第三章 朱雀の宿命 第四十四話『残された執念』
黒い光が夜空を裂いた。
向かう先は、ただ一つ朱雀門。
そこにいる――朱雀の巫女。
「ミサ……!」
篤久の声が夜へ響く。だが、返事はない。
いや、返せない。
ミサは今も両手を合わせたまま、結界へ神力を送り続けている。ここで止めれば、長い時間をかけて築いた結界が崩れる。それを分かっているからこそ、動けなかった。
黒い靄は、そんなミサの状況を理解しているかのように速度を増した。
「させるかよ!」
最初に動いたのは、新太だった。
翠の風が夜の石畳を駆け抜ける。一瞬、その場に残像だけを残し、新太の姿が消えた。
「ミサに近づかせるか!」
白虎刀を抜き放つ。
「白虎の名を刻め――」
風が刀身へ集まる。
「疾風裂牙!」
鋭い風の刃が、黒い靄へ向かって放たれた。
だが、黒い靄は止まらない。
斬ったはずの部分が霧のように散り、すぐに一つへ戻っていく。
「……っ!」
新太の表情が険しくなる。
普通の妖魔ではない。核を失った後に残った、ただの力。それなのに、これほどの執念を持っている。
その瞬間、地面が大きく揺れた。
琥珀色の神力が、黒い靄の進行方向へ広がる。
「新太、下がって!」
本成だった。
右手を地へ向ける。
「玄武の名にかけて――」
大地が応えるように石畳が隆起し、巨大な土壁となって黒い靄の前へ立ちはだかった。
「大地封鎖!」
黒い靄が土壁へ衝突する。
轟音が響いた。だが、止まらない。
土壁は徐々に黒く染まり、ひびが走っていく。
「そんな……!」
本成が息を呑む。
力ではない。
これは、ただの執念だ。
朱雀の巫女を消す。その一点だけに残された存在。
「本成!」
篤久の声が響く。
「分かってる!」
本成は歯を食いしばった。
「でも……長くは持たない!」
その瞬間、青い光が夜を照らした。
篤久が走る。水流を纏った神力が、その身体を包み込んだ。
「青龍の名の元、お前を滅する――」
黒い靄が篤久へ向きを変える。まるで、最後の障害を排除するように。
だが、篤久は構わなかった。
ミサへ届かせるわけにはいかない。
「蒼流封!」
蒼い水流が渦を巻き、黒い靄を包み込む。
押し返すのではない。消し去るのでもない。ただ、その動きを止める。
「……っ!」
篤久の腕に衝撃が走った。
重い。
妖魔三体分の最後の力が、一点に集まっている。
「篤久!」
新太が叫ぶ。
「大丈夫だ。」
短く答えた。だが、その瞬間だった。
黒い靄の中心から、一本の黒い刃のようなものが伸びる。水流をすり抜け、篤久が反応するより早く脇腹を掠めた。
「……っ。」
赤い血が夜へ散る。
「篤久!!」
本成の声が響いた。
篤久は片膝をつきそうになる身体を、無理やり支えた。それでも、水流は消さない。
「……ここで止める。」
蒼色の瞳が、黒い靄を射抜く。
「お前たちの目的は……叶えさせない。」
その言葉に応えるように、新太が再び風を纏い、本成が大地へ力を注ぐ。
三人の守護者。それぞれの力が、一つの場所へ集まっていく。
朱雀の巫女を守るために。
黒い靄が大きく震えた。
「二人とも。」
篤久が静かに言う。
「力を貸してくれ。」
新太が笑う。
「当然だろ。」
本成も頷いた。
「任せて。」
三人の神力が集まる。
翠の疾風。
琥珀の大地。
蒼い水。
三つの力が黒い靄を包み込んだ。
「青龍の名の元、お前を滅する――」
篤久の周囲に水流が集まる。
「蒼流封!」
青い水流が再び黒い靄を閉じ込めた。
黒い光が激しく震える。それでも、最後まで抗おうとする。
だが、三人の守護の力を越えることはできなかった。
小さな亀裂が走り、そして――。
パキン。
静かな音と共に、黒い靄は光の欠片となって消えていった。
夜に静寂が戻る。
「……終わったか。」
新太が息を吐く。
篤久は頷いた。
「あぁ。」
だが、誰にも悟られないように、一瞬だけ脇腹へ手を添える。
黒い靄の一撃。傷は浅くない。
それでも、表情には出さなかった。
ミサに余計な心配をさせるわけにはいかない。
「……丑の刻が近い。」
篤久が告げる。
「まだ結界は完全じゃない。」
新太も白虎刀を収めた。
「二人とも送ってやるよ。」
疲れた様子を見せず、新太はにっと笑って親指を立てる。
本成も静かに頷いた。
三人は一度だけ互いを見る。
「篤久、怪我は?」
「……大した事ない。」
本成の問いかけにそう答えたが、篤久の傷が浅くないことには気付いていた。
「……明日、見せてもらうからね。」
篤久は答えなかった。
それでも、同じ役目を背負う者として、互いの思いは分かっていた。
やがて三人は白虎の風を纏い、それぞれの門へ向かって駆け出す。
青龍、白虎、玄武。
三つの守護の力が、再び京を包み込むまで、間もなくだった―――
※ ※ ※
夜の京を、三つの影が駆け抜ける。
青龍門、白虎門、玄武門。
それぞれの門へ向かい、篤久、新太、本成は一切足を止めることなく駆け続けた。
朱雀門では、ミサがなおも結界の術式を紡いでいる。
額を伝う汗。震えそうになる指先。
それでも、四つの守護玉を包む手は決して緩めなかった。
―――あと少し……。
そう、自分に言い聞かせる。
神力は限界へ近づいていた。それでも、止めるわけにはいかない。
ここで途切れれば、京を守る結界は完成しない。
やがて、青龍門へ辿り着いた篤久が静かに目を閉じる。
白虎門では、新太が大きく息を吸い込み、玄武門では、本成が両手を胸の前で重ねて静かに目を閉じた。
三人は、それぞれ夜空を見上げる。
「……頼む。」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、この京を守りたいという願いだけが、その胸にあった。
その瞬間、蒼き神力が青龍門から天へ昇る。
続いて、翠の神力が白虎門から解き放たれ、さらに琥珀色の神力が玄武門を包み込み、大地を伝って朱雀門へ駆け抜けた。
三つの神力は導かれるように、ミサの持つ四つの守護玉へ吸い込まれていく。
「……!」
ミサは息を呑んだ。
青龍の力。
白虎の力。
玄武の力。
三人の想いが、そのまま身体へ流れ込んでくる。
四つの守護玉が一斉に共鳴した。
胸の奥で、朱雀の神力が大きく脈打つ。
「みんな……。」
小さく呟き、ミサはゆっくりと目を開いた。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「どうか……。」
両手を前へ差し出す。
「この京を――この世界を守って。」
朱色の神力が、一気に解き放たれた。
眩い光が朱雀門から夜空へ駆け上がる。
蒼。
翠。
琥珀。
そして、朱。
四神の神力が一つとなり、老朽化した結界の綻びを包み込んでいく。
ひび割れていた結界が少しずつ修復され、漂っていた瘴気は押し戻される。京を覆っていた重苦しい空気も、静かに晴れていった。
やがて――。
結界全体が眩く輝いた。
京を包み込む巨大な光の壁。
誰にも見えない。けれど、確かにそこにある。
四神が護り続けてきた結界。
その輝きは、再び京を優しく包み込んでいた。
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