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02 三日平氏の乱

 かくして範頼は一ノ谷の戦いから一年も経ずに、ふたたび出陣することになり、準備を進めていた。


「まずは京の九郎(義経)と会う」


 西国に常駐し、おそらくは情報収集に努めているだろうこの弟は、軍人としては優秀で、木曽義仲と戦う時も、一ノ谷に征く時も、いわゆる双頭の蛇というはさみうちを成功させている。

 このたびの、最終目的が九州の戦いも、京から遠く離れられないにせよ、たとえば四国の方をうかがう姿勢を見せれば、平家はまた反応に戸惑うだろう。

 範頼はさっそくに京に(ふみ)を送って、会いたい旨を伝えたが――


「伊勢で叛乱?」


 事態はとんでもない方向へと進んでいった。



 この時点で、平家の総帥は平宗盛である。

 かれは、畿内総管(きだいそうかん)という、かなりの年数を経て、誰にも覚えられていない官職についていた。

 簡単にいうと、畿内における兵馬の権――軍権を握っていた。

 少なくとも、かたちの上では。


「屋島は畿内に近い」


 しかも仮とはいえ内裏があり、宗盛はそれを()って畿内に──京に圧力をかけていた。

 この時、京には義経がおり、平家の蠢動を押さえていたが、平家の次なる一手は、義経の予想を超えたところへと打たれた。


「伊勢、伊賀?」


 伊勢と伊賀で、平家の残党が蜂起した。

 伊賀では、平田家継なる者が大将軍と称し、伊賀の守護・大内惟義の郎従を殺した。一方、伊勢では大掾(だいじょう)信兼なる平家の傍流が鈴鹿山に立てこもった。

 その報を受けて、義経は一瞬、硬直したが、すぐに扈従の弁慶に地図を持ってくるよう命じた。


「見よ」


 義経は地図上の屋島と伊勢にそれぞれ手を置き、そろりそろりと動かして、やがてある一点で手をぱんと合わせた。

 その一点を見て、弁慶はうめいた。


「京……」


「そう。平家の次なるねらいは、一ノ谷のように、大軍で押し寄せるのではない。伊勢、伊賀を押さえ、京を望む」


 それに、と言って、義経は今度は伊勢・伊賀より東の方を指し示した。


「鎌倉、ですか」


「うん。京と鎌倉の連絡も断つつもりだ。なかなか、やるね」


 義経は意表を突かれたが、実はこういうことをされるのが、嫌いでない。

 むしろ、興奮する方だった。


「となると、うん、吉備の土肥実平を()()()()()()だったけど、それはやめよう」


 義経は、鎌倉で予想されていたとおり、出陣の準備をしていた。

 そもそもが、京・西国方面での源氏の支配権を確たるものにするために、義経は京に在る。

 

「ここは、伊勢伊賀を何とかしよう」


 そうこうしている間にも、次から次へと続報が届き、まとめると、平田家継率いる平家の叛乱軍は近江へと進出し、そこで鎌倉軍の佐々木秀義と激突し、家継も秀義も討たれた、とのことであった。


「ふうん、伊賀の方は消えたね。では伊勢か」


 義経は伊勢で蜂起した大掾(だいじょう)信兼について調べるよう、弁慶に命じた。



 頼朝もまた伊賀、伊勢の乱を聞き、即座に義経に対応を命じた。


「大掾という姓、聞き覚えがある。探し出せ」


 実は、かつて頼朝が流人として伊豆にいた時、その伊豆の目代が山木──大掾兼隆といった。

 信兼の息子の一人である。

 さて、判官でもあった兼隆は、その在所から山木判官とも呼ばれ、色に目がなかった。

 伊豆でも評判の美姫である北条政子を欲し、政子はそれを拒否、頼朝の元へと逃げ、頼朝は決起し、兼隆を討った、とされる。


「そうなれば、この頼朝には従えないと腹を決めたやもしれぬ。探せ」


 探してどうするんだ、とは義経は言わなかった。

 言わなかったが、そうやって探せというところが、人が離反していく理由だと思った。


「いかにも生かしてやるという風に見せかけて……と思われちゃうんだよね、兄上は」



 こんな話がある。

 頼朝や範頼、義経らの父である義朝を討った、長田忠致(おさだただむね)という男がいる。

 忠致は源氏の家人だったが、義朝を裏切り、入浴中の義朝を斬った。

 そして頼朝は挙兵後、その旗にしたがった忠致を受け入れ、はたらき次第では、美濃みの尾張おわりを与えると言った。

 ところが戦いが終わると、手のひらを返して、謀叛人として追い、処刑した。

 その際の台詞が、


「言ったとおり、身の(美濃)終わり(尾張)をくれてやろう」


 と、諧謔(かいぎゃく)めいたことを口にしたと伝えられる。



「まあとにかくこのままでは源氏の危機だ」


 義経としても、やられっぱなしは気に食わない。

 大掾信兼については、すでに調べてある。

 そもそも信兼は、義経の宇治川の戦いに付き従っている。

 当時の平家は木曽義仲によって都落ちをしていた。

 それゆえ、敵の敵は味方、ということだろう。


「その息子たち三人は、京に残っていたね、弁慶」


「はい」


 一族を分けて、いくさのぞれぞれの側に立つ。

 乱世ではよくあることだった。


「じゃあそいつら斬るか。呼んで」


「は?」


 弁慶はわが耳を疑った。

 このあるじは突拍子のないことをするが、今度はまた突き抜けていた。

 敵の一族なら、味方にして根城を聞くなり、あるいは人質にするなり、生かして、やらせることがあるだろう。


「そういうの、無駄。時間の無駄」


 義経は、潜伏した信兼を「出す」ために殺すのだという。

 人質として使えるかもしれないが、そういう交渉をしている時間が惜しい。


「伊勢で粘られたら困る。鎌倉から、(かば)の兄上が行くのに、邪魔になる」


 それこそが平家──知盛のねらいだった。

 屋島に宗盛とみかどを置き、京を取り戻すために伊勢伊賀の蜂起をもくろんだ……と思わせ、その実、鎌倉への妨害とする。

 九州への。


「結局のところ、この場合――新中納言(知盛のこと)がどこにいるかが肝なんだ」


 一ノ谷の戦いも、知盛は範頼の大軍こそ脅威と考え、みずから生田口に兵を展開し、激戦を繰り広げていた。

 この時、源氏は義経が裏をかいて鵯越から攻めかかったおかげで勝てた。

 知盛は思った。

 次こそは、このように意表を突かれないように――むしろ、自分こそ意表を突くために動いてやる、と。

 ……かくして、知盛は屋島の兄・宗盛とみかど、伊勢・伊賀の大掾信兼を使い、源氏に対して散発的にいくさをしかけた。

 京へ伊勢へとあたふたしている隙に、九州を固めようという作為である。


「そうまでして新中納言は、何で九州を」


 弁慶はそこが疑問だった。

 確かに、こうまでして二重三重に罠を張って、攻め取ろうというのなら、なるほど九州は平家にとって大事なのだろう。

 だが、なぜ大事なのかがわからない。


「それはね、弁慶」


 義経は甲冑をまといながら答えた。


「平家は後白河院(後白河法皇のこと)が嫌いなのさ。だからそうする」


 弁慶には、ますます何が何だか分からなくなった。



 義経は大掾信兼の三人の息子を斬り、その首をぶら下げて伊勢に入った。

 すると、激昂した信兼が襲いかかって来たので、それを返り討ちにした。

 正確には、信兼が滝野という城に逃げ込んだところを、押して押して、ついに討ち取った。


「でかした」


 頼朝はこれを嘉し、信兼の旧領を義経に与えた。

 この、決まりに厳しく、領地をあげることに吝嗇な男がここまでしたことに、この三日平氏の乱における義経の働きの非凡さがうかがえる。

 そしてこの「御恩」はまた、義経にある予断を与えた。


「必要とあらば、()()()()()()()


 今回の件、義経は土肥実平が攻められた時点で動いていた。

 だから大掾信兼の三人の息子の所在も押さえており、すぐに斬ることができた。

 そしてまた、頼朝は信兼を「探せ」と命じていたのに、義経は「討ち取った」。

 この差について、義経はもしかしたら叱られるかもしれないという想いがあったが、この御恩により、それは雲散霧消した。

 最適解を求めれば、それは報われる。

 いくさをする群れであれば、それは当然のこと。

 その認識が根底にあり、それを確固たるものにした義経。

 このことがのちに、それこそ大きな「差」となって、頼朝や範頼と自分を分け隔てるとも知らずに。

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