02 三日平氏の乱
かくして範頼は一ノ谷の戦いから一年も経ずに、ふたたび出陣することになり、準備を進めていた。
「まずは京の九郎と会う」
西国に常駐し、おそらくは情報収集に努めているだろうこの弟は、軍人としては優秀で、木曽義仲と戦う時も、一ノ谷に征く時も、いわゆる双頭の蛇というはさみうちを成功させている。
このたびの、最終目的が九州の戦いも、京から遠く離れられないにせよ、たとえば四国の方をうかがう姿勢を見せれば、平家はまた反応に戸惑うだろう。
範頼はさっそくに京に文を送って、会いたい旨を伝えたが――
「伊勢で叛乱?」
事態はとんでもない方向へと進んでいった。
*
この時点で、平家の総帥は平宗盛である。
かれは、畿内総管という、かなりの年数を経て、誰にも覚えられていない官職についていた。
簡単にいうと、畿内における兵馬の権――軍権を握っていた。
少なくとも、かたちの上では。
「屋島は畿内に近い」
しかも仮とはいえ内裏があり、宗盛はそれを以って畿内に──京に圧力をかけていた。
この時、京には義経がおり、平家の蠢動を押さえていたが、平家の次なる一手は、義経の予想を超えたところへと打たれた。
「伊勢、伊賀?」
伊勢と伊賀で、平家の残党が蜂起した。
伊賀では、平田家継なる者が大将軍と称し、伊賀の守護・大内惟義の郎従を殺した。一方、伊勢では大掾信兼なる平家の傍流が鈴鹿山に立てこもった。
その報を受けて、義経は一瞬、硬直したが、すぐに扈従の弁慶に地図を持ってくるよう命じた。
「見よ」
義経は地図上の屋島と伊勢にそれぞれ手を置き、そろりそろりと動かして、やがてある一点で手をぱんと合わせた。
その一点を見て、弁慶はうめいた。
「京……」
「そう。平家の次なるねらいは、一ノ谷のように、大軍で押し寄せるのではない。伊勢、伊賀を押さえ、京を望む」
それに、と言って、義経は今度は伊勢・伊賀より東の方を指し示した。
「鎌倉、ですか」
「うん。京と鎌倉の連絡も断つつもりだ。なかなか、やるね」
義経は意表を突かれたが、実はこういうことをされるのが、嫌いでない。
むしろ、興奮する方だった。
「となると、うん、吉備の土肥実平を助けるつもりだったけど、それはやめよう」
義経は、鎌倉で予想されていたとおり、出陣の準備をしていた。
そもそもが、京・西国方面での源氏の支配権を確たるものにするために、義経は京に在る。
「ここは、伊勢伊賀を何とかしよう」
そうこうしている間にも、次から次へと続報が届き、まとめると、平田家継率いる平家の叛乱軍は近江へと進出し、そこで鎌倉軍の佐々木秀義と激突し、家継も秀義も討たれた、とのことであった。
「ふうん、伊賀の方は消えたね。では伊勢か」
義経は伊勢で蜂起した大掾信兼について調べるよう、弁慶に命じた。
*
頼朝もまた伊賀、伊勢の乱を聞き、即座に義経に対応を命じた。
「大掾という姓、聞き覚えがある。探し出せ」
実は、かつて頼朝が流人として伊豆にいた時、その伊豆の目代が山木──大掾兼隆といった。
信兼の息子の一人である。
さて、判官でもあった兼隆は、その在所から山木判官とも呼ばれ、色に目がなかった。
伊豆でも評判の美姫である北条政子を欲し、政子はそれを拒否、頼朝の元へと逃げ、頼朝は決起し、兼隆を討った、とされる。
「そうなれば、この頼朝には従えないと腹を決めたやもしれぬ。探せ」
探してどうするんだ、とは義経は言わなかった。
言わなかったが、そうやって探せというところが、人が離反していく理由だと思った。
「いかにも生かしてやるという風に見せかけて……と思われちゃうんだよね、兄上は」
*
こんな話がある。
頼朝や範頼、義経らの父である義朝を討った、長田忠致という男がいる。
忠致は源氏の家人だったが、義朝を裏切り、入浴中の義朝を斬った。
そして頼朝は挙兵後、その旗にしたがった忠致を受け入れ、はたらき次第では、美濃尾張を与えると言った。
ところが戦いが終わると、手のひらを返して、謀叛人として追い、処刑した。
その際の台詞が、
「言ったとおり、身の終わりをくれてやろう」
と、諧謔めいたことを口にしたと伝えられる。
*
「まあとにかくこのままでは源氏の危機だ」
義経としても、やられっぱなしは気に食わない。
大掾信兼については、すでに調べてある。
そもそも信兼は、義経の宇治川の戦いに付き従っている。
当時の平家は木曽義仲によって都落ちをしていた。
それゆえ、敵の敵は味方、ということだろう。
「その息子たち三人は、京に残っていたね、弁慶」
「はい」
一族を分けて、いくさのぞれぞれの側に立つ。
乱世ではよくあることだった。
「じゃあそいつら斬るか。呼んで」
「は?」
弁慶はわが耳を疑った。
このあるじは突拍子のないことをするが、今度はまた突き抜けていた。
敵の一族なら、味方にして根城を聞くなり、あるいは人質にするなり、生かして、やらせることがあるだろう。
「そういうの、無駄。時間の無駄」
義経は、潜伏した信兼を「出す」ために殺すのだという。
人質として使えるかもしれないが、そういう交渉をしている時間が惜しい。
「伊勢で粘られたら困る。鎌倉から、蒲の兄上が行くのに、邪魔になる」
それこそが平家──知盛のねらいだった。
屋島に宗盛とみかどを置き、京を取り戻すために伊勢伊賀の蜂起をもくろんだ……と思わせ、その実、鎌倉への妨害とする。
九州への。
「結局のところ、この場合――新中納言(知盛のこと)がどこにいるかが肝なんだ」
一ノ谷の戦いも、知盛は範頼の大軍こそ脅威と考え、みずから生田口に兵を展開し、激戦を繰り広げていた。
この時、源氏は義経が裏をかいて鵯越から攻めかかったおかげで勝てた。
知盛は思った。
次こそは、このように意表を突かれないように――むしろ、自分こそ意表を突くために動いてやる、と。
……かくして、知盛は屋島の兄・宗盛とみかど、伊勢・伊賀の大掾信兼を使い、源氏に対して散発的にいくさをしかけた。
京へ伊勢へとあたふたしている隙に、九州を固めようという作為である。
「そうまでして新中納言は、何で九州を」
弁慶はそこが疑問だった。
確かに、こうまでして二重三重に罠を張って、攻め取ろうというのなら、なるほど九州は平家にとって大事なのだろう。
だが、なぜ大事なのかがわからない。
「それはね、弁慶」
義経は甲冑をまといながら答えた。
「平家は後白河院(後白河法皇のこと)が嫌いなのさ。だからそうする」
弁慶には、ますます何が何だか分からなくなった。
*
義経は大掾信兼の三人の息子を斬り、その首をぶら下げて伊勢に入った。
すると、激昂した信兼が襲いかかって来たので、それを返り討ちにした。
正確には、信兼が滝野という城に逃げ込んだところを、押して押して、ついに討ち取った。
「でかした」
頼朝はこれを嘉し、信兼の旧領を義経に与えた。
この、決まりに厳しく、領地をあげることに吝嗇な男がここまでしたことに、この三日平氏の乱における義経の働きの非凡さがうかがえる。
そしてこの「御恩」はまた、義経にある予断を与えた。
「必要とあらば、やっていいんだ」
今回の件、義経は土肥実平が攻められた時点で動いていた。
だから大掾信兼の三人の息子の所在も押さえており、すぐに斬ることができた。
そしてまた、頼朝は信兼を「探せ」と命じていたのに、義経は「討ち取った」。
この差について、義経はもしかしたら叱られるかもしれないという想いがあったが、この御恩により、それは雲散霧消した。
最適解を求めれば、それは報われる。
いくさをする群れであれば、それは当然のこと。
その認識が根底にあり、それを確固たるものにした義経。
このことがのちに、それこそ大きな「差」となって、頼朝や範頼と自分を分け隔てるとも知らずに。




