第七話 切り捨て
第七話 切り捨て
誰も、すぐには喋れなかった。
リビングには重たい沈黙だけが落ちている。
床暖房の熱で部屋は暖かいのに、空気だけが凍っていた。
義母は涙を流し続け、実母は震える指で花束の包装紙を握り締めている。さっき落としかけた花の茎が少し折れていた。
その中心で。
和也は裸のまま崩れ落ちていた。
肩を落とし、顔を伏せ、息だけが荒い。
もう何を言えばいいのか分からない顔だった。
理沙もソファの端で縮こまっている。
和也のTシャツ一枚だけを着て、濡れた髪を張りつかせながら震えていた。
泣きすぎたせいで化粧は崩れ、さっきまでの浮ついた雰囲気は完全に消えている。
そんな空気の中、麻衣だけが静かだった。
テーブルへスマートフォンを置き、淡々と理沙を見る。
弁護士の目だった。
「理沙さん」
低く落ち着いた声。
理沙がびくりと肩を震わせる。
「……はい」
「関係は、いつからですか?」
理沙の唇が震える。
「え……」
「質問に答えてください」
逃げ場のない声だった。
理沙は助けを求めるように和也を見た。
だが和也は顔を上げない。
裸のまま俯き、呼吸を繰り返しているだけだった。
「……去年の冬くらいから、です」
小さな声。
実母が息を呑む。
義母が泣きながら首を振った。
「そんな前から……」
理沙は完全に怯えていた。
「最初は相談だったんです……」
麻衣が聞き返す。
「相談?」
「和也さんが、奥さんとうまくいってないって……」
和也が顔を上げた。
「おい」
掠れた声。
理沙は止まらなかった。
もう必死だった。
「家のことでいつもピリピリしてるって!」
「息苦しいって!」
「だから私……」
「やめろ!」
和也が怒鳴る。
だが理沙も泣きながら叫び返した。
「だって本当じゃないですか!」
空気が張り詰める。
和也の顔が歪んだ。
理沙は涙を流しながら続ける。
「私、既婚者って分かってました……!」
「悪いことだって分かってました!」
「でも、あんな家だと思わなかったんです!」
義父が眉をひそめる。
「あんな家?」
理沙は震える声で言った。
「すごくちゃんとしてて……」
「老後のこととか、親のこととか、全部考えてあって……」
文香は黙って聞いていた。
理沙は涙を拭いながら言葉を続ける。
「普通の遊びじゃないって、途中から分かったんです……」
和也が青ざめる。
「理沙……!」
「でも和也さん、奥さんいない時なら平気だって……!」
「やめろって言ってるだろ!!」
怒鳴り声。
その瞬間だった。
義父が立ち上がる。
ダンッ!!
テーブルが大きな音を立てた。
全員が固まる。
義父は怒りで顔を真っ赤にしていた。
「お前は何を考えてるんだ!!」
和也が震える。
「父さん……」
「この家がどれだけのものか分かってたのか!!」
怒声がリビングへ響く。
義母が泣き崩れる。
「やめてぇ……」
だが義父は止まらなかった。
「文香さんがどれだけ考えてここを建てたと思ってる!!」
「……」
「一人っ子同士だからって!」
「両方の親の老後まで考えて!」
「土地探して!」
「介護考えて!」
和也は何も言えない。
義父は息子を睨みつけた。
「お前は、その家で女抱いてたのか!!」
和也の肩が震える。
「違うんだ……」
「何が違う!!」
義父の怒鳴り声で、窓ガラスがびりっと震えた気がした。
「お前は住む資格がない!!」
静まり返る。
和也の顔から血の気が消える。
「……え」
「お前は住まい手じゃない!」
義父の声は低かった。
「家ってのはな、遊ぶ場所じゃないんだよ」
義母が涙を流しながら頷く。
「文香さん、本当に頑張ってたのよ……」
和也は呆然としていた。
父にも。
母にも。
味方されない。
理沙はもう完全に視線を逸らしている。
さっきまで「和也さん」と呼んでいた女は、今や自分を守ることしか考えていなかった。
その現実が、和也の顔をゆっくり歪ませていく。
「……俺だって」
掠れた声。
「俺だって頑張って働いてたんだよ……」
だが誰も返事をしない。
文香だけが静かに和也を見ていた。
怒っていない。
泣いてもいない。
その代わり、もう完全に遠かった。
和也はその視線に耐えられなくなる。
「文香……」
助けを求めるみたいな声だった。
文香はゆっくり口を開く。
「私ね」
静かな声。
「あなたと家族になったつもりだった」
和也の喉が震える。
「でも違ったんだね」
リビングへ夕陽が差し込んでいた。
暖かい光だった。
なのに、誰一人暖かくなれなかった。
文香は静かに続ける。
「あなたは最後まで、“住む人”じゃなかった」
和也は何も言えなかった。
裸のまま、新築の床へ崩れ落ちることしかできなかった。




