第10章:ブリタニア株式会社の産声
1. 嵐の前の静寂と「陸」の徴用
女王イライザとの緊迫した会合を終え、夕闇が迫るロンデニールの街を拠点へと引き返しながら、シンは隣を歩くハンスに声をかけた。
「ハンス。明日の会合に関してだが」
「特務隊を全員動員します。女王の登城から会場までの全経路を密かに掌握し、不測の事態に備える。……よろしいですね?」
「ああ、任せた。阿吽の呼吸だな」
シンは短く応じると、視線を路地の暗がりに向けた。
「俺はこれから『陸』――鉄くずの掟のところへ行く。泥を啜って生きている連中の耳を借りたい」
「……商人たちの動向を探るのですか?」
「それだけじゃない。この二、三日の間に起きた『いつもと違う些細な変化』をすべて洗い出す。鼻の利く野良犬どもの情報網なら、腐りかけた貴族の陰謀も嗅ぎ取れるはずだ」
ハンスが頷くのを確認し、シンは付け加えた。
「それと、昨夜ヨーク子爵から受け取ったメモだ。燃やす前に俺に見せろ。あいつの思考の癖を、今のうちに計っておきたい」
「承知しました。バラバラに破棄されていましたが、修繕して後ほど」
「ねえ、ねえ、シン! いつになったら暴れられるんだ?」
後ろから、能天気な、しかし物騒極まりない声が飛んできた。団長のガーブだ。彼女は先ほどの難しい政治談議など一文字も聞いていなかったのだろう。
「……あと数日だ。それまで爪を研いでおけ」
「分かった! 約束だぞ!」
ガーブはふんふんと鼻歌を歌いながら、楽しげに足取りを弾ませる。その無邪気なまでの戦闘狂ぶりに苦笑しつつ、シンは一行と別れ、スラムの深部にある『鉄くずの掟』のアジトへと向かった。
アジトの長となった「陸」に、街の噂、商人の金銀の流れ、そして微細な違和感の収集を命じると、シンは深夜の冷気に包まれながら拠点へと戻った。
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2. 高級レストランという名の「舞台」
拠点に戻ると、軍務卿からの使いが既に到着していた。
「明日の会合は、繁華街一等地にある高級レストラン『ラ・セーヌの盾』の個室にて」
その伝言を聞いた瞬間、シンは顔を顰めた。
(……甘い。甘すぎるぞ、軍務卿。俺たちは薄汚れた傭兵だ。そんな連中が一等地の店に入っていけば、それだけで『何事か』と噂になるに決まっている)
だが、シンは即座にその失策を「利用」することに決めた。
「ハンス。この情報をわざと漏らせ。『女王が秘かに、例の凄腕傭兵団と密会している』という噂を、尾ひれをつけて流させるんだ」
これを起点として、敵対勢力の動きをあぶり出し、エンガードの政局を強制的に加速させる。毒を食らわば皿まで、というわけだ。
翌朝。昼前。
「堅苦しいのはお断りだ!」と叫んで逃走したガーブを放っておき、シン、オットー、ハンスの三人は会合場所へと向かった。
オットーは手慣れたもので、高級商人のような品格のある装い。ハンスは漆黒の外套に身を包んだ寡黙な従者。そしてシンは――。
「……似合いすぎているな。シン、お前はやはり『小間使い』の才能があるぞ」
「クリス、黙れ。解せぬ……」
結局、シンは商人の荷物持ちのような冴えない格好をさせられ、団員たちに笑われながら拠点を出た。
レストランに到着すると、ハンスの特務隊から「女王、無事に到着」の報が入る。
守る側も甘ければ、攻める側も準備不足。この国の緊張感のなさに呆れつつ、一行は給仕に案内され、重厚な扉の向こうにある個室へと足を踏み入れた。
そこには、既にグレヴィル軍務卿、ヨーク子爵、そしてイライザ女王が待っていた。
女王は、裕福な貴族の令嬢のような、いくらか控えめなドレスを纏っていた。
「ガーブは団員の訓練に立ち会っているため、欠席だ」
シンが手短に言い訳を済ませると、会合の幕が上がった。
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3. 「ブリタニア株式会社」の設立
「――これが、私の出した『見積書』です」
イライザ女王が、自らの手で紙とペンを取り、淀みない筆致でその「意志」を書き記していく。シンたちが黙って見守る中、白紙の紙が、ブリタニアの運命を塗り替える一文で埋め尽くされていった。
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『ブリタニア四国連合王権国・再編憲章(草案)』
一、ブリタニアを『四国連合王権国』として再定義し、統治を四国の代表による「合議制」に移行する。
一、対外折衝および外交窓口は、エンガードが専任する。
一、合議の議長はエンガード、あるいは三国の互選により選出する。
一、全土に関わる議事は代表の合意を原則とするが、決裂した場合は「議長の裁定」を絶対とする。
一、国内外の通行税を即時撤廃し、四国間の移動・移住を完全に自由化する。
一、職業選択、宗教、文化、思想の自由を全土で保障する。
一、度量衡を統一し、共通貨幣制度の礎とする。
一、複雑な旧税制を廃止し、「収入税」を導入する。
一、各国固有の軍隊を解体し、一元管理された『ブリタニア連合軍』を創設する。
一、これに反し武装蜂起する者は「賊」と見なし、内乱罪として処断する。
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イライザはペンを置くと、最後に署名を添えた。
『イライザ・エンガード――八百万の神々と共に清明心で生きる者として、ブリタニアの繁栄を願い、これを記す』
その署名を目にした瞬間、シンは堪えきれずに吹き出した。
「はっ……はっはっは! こいつは最高だ、女王! あんたは『平和』を願ったんじゃない。――『ブリタニアという名の巨大商会』を立ち上げるつもりなんだな!」
シンの言葉に、同席した男たちの顔が上がる。
「あんたは自らの王冠を叩き割り、四つに分けた。だが、ただ壊したんじゃない。意思決定の鈍化を防ぐために決裁権を議長に残し、その優先権をエンガードが握る。押さえるべき急所を完璧に突いている。……これこそ、真の意味での『共同統治』の形だ」
商人の魂を持つオットーが、にんまりと深く笑みを刻んだ。
「商業的にも、この見積もりは天才的です。通行税の廃止と移動の自由……これは古い特権階級への死告状ですが、同時にブリタニア全体を一つの巨大な単一市場へと変貌させる。スカイウェールの資源、ウルステアの技術、ガレシアの労働、そしてエンガードの資本。これらが障害なく混ざり合えば、ブリタニアは大陸諸国を圧倒する経済大国へと化けるでしょう」
「各国軍の解体と連合軍の創設……」
グレヴィル軍務卿が震える声で呟く。
「軍事権の一元化は、不毛な内戦を根絶し、対外的に絶対的な抑止力を持つことに繋がる。これは強力だ」
ヨーク子爵の目も、かつてないほどの熱を帯びていた。
「自由競争経済の導入は、民に莫大な富をもたらす。そして収入税への一本化は、国庫をかつてないほど潤わせるでしょう。外交の連続性を保持しつつ、実質的な主導権を握る……。陛下、これならば、これならばブリタニアは生き残れる!」
沈黙の中に、熱狂が渦巻く。イライザも、自らの描いた青写真が専門家たちに絶賛されたことに、安堵と誇らしげな表情を浮かべていた。
だが――。
「だが、な」
シンが氷のような冷たい声を差し込み、場の熱を一気に凍りつかせた。
「これ《・・》を今このまま公表したところで、『紙の上の虎』だと笑われて終わる。それどころか、既得権益にすがる連中に、女王、あんたが排斥されてすべては灰になるだけだ」
全員の視線がシンに集まる。彼は机上の紙を指先で叩いた。
「これを実行するためには、絶対に欠かせない『前提条件』がある。……分かるか?」
イライザが、苦しげに唇を噛んだ。
「……『更地』にすること、ですね」
「そうだ。よく分かっているじゃないか」
シンは獲物を狙う目になった。
「戦争屋、武器商人、そして連中の甘い汁を吸い続ける腐れ貴族。ここは今、毒草が繁茂する荒地だ。その上にこんな壮大な伽藍を建てようとしたところで、基礎が腐っていればすぐに崩落する。……家を建てる前に、まずは念入りに整地して、反対する連中を根こそぎ掃除しなければならない」
「その方法までは……私一人の力では、及びませんでした」
イライザが項垂れる。その肩に、オットーが穏やかに、しかし逃げ場のない言葉をかけた。
「陛下。掃除の方法を考えるのは、貴女の役割ではありません。王は目的を示し、責任を負う。……後は我々専門家が目標を定め、この国を完璧な『更地』にしてご覧にいれましょう」
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4. 直属執行官、拝命
シンは席を立ち、皮肉めいた笑みを浮かべながらも、一分の隙もない礼を女王に捧げた。
「女王陛下。ぜひ俺たち『緋色の傭兵団』に、その更地を作るための『地均し』を命じていただきたい」
イライザはシンの瞳をじっと見つめ返し、深い決意を込めて頷いた。
「……お願いして、よろしいでしょうか」
「是非に」
女王は背筋を伸ばし、一国の主としての威厳を取り戻して宣言した。
「緋色の傭兵団に命ずる。我が望み、この見積もりを拒む“賊”を排し、新しきブリタニアの夜明けを我が手に引き寄せよ。……これより貴殿らを、我が直属の『執政官』に任ずる。その知恵と刃をもって、我が意志を形にせよ」
「――了解だ、女王。不渡りを出して逃げようとする連中の首、きっちり回収してやるよ」
シンは不敵に笑い、拝命の言葉とした。
「ただし、これは極秘事項だ。見積書の内容も、俺たちの契約も、一切を表に出すな。……だが、その時が来たら躊躇なく、一気に刈り取る。いいな?」
シンはグレヴィル軍務卿とヨーク子爵にも、釘を刺すような視線を送った。
「口は貝のように閉じていろ。記録も残すな。もし漏れたら、あんたらの首が最初に飛ぶと思え」
シンの急激な空気の変貌に、ヨーク子爵は背筋を震わせていたが、グレヴィル卿は平然と頷いた。
「承知した。……我々はもはや一蓮托生だ。失敗すれば、どのみち生きてはおれまい」
「その認識は正しい。だが、失敗などという言葉は、俺の辞書にはない」
「後は、『損切り』に耐えられる組織作りだ。城の防諜も、な」
シンの言葉に、軍務卿が力強く応じた。
「その点は……私がやってみよう」
「やってみよう、か?」
「……失礼。必ず、やり遂げる」
男たちは、暗闘の開始を告げる不敵な笑みを交わし合った。
その後、給仕を呼んで運ばれてきた料理は、この世のものとは思えないほど美味だった。たわいもない世間話を交わしながら、彼らは束の間の「平和」を演じた。
会食を終え、レストランを出たシンの瞳には、もはや小間使いの影はなかった。
「さあ、進撃の開始だ。……これからは、傭兵の時間だぜ」
夜の帳が下りるロンデニールの街に、緋色の牙が、静かに、しかし確実に剥かれようとしていた。




