第6章:白亜の玉座と氷の女王
1. 謁見の間の静寂
重厚な大扉が左右に開ききった瞬間、朗々とした声が広大な空間に響き渡った。
「女王陛下へ、奏上いたします!」
「軍務卿、ロデリック・グレヴィル伯爵。ならびに西方より招致せし『緋色の傭兵団』――団長ガーブ以下、三名。御前に到着いたしました!」
そこは、アルバ・ロンダ城の心臓部とも言える謁見の間であった。
見上げるほど高い天井には精緻なフレスコ画が描かれ、中央には幅十メートルほどの深紅の絨毯が、真っ直ぐに奥の玉座へと続いている。その両脇には、ブリタニアの国政を担う重鎮や貴族たちが、壁際に居並んでいた。
シンは歩みを進めながら、左右の視線を冷静に分析した。
(……予想通りだな。物珍しげにこちらを見る者もいるが、大半の目は「不浄なもの」を見るような嫌悪と、隠しきれない敵意に満ちている)
彼らの背後には、等間隔で白銀の甲冑を纏った騎士たちが直立していた。一見して「王権の盾」より練度が高いことが分かる。近衛兵だろうか。
正面、玉座の手前には、文官の長らしき三人の老臣と、鋼のような視線を放つ二人の武官が、防波堤のように立ちはだかっていた。
そして、その三段ほど高い壇上の奥――。
彫刻のように美しい姿勢で玉座に深く腰掛けているのが、この国の主、イライザ女王であった。
軍務卿の後に続き、シンたちは静寂の中を歩む。
玉座の十歩手前でグレヴィル卿が膝をつき、最敬礼の口上を述べた。シン、ガーブ、オットーの三名も、その横で同じく膝をつく。
「白亜の王城アルバ・ロンダの主、神聖十字の守護者、エンガードの輝かしき絶対王権、イライザ陛下。軍務卿ロデリック・グレヴィル、陛下の御前に参じました。……そして、かねてよりご興味を抱かれておりました『首狩りの剣と天秤』を、今ここに連れてまいりました」
伯爵の声が、冷たい大理石の壁に低く反響する。
「ここに控えるは、ゲルマニアにてアレク大公の影の同盟者として勇名を馳せし、『緋色の傭兵団』にございます」
(……食えない狸め、全部ばらしてやがる)
シンは内心で毒づいた。グレヴィル軍務卿は、彼らがゲルマニアで成し遂げた功績も、アレク大公との密接な関係も調べ尽くしている。単なる腕利きの傭兵としてではなく、政治的な「劇薬」として自分たちを提示してみせたのだ。
周囲の騎士たちの視線が、瞬時に変質した。蔑みは消え、代わりに正体不明の「プロの殺し屋」に対する鋭い警戒心へと変わる。だが、シンにとっては好都合だった。この清潔すぎる城の空気には、少しくらい血の匂いが混じっている方が落ち着くというものだ。
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2. 氷の眼差しと「強い風」
「陛下。『緋色の傭兵団』団長ガーブ。そして、軍師兼副団長のシンにございます」
紹介を受けながら、シンは顔を上げ、視線を逸らさずに女王を観察した。
『峻烈なる白亜の君主』。あるいは『氷の彫刻』。
巷の評に違わず、彼女は冷徹な美を体現していた。年齢は二十歳を少し超えたあたりだろう。プラチナブロンドの髪は一糸乱れず結い上げられ、アイスブルーの瞳は感情を削ぎ落とした刃のように鋭い。軍礼装を模したドレスを纏い、胸元には聖十字の首飾り。その手には、白隼の羽をあしらった扇が握られていた。
女王イライザはすぐには口を開かなかった。
ただ、品定めをするような冷徹な眼差しで、シン、そして退屈そうに首の骨を鳴らしたガーブ、その後ろで控えめに立つオットーを、順に射抜いていく。
「……よくぞ来た、ブリタニアへ。西方より吹き荒ぶ“強き風”よ」
不意に響いた声は、鈴を転がすように清らかでありながら、聴く者の背筋を正させるような芯の強さを持っていた。それは歓迎の辞というよりも、これから始まる冷酷な「取引」の開始を告げる宣告のようでもあった。
「聞けば『赤い雷鳴』と謳われる貴様らは、無類に強いそうだな。……それは事実か?」
思わずシンは目を細めた。回りくどい外交辞令を省いた、あまりに直接的な問いかけ。
(……案外、ガーブと気が合うかもしれないな)
「直答を許す。答えよ」
王の許しが出た瞬間、シンが制止するよりも早く、ガーブが唇を歪めて笑った。
「“強い”よ? 少なくとも、ここに突っ立ってる連中の誰よりもな」
謁見の間に、凍りつくような沈黙が落ちた。
「無礼者ッ! 身の程を弁えろ!」
手前に控えていた大男の武官が、顔を真っ赤にして激昂した。
「女王陛下の御前だぞ! たかが泥にまみれた傭兵風情が、増長するのも大概にせよ!」
ガーブはゆっくりと、その武官に視線を転じた。
「増長? 事実を言ったまでだ。……見掛け倒しの飾り物には、それが理解できねえのか?」
「貴様……ッ!」
ガーブがゆるりと立ち上がった。
「待て、ガーブ!」
シンが制止の声をかけるのと、彼女が動くのは同時だった。
瞬き一つの間に、ガーブは十数メートルの距離を消し飛ばし、激昂していた武官の鼻先へと移動していた。あまりの神速に、誰も反応できない。ガーブは怯える武官の目を至近距離で覗き込み、冷たく囁いた。
「そうお? ……なら、今ここで試してみるか?」
「ひっ……!」
武官の喉が鳴る。ガーブはフッと嘲笑を漏らすと、ひらりと身を翻して元の位置に戻った。
「き、貴様ぁッ!」
遅れて羞恥に震えた武官が、腰の剣に手をかける。
「ザッカリー」
女王の一言が、広間を打った。
「卿に発言と抜剣を許した覚えはない。……退け」
「……! は、はっ。申し訳ございません……」
ザッカリーと呼ばれた男は、屈辱に顔を歪めながらも直立不動で沈黙した。
女王がゆっくりと立ち上がり、壇上からシンたちを見下ろした。
「貴様らが真に強いのか否かは、別の機会に試させてもらう。……軍務卿、後は任せた」
それだけ言い残すと、女王は翻るドレスの裾と共に、背後の扉へと去っていった。
残された一同は唖然としていた。シンもまた、彼女の意図を図りかねていたが、グレヴィル卿の視線が「そのまま待機せよ」と告げている。
やがて貴族たちがざわつきながら退室し始め、先ほどの武官ザッカリーがシンの横を通り過ぎる際、「下賤の者が……」と吐き捨てていったが、シンはそれを風のように受け流した。
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3. 秘密の中庭、女王の素顔
謁見の間から人影が消えた頃、一人の女官が近づいてきた。
整った身なりに、隙のない所作。ただの侍女ではない、相当な訓練を受けた隠密に近い気配を纏っている。
「グレヴィル伯爵様、緋色の傭兵団の皆様。陛下がお呼びです。どうぞ、こちらへ」
一行は案内されるまま、迷宮のような廊下を通り、一階の奥まった場所にある木製の重厚な扉の前に着いた。
女官が鍵を開け、扉を潜った先には――。
王城の厳格な雰囲気とは隔離された、陽光溢れる美しい中庭が広がっていた。
色とりどりの花々が咲き乱れる小道を進むと、白磁の円柱で支えられた四阿が見えてくる。そこには先ほどまでの硬質なドレスを脱ぎ、いくらか柔らかな装いに変えた女王が、椅子に腰掛けていた。
「どうぞ、座ってくれ」
女王が顎で椅子を示す。グレヴィル卿が慣れた様子で腰を下ろすと、シンたちもそれに従った。女官が手際よく紅茶の準備を始め、磁器の触れ合う繊細な音が庭に響く。
女王はカップを手に取り、立ち上る香りを一度楽しんでから、一口喉を潤した。その横顔には、先ほどの玉座での冷徹さはなく、年相応の憂いが微かに透けていた。
「……すまんな。あのような場では、まともな話などできぬ。ゆえにここに呼んだ」
女王はカップを置くと、アイスブルーの瞳に強い光を宿してシンを見据えた。
「しがらみを抜きにして、これからのブリタニアについて語りたいのだ」
彼女はシンたちの緊張を解くように、くすりと小さく笑った。
「まずは紅茶を。喉を潤すといい」
ガーブは待ってましたとばかりにカップを掴み、中身をぐびりと飲み干した。そして即座に顔を顰める。
「……苦い。なんだこれ、木の根っこか?」
「ははは。ガーブ、それは失礼だぞ」
シンも一口含んでみる。普段は白湯か酒精の強い酒しか口にしない彼らにとって、紅茶は縁遠いものだったが、女王の差し出したそれは、苦味よりも爽やかな新緑の香りが鼻を抜ける逸品だった。
「この香り……素晴らしい茶葉ですね。ゴーラン&メイズの特級品でしょうか」
オットーが香りを楽しみながら呟くと、女王とグレヴィル卿が驚いたように顔を見合わせた。
「オットー殿、よくご存知だな。その通りだ」
グレヴィル卿が感心したように頷く。
「さて、本題に入ろう」
女王が表情を引き締めた。
「君たちのことだ。この国や、私の置かれた状況についても、すでに調べているのだろう?」
シンは沈黙で肯定した。
「ブリタニアは四国の連合国。王権こそ我がエンガードにあるが、各国は高度な独立性を保っている。庶民は言う……『覇道のエンガード』『忍従のガレシア』『利器のウルステア』。そして『不屈のスカイウェール』とな。現在、ガレシアとウルステアは我らに追従しているが、スカイウェールだけは『利を共にできぬ』と公然と反旗を翻している」
女王の声が、わずかに沈んだ。
「我が国の軍部や一部の商人は、武力をもってスカイウェールを屈服させろと騒ぎ立てている。『国内の商売環境を安定させるため』という大義名分を掲げてな。だが、スカイウェールには一騎当千と謳われる『ハイランダー』たちがいる。正面からぶつかれば、我が国の被害も甚大なものになるだろう。……だからこそ、大陸から『凄腕の傭兵』を招き、汚れ仕事を押し付ける――それが、今回君たちが招聘された、あるいは『させられた』理由の全てだ」
最後に彼女が小声で呟いた「先を見通せぬ愚か者の浅慮だよ」という言葉を、シンは聞き逃さなかった。
(……なるほどな)
シンは女王を見つめた。
全てを独力で、力ずくで解決しようとしたアレク大公とは正反対だ。彼女は自分の力と限界を理解している。かと言って優柔不断なわけでもない。
自分たちを「使い潰す」のではなく、この膠着した盤面を打ち破る「未知の一手」として、あるいは一縷の望みとして縋ろうとしているのではないか。
シンはカップを置き、静かに口を開いた。
「陛下。交渉の前に、一つ確認させていただきたい」
「なんだ」
「――貴女は、このブリタニアを血生臭い戦場に変えたいのですか?」
庭を吹き抜ける風が、一瞬、止まった。
女王のアイスブルーの瞳と、シンの冷徹な黒い瞳が、火花を散らすように交錯した。




