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第二章 朱雀の目覚め 第五話 『鈴が導くもの』

篤久が朱雀門へ向かい始めてから十分ほどが経った。


近付くにつれ、漂う妖気は濃さを増していく。


その時だった。


三体いるはずだった妖魔の気配が、一つ消えた。


「……どういうことだ?」


新太が先に到着したのか。


そう考えた篤久だったが、胸の奥に拭いきれない違和感が残る。


さらに愛馬を走らせる。


あと二度ほど角を曲がれば、朱雀門が見える。


その時だった。


複数の足音がこちらへ向かってくる。


「っ!」


篤久は素早く手綱を引いた。


愛馬が高く嘶き、前脚を大きく振り上げる。


「せ、青龍さま!」


現れたのは、朱雀門の警護を任されていた武官たちだった。


誰もが肩で息をし、衣は裂け、全身には戦いの跡が生々しく残っている。


「大丈夫か!」


篤久はすぐさま馬を降り、武官へ駆け寄った。


武官は安堵したように、その場へ膝をつく。


「妖魔が三体現れ……一人、取り憑かれました……。」


「取り憑かれたのは一人だけか?」


篤久は眉をひそめた。


三体もの中級妖魔が現れたのなら、被害はその程度では済まないはずだった。


武官たちは互いに顔を見合わせる。


やがて、一人が静かに口を開いた。


「三体現れた直後のことでした。」


「火属性の童が現れたのです。」


篤久の心臓が、大きく脈打つ。


「……火属性?」


「はい。間違いなく火の力でした。」


別の武官も力強く頷く。


「あのお方は妖魔を一体討ち取り、我らを逃がしてくださいました。」


「……!」


火属性。


その一言だけで、篤久の脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。


――ミサ。


そんなはずがない。


頭ではそう分かっている。


ましてや、朱雀の守護者が現れれば、玄武の本成が気付かないわけがない。


だが先程から、その本成と連絡が取れなくなり確認もできない。


それでも。


胸の鼓動だけは、抑えることができなかった。


「もしかすると……朱雀の守護者様では――」


武官の言葉が終わるより早く、篤久は再び駆け出していた。


五年間。


探して。


探して。


探し続けた存在。


もし本当に――。


篤久は最後の角へと差しかかる。


その胸に宿る期待と不安は、もはや抑えようもなかった。


そして、勢いよく篤久は最後の角を曲がった― ―。


その瞬間。


朱雀門の前に立つ、一つの小さな影が目に飛び込む。


「……!」


被衣を纏った、小柄な人物。


顔は見えない。


それでも、その背中から目を離すことができなかった。


――そんなはずがない。


理屈では分かっている。


そんなこと、あるわけがない。


だが、心だけは違った。


五年間。


忘れられなかったその姿と、目の前の背中が重なっていた。


その時だった。


被衣の人物が、不意に動く。


次の瞬間――。


轟音とともに、一体の妖魔が宙を舞った。


「――っ!?」


妖魔は、まるで小石でも蹴り飛ばされたかのように吹き飛び、そのまま篤久目掛けて飛来する。


「なっ!?」


篤久は反射的に守護者の証でもある青龍刀を抜いた。


銀閃。


振るわれた刃が妖魔の身体を一刀のもとに斬り裂く。


だが、神力の籠っていない刃では決定打にはならない。


切断された肉塊は蠢きながら、瞬く間に再生していく。


「ちっ……」


篤久は小さく舌打ちした。


刀身へ魔力と神力を流し込む。


青い光が刃を包み込み、夜の闇を淡く照らした。


再生を終えた妖魔が、不気味に首を鳴らす。


【ニンゲン……クウ……】


篤久は静かに刀を構えた。


「青龍の名の元――お前を滅する。」


次の瞬間。


篤久の姿が掻き消えた。


一閃。


妖魔の核が真っ二つに裂かれる。


【ギャアアアアアァァッ!!】


断末魔が夜空に響き渡る。


神力に貫かれた妖魔は、その身を黒い塵へと変えながら崩れ去っていった。


しかし、篤久は妖魔など見ていなかった。


その視線は、初めから一人の人物だけを追っていた。


被衣を纏った、小さな背中。


その人物は、すでに次の妖魔へと向かっている。


取り憑かれた武官が唸り声を上げながら襲いかかった。


だが――。


被衣の人物は慌てることなく、半身をひねってその攻撃をかわし足を払う。


体勢を崩した武官が、その場へ倒れ込んだ。


その胸元へ、そっと片手をかざす。


静かな声が夜に響いた。


「朱雀の名の元に、あなたを浄化します――『浄化(レイニ)』」


その瞬間。


白い炎が、掌から静かに溢れ出した。


神々しい炎だった。


熱はない。


あるのは、穢れだけを包み込み、浄める清らかな光。


白き炎は武官の身体を優しく包み込む。


すると。


武官の身体から、黒い影が引き剥がされるように飛び出した。


「……!」


妖魔だった。


篤久は目を見開く。


浄化。


もう何十年もの間、その姿を現すことのなかった朱雀の力。


間違いない。


あれは――。


だが、篤久が思考を巡らせるよりも早く。


被衣の人物は、引き剥がした妖魔を再び蹴り飛ばした。


「はっ?」


今度は明らかに故意だった。


まるで、


『そっちは任せた』


そう言わんばかりに。


飛来する妖魔を見つめ、篤久はわずかに眉をひそめる。


「……またか。」


小さく漏らしたその声に苦笑が混じる。


だが、不思議と嫌ではなかった。


一刻も早く妖魔を討ち、あの人物のもとへ辿り着きたい。


その想いだけが、胸の内で募っていく。


篤久は静かに青龍刀を構えた。


妖魔が飛びかかる。


次の瞬間。


篤久の姿が再び掻き消えた。


「青龍の名の元――お前を滅する。」


一閃。


青き光が夜を裂く。


妖魔の核は寸分違わず断ち切られ、その身体は断末魔とともに崩れ落ちた。


【ギャアアアアアァァッ!!】


黒い塵となった妖魔は風に溶けるように消えていく。


篤久はその姿を一瞥することもなく、すぐさま前を向いた。


その視線の先には、被衣を纏った小柄な人物。


その人物は、倒れた武官の傍らへ静かに膝をついていた。


そっと手を添える。


すると、白い炎が再び武官の身体を優しく包み込んだ。


神聖な光。


静かに揺らめく白い炎は、傷付いた身体だけでなく、魂までも慰めているかのようだった。


「……!」


篤久は思わず息を呑む。


間違いない。


浄化の力。


あまりにも長い間現れなかった、朱雀の守護者だけが持つ神力。


だが――。


篤久の胸を激しく揺さぶったのは、その力ではなかった。


炎を操る仕草。


静かに立ち上がる姿。


風に揺れる被衣。


その一つひとつが、五年前の記憶を呼び覚ましていく。


忘れられるはずがなかった。


五年間。


探し続けた。


あの日、何も告げず姿を消した少女。


何度夢に見ただろう。


何度その名を呼んだだろう。


何度諦めようとしただろう。


それでも、忘れることなどできなかった。


だから――。


その姿を見た瞬間、確信した。


「……ミサ」


気付けば、その名が唇から零れ落ちていた。


その声は、自分でも驚くほどかすかだった。


それでも。


被衣の向こうの肩が、ぴくりと小さく震えた。


「……!」


篤久の心臓が大きく脈打つ。


聞こえた。


いや。


届いたのだ。


その反応だけで十分だった。


やっと見つけた。


本当に。


やっと――。


会いたい。


会いたかった。


ただ、その一心で。


胸の奥から込み上げる想いに、篤久は息を呑む。


だが次の瞬間。


被衣の人物は、ゆっくりと篤久へ背を向けた。


「待って!」


気付けば、篤久は駆け出していた。


伸ばした手は、まだ遠い。


届かない。


ようやく見つけたのに。


また消えてしまうのか。


また、この手から零れ落ちてしまうのか。


そんなのは――嫌だ。


もう二度と。


「ミサ!!」


夜空を震わせるほどの声で、その名を叫ぶ。


「待ってくれ!!」


その声に。


被衣の人物の足が、ほんの一瞬だけ止まった。


振り返ることはない。


顔も見えない。


それでも篤久には分かった。


彼女もまた、心を揺らしている。


だからこそ。


今度こそ、離したくなかった。


あと少し。


あと数歩。


その背に、手が届こうとした――。


その時だった。


「篤久!!」


鋭い声が、夜の静寂を切り裂く。


翠色の瞳を持つ白虎の守護者――橘新太だった。


「……!」


篤久は反射的に振り向く。


その一瞬。


本当に、ほんの一瞬だけだった。


だが。


再び前を向いた時には。


被衣を纏った小さな背中は、もうどこにもなかった。


夜風だけが、静かに吹き抜けていく。


「……っ」


篤久は立ち尽くしたまま、その場を動けなかった。


ようやく見つけた。


五年間、探し続けた少女。


やっと、この目でその姿を捉えたというのに。


また、届かなかった。


伸ばした手は空を切り、胸の奥には、どうしようもない喪失感だけが残る。


拳を強く握り締める。


爪が掌へ食い込むほど力を込めても、その悔しさは消えなかった。


「……ミサ」


零れ落ちた名は、夜風にさらわれていく。


その時。


――チリン。


どこからともなく、鈴の音が響いた。


篤久ははっと顔を上げる。


だが、その音の主を見つけることはできなかった。


夜の帳は静かに下り、朱雀門には再び静寂だけが残る。


篤久はなおも、彼女が消えた方角を見つめ続けていた。



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