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第3話 久田店長

 上田店長が異動した後、店には何人かの店長が来ては去っていった。


 数か月で別の店へ移る人もいた。


 応援のような形で、一時的に店を見るだけの人もいた。


 そのたびに、鈴は新しいやり方に慣れようとした。


 けれど、慣れた頃にはまた変わる。


 店長が変われば、確認の仕方も変わる。


 報告の仕方も変わる。


 どこまで任せていいのか。


 どこまで自分が出ればいいのか。


 その線引きが、そのたびに少しずつ変わった。


 鈴は社員ではない。


 役職者でもない。


 けれど、店の中では長く働いている人間になっていた。


 だから、何か分からないことがあれば聞かれる。


 店の機械の癖。


 昔からのお客様のこと。


 キャンペーンの流れ。


 過去にどう対応していたか。


 そういう細かい記憶は、鈴の中に溜まり続けていた。


 それが役に立つこともある。


 けれど、便利に使われているような気がすることもあった。


 そんな頃、新しい店長として久田店長が就任した。



 久田店長は、上田店長とはまったく違うタイプの人だった。


 大きな声で現場を引っ張るわけではない。


 次々に新しい企画を始めるわけでもない。


 店のやり方を大きく変えることもなかった。


 ただ、責任ある業務については、きちんと店長として対応してくれた。


 それだけで、鈴は少し安心した。


 上田店長がいなくなってから、鈴のところへ集まっていた仕事の一部が、本来の場所へ戻ったような気がした。


 少なくとも、何でもかんでも鈴に投げる人ではなかった。


 それはありがたかった。


 久田店長は、悪い人ではなかった。


 むしろ、話しやすい人だった。


 昔遊んでいたゲームの話。


 見ていたアニメの話。


 懐かしい漫画の話。


 そういう話題になると、鈴と久田店長は妙に盛り上がった。


 久田店長は、昔パチンコ店で働いていたことがあるらしい。


 手が空いた時には、昔の遊技台の話になることもあった。


「渡さん、昔のあの台知ってる?」


「あー、ありましたね。演出が長いやつ」


「そうそう。熱そうに見えて全然当たらないやつ」


「ありましたね。あれ、外れると本当に腹立つんですよね」


「でも当たると気持ちいいんだよな」


「分かります」


 そんな会話は、普通に楽しかった。


 職場で、仕事以外の話ができる。


 それだけでも、少しだけ息がしやすくなる。


 だから鈴は、最初のうち、久田店長のことを悪くは思っていなかった。


 責任ある仕事はしてくれる。


 無理なことを怒鳴って押しつけるわけでもない。


 話も通じる。


 それだけで、十分助かると思っていた。



 けれど、別の問題もあった。


 この店で一番長く働いているのは、鈴だった。


 久田店長も、分からないことがあると鈴に聞いた。


「渡さん、これ前はどうしてた?」


「去年はこうしてました」


「このお客さん、いつもの人?」


「はい。給油口の口切りだけ手伝えば大丈夫です」


「この集計って、どこ見ればいいんだっけ」


「ここの数字ですね」


「このキャンペーン、前回どうだった?」


「前回は最初の週だけ動いて、後半はほとんど止まりました」


 聞かれること自体は、嫌ではなかった。


 頼られるのも、悪い気はしない。


 けれど、少しずつ思うようになった。


 自分は社員ではない。


 役職者でもない。


 それでも、この店の記憶だけは、自分の中に溜まり続けている。


 久田店長は、大きな改善をしなかった。


 かといって、大きな改悪もしなかった。


 売り場を大きく変えることもない。


 声掛けのやり方を変えることもない。


 新しい仕組みを作ることもない。


 昨日と同じように、今日の営業が続く。


 今日と同じように、明日の営業が続く。


 良く言えば、穏やか。


 悪く言えば、日和見。


 店の空気は、しばらく落ち着いたように見えた。


 鈴の負担も、一時的には減った。


 けれど、数字は少しずつ落ちていった。


 最初は、本当に小さな差だった。


 天気が悪かったから。


 来店台数が少なかったから。


 タイミングが悪かったから。


 そう言えば片付くくらいの差だった。


 けれど、月が変わっても、その差は戻らなかった。


 季節が変わっても、戻らなかった。


 上田店長が築いてきた実績は、目に見えないところから、少しずつ削れていった。


 右肩下がり。


 その言葉が、報告書の数字の中で、ゆっくり形になっていく。


 鈴はその数字を見ながら、嫌な予感を覚えていた。


 このままでは、いつか上から何かを言われる。


 そして、その時に一番困るのは、たぶん現場だ。


 その予感は、外れてほしかった。


 けれど、外れなかった。



 大津課長が店舗に来たのは、そんな頃だった。


 大津課長は、いつも少しだけ圧のある人だった。


 大声で怒鳴るわけではない。


 理不尽に机を叩くような人でもない。


 けれど、話していると、こちらが先に間違っていると決められているような気がする。


 質問の形をしているのに、実際には確認ではなく詰問に近い。


 鈴は、大津課長のそういう空気が少し苦手だった。


 その日も鈴は、いつも通りピット作業に入っていた。


 相手は、昔からこの店を使ってくれているお客様だった。


 オイル交換。


 タイヤの空気圧。


 ウォッシャー液。


 バッテリー。


 灯火類。


 鈴は、いつものように車両点検を行った。


 そのお客様は、去年エアコンガスクリーニングをしてくれていた。


 夏タイヤへの交換時には、下回りについた融雪剤を流す洗浄も行っている。


 鈴は点検内容を確認し、大きな異常がないことを確かめた。


「特に問題ありません。いつもありがとうございます」


 そう言って、作業を終えた。


 お客様も、いつものように笑って帰っていった。


 その背中を見送った直後だった。


「今の、エアコン見てないでしょ」


 背後から声がした。


 振り返ると、大津課長が立っていた。


 鈴は一瞬、言葉に詰まる。


「あと、錆止め。なんで言わないの」


 責めるような口調ではない。


 けれど、逃げ道を塞ぐような聞き方だった。


「去年、エアコンガスクリーニングはやっていただいています。下回りも、夏タイヤ交換の時に融雪剤を流す洗浄をしていただいていたので」


「だから?」


 大津課長は、表情を変えずに言った。


「現状、大きな問題はないと判断しました」


「エアコンは毎年メンテナンスが必要でしょ」


「……毎年、ですか」


「そう。毎年見るもの。錆止めも、錆びていたらやるもの」


 鈴は手元の作業伝票を見た。


 去年やっている。


 下回り洗浄もしている。


 点検して、今すぐ必要な異常は見当たらなかった。


 だから、今回は問題ないと伝えた。


 それだけだった。


「それは……過剰整備になりませんか」


 思わず、そう口に出していた。


 大津課長の目が、少し細くなる。


「過剰整備じゃなくて、提案でしょ」


 鈴は返す言葉を失った。


「やるかどうかを決めるのはお客様。こっちが勝手に判断して、言わないのは違うよね」


「はい」


「数字が落ちてる時に、取れるものを取りに行かないと、そりゃ落ちるよ」


 その言い方に、鈴の胸の奥が少し重くなった。


 言っていることが、まったく分からないわけではない。


 提案すること自体は、仕事の一部だ。


 お客様に説明し、選んでもらう。


 それは間違っていない。


 けれど、鈴が今まで教わってきた仕事とは、少しだけ違っていた。


 危ないものを見つけたら、危ないと伝える。


 大丈夫なものは、大丈夫だと伝える。


 お客様が気づいていない不安を見つけて、安心して帰ってもらう。


 それが仕事だと思っていた。


 けれど、今求められているものは少し違う。


 大丈夫かどうかではない。


 声を掛けたかどうか。


 必要かどうかではない。


 提案したかどうか。


 数字につながる行動をしたかどうか。


 そこを見られている。


 鈴は、その違いに戸惑った。



 大津課長が帰った後、店の空気は少し重かった。


 久田店長も、いつものような雑談をする雰囲気ではなかった。


 事務所の中で、久田店長は大津課長から聞いた内容を確認していた。


 鈴は少し離れた場所で、伝票の整理をしながらその声を聞いていた。


 やがて、久田店長がこちらを向いた。


「渡さん」


「はい」


「今後、毎日の実績に対して、PDCAシートを作ることになった」


「毎日、ですか」


「うん。毎日」


 久田店長は、少し困ったように頭をかいた。


 怒っているわけではない。


 むしろ、久田店長自身も面倒だと思っているように見えた。


「今日の数字を見て、何をやったか。何が足りなかったか。明日はどうするか。そういうのをまとめる形になると思う」


「分かりました」


 鈴はそう答えた。


 答えるしかなかった。


 PDCA。


 計画。


 実行。


 確認。


 改善。


 言葉だけを見れば、正しい。


 むしろ、会社としては当たり前のことなのかもしれない。


 今日の数字を確認する。


 できたことを見る。


 足りなかったことを考える。


 明日の行動につなげる。


 その程度なら、必要なことだ。


 鈴も、最初はそう思った。


 けれど、大津課長の言葉は鈴の中に小さな棘のように残っていた。


 エアコンは毎年見るもの。


 錆止めは錆びていたら提案するもの。


 取れるものを取りに行かないから数字が落ちる。


 その言葉を思い出すたびに、鈴の胸の奥が重くなる。


 今までの仕事は、変わっていくのかもしれない。


 必要なものを見つけて伝える仕事から。


 数字につながるものを探して提案する仕事へ。


 そして、その行動を毎日シートに書いて報告する仕事へ。


 鈴はその時、まだ知らなかった。


 その一枚のPDCAシートが。


 やがて、現場で働いた後の自分の時間を、少しずつ削っていくことを。

3話目投稿!

続いて4話目執筆開始します

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