。


1. 硝煙と香水の再会


女王イライザとの歴史的な会合から二日。ロンデニールの街は、嵐の前の静けさを湛えていた。


シンは、ハンスとオットーを伴い、活気あふれる中央通りを歩いていた。その目的地は、数日前に「不吉な予言」を残してきた商館――『銅貨の天秤』である。


「『また遊びに来て下さる? 面白いお話があります』……か。食えない女だ」


シンの懐には、昨日届けられた一通の書簡があった。上質な紙に、どこか挑発的な筆致で記された招待状。


「シン君、罠の可能性は?」


オットーが眼鏡の位置を正しながら尋ねる。


「ハンスの特務隊が周囲を固めている。それに、あの女は『損得』で動く。今の俺たちを害するメリットはないはずだ」


商館に足を踏み入れると、給仕に案内されるまでもなく、最上階の奥まった私室へと通された。


そこには、先日と変わらぬ余裕の笑みを浮かべた女ボスが、香い立つ紅茶を手に座っていた。


「久しぶりだな」


シンが椅子に腰を下ろすと、女は可笑しそうに肩を揺らした。


「あら、何が久しぶりよ。先日お会いしたばかりじゃない。……死地を潜り抜ける傭兵にとっては、数日も数年も同じ感覚なのかしら?」


「挨拶はいい。どのような話がある」


シンが単刀直入に切り出すと、女は妖艶な笑みを深めた。


「面白いお話よ。……でも、それは貴方たちの方がお持ちなのではないかしら?」


「どういう意味だ?」


「とぼけないで。強力な『手札』を手に入れたのでしょう? ……今はまだ『ハートのクイーン』。でも、それが間もなく『女帝』に書き換えられる。違うかしら?」


静寂が部屋を支配した。シンは表情を動かさず、冷徹な視線で女を見据える。


「……何の話だ」


「ふう……。私もそれほど気が長い方ではないの。なら、これで信じてもらえるかしら?」


女は、一枚のカードをテーブルに滑らせた。


そこには、墨のように黒いインクで、ただ一文字。


『Z』と記されていた。


「――ッ! ここに、いたのか……!」


ハンスが、その生涯でも稀なほどに驚愕した声を漏らした。シンの背筋にも、冷たい戦慄が走る。


大陸各地で暗躍し、絶対中立にして絶対正確な情報を売ると噂される伝説の情報組織『Z』。その中枢が、まさかこんな地方都市の暴力組織に擬態していたとは。


「改めて名乗りましょう。この『銅貨の天秤』を差配し、『Z』の一角を担うシルカ。……オース大陸の出身よ」


「オースだと?」


シンが眉を潜める。


「そう。西方からはるか南東、かつては流刑地だった『魔大陸』。……これで、私たちがなぜ『異物』なのか、理解していただけたかしら?」


________________________________________


2. 異邦の投資家


シンとハンスは無言で警戒度を最高レベルに引き上げた。魔大陸オース。魔生物が跋扈し、魔族が独自の文明を築く地。そこから来た者が、なぜブリタニアの裏社会に根を張っているのか。


「なぜ正体を明かした。……はるか遠方から西方へ来り、裏社会を牛耳る『Z』が、一体何を企んでいる」


「あら、誤解しないで。含みはないわ。私たちは盟主のある目的のために動いているけれど、ここにいるのは純粋な情報収集のためだけ。食べていくために、情報を切り売りしているに過ぎないの」


「そのために『銅貨の天秤』を乗っ取ったのか」


シンの問いに、シルカは溜息をついた。


「盟主様はひどいのよ。『現地に根差せ。食い扶持は自分で探せ。軍資金は一銭も出さない』って。だから、手近にあったここを喰わせてもらったの。お金は腐るほどあるし、腐った貴族たちの情報も山ほど手に入るでしょう?」


先ほどまでの陽気な気配が消え、シルカの瞳に真剣な光が宿った。


「これから貴方たちが行うことに、私たちを加えさせてもらえないかしら?」


シンはハンスに視線を送った。ハンスは微かに首を横に振る。あの秘密会談の防諜は完璧だったはずだ。どこからも漏れるはずがない。……それを、この女は見抜いている。


「……どこまで気づいている」


「私たちは貴方たちと敵対する意志はないわ。むしろ、このブリタニアにおいては共闘したい。私たちの武力は大したことないけれど、情報と『金』――これならいくらでも提供できる」


シルカは畳みかけるようにハンスを見た。


「ハンスさんの特務隊が優れているのは認めます。でも、貴方たちがここに来てまだ数日。私たちは何十年もこの地に沈んでいるのよ。情報の深さが違うわ。どう、ハンスさん?」


「……否定できん」


ハンスが忌々しげに、しかし事実を認めるように呻いた。


「そして、金。この『銅貨の天秤』が吸い上げてきた裏の金。必要なだけ提供するわ。どうせ『事』が終われば、返す当てもない泡銭ですもの。有効に使いたいとは思わない?」


それまで黙っていたオットーが、身を乗り出した。


「……使える金は、具体的にいくらほどあるのかね?」


シルカが耳元で数字を囁いた瞬間。


――パキリ、と。


オットーが手にしていたペンが、驚愕のあまりへし折れた。


「なっ……!? どうやってそれだけの額を……。それだけあれば、一国の経済を……」


震える手で算盤を弾き始めるオットーを無視し、シンはシルカを見据えた。


「……何を求めている。見返りは何だ」


「何も。私たちはただ、この地で平穏に生活したいだけ……。あら、そんなに睨まないで。冗談よ。……本音を言えば、『女帝』に紹介してほしいの」


「それは“オースのZ”としてか?」


「いいえ、“ブリタニアのZ”としてよ。あそこの王城、防諜がガバガバなのは知っているでしょう? 私、ああいう不潔な状態が我慢ならないの。私たちが、彼女の『耳』になってあげたいのよ」


シンは腕を組み、沈思した。


彼女らと組む利点は計り知れない。オットーが絶句するほどの資金があれば、王女から一銭も受けていないこの「地均し」作戦を、国家規模の戦略へと格上げできる。


だが、危険も大きい。彼女らは毒だ。十数年後には、ブリタニアそのものが『Z』に食い散らかされている可能性もある。


シンはシルカの目を覗き込んだ。


「なぜ、そこまで女王に肩入れする?」


シルカは人差し指を唇に当て、「これは内緒よ」と、極めて個人的で、かつ致命的な『秘密』を囁いた。


「…………ッ! ははははははは! なるほど、そりゃあ誰にも言えねえな! 分かった、手を組もう!」


その秘密に、シンの直感が「真実」だと告げた。彼女らが女王を支える動機としては十分すぎる。


シルカはにっこりと微笑み、手を差し出した。


「よろしくね、副団長さん」


________________________________________


3. 黄金の重みと「漆」の少女


女王との正式な謁見は、事態が一段落してからという約束になった。


シルカは一人の女性を招き寄せた。


「彼女を紹介するわ。私たちとの連絡係。貴方たちの傭兵団に入れてあげて。名前は……そうね、『なな』でどうかしら?」


シンの眉がぴくりと動く。こちらのナンバリング制度まで把握しているとは。


「……いいだろう。すべて飲み込んで使ってやる。漆、すぐに出られるか?」


「いつでも大丈夫でーす!」


現れた漆という少女は、驚くほど軽薄な、現代的な口調で応じた。だが、その足運びには一切の無駄がない。


「陸のところへ行くんだろう? この娘も連れて行って」


「ああ。……で、今すぐ出せる金はいくらだ?」


「これくらいなら」


シルカが指を三本立てる。シンは頷いた。


「用意してくれ」


シルカが手を叩くと、給仕が巨大な麻袋を三つ運び込んできた。中にはぎっしりと、エンガードの金貨が詰まっている。


「追剥に気をつけてね」


「誰に言っていやがる」


シンは漆を伴い、黄金の重みを感じながら商館を後にした。


________________________________________


4. 鉄くずの牙、武装の咆哮


ロンデニールの中心街を抜け、歓楽街の外れにある『鉄くずの掟』のアジトへ到着した時、そこには異様な緊張感が漂っていた。


ボスの「陸」と、その部下たちが、借りてきた猫のように直立不動で整列していたからだ。


「止めてくれ、軍隊じゃないんだ。俺たちは仲間だ。もっと気楽にしろ」


「へい、ボス!」


「その呼び方もだ。俺はシンでいい」


「へい、ボッ……シンさん!」


シンは担いできた金貨の袋を、陸の執務机の上にドサリと置いた。衝撃で金貨が零れ落ちる。陸の目が皿のように見開かれた。


「……これで、三日以内に兵隊を三百人揃えろ」


「さ、三百……!?」


「そうだ。街のごろつきでも失業者でもいい。まず飯をたらふく食わせて体力を戻せ。装備は中古でいいが、まともに使える剣と盾、皮鎧を揃えろ。弓が撃てる奴には弓矢を。それと、十日分の携帯食を持たせて、ロンデニール西北の街道沿いに集結させろ」


「三百人に……まともな装備……。一体、何をするんで?」


シンは、暗い歓喜を瞳に宿してニヤリと笑った。


「武装するんだよ。これから『出入り』が始まるからな」


「出入り……ですかい?」


「ああ。陸、お前が責任を持ってこいつらを率いろ。頼んだぜ。……ああ、それから」


「は、はい! 他に何か……」


「今後、この手の『出入り』は頻発する。兵隊はどんどん集めておけ。最終的には……そうだな」


シンは脳内で戦場図を描き、淡々と告げた。


「一千二百は欲しい。金が足りなくなったら使いを出せ。必要なだけ用意してやる。……あ、少しでも懐に入れたら、その手首を切り落とすからな」


陸はポカンと口を開け、額から一筋の汗を流した。


「……頼んだぜ」


シンが建物を去ると同時、背後から「野郎ども、聞いたかあッ!」という陸の怒鳴り声が響き渡った。


アジトを出たシンの頭脳には、すでにブリタニアの地図が広げられていた。


既得権益の腐った根を、どこから引き抜くべきか。


「……さあ、掃除を始めようか」


冬の風が吹き抜ける中、シンは漆を連れ、戦場へと続く一歩を踏み出した。


文字通り、黄金の力と暴力の嵐が、今まさにエンガードを呑み込もうとしていた。


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