第三章 朱雀の宿命 第四十二話『青龍、駆ける』
結界に一筋の亀裂が走った。
それはまるで。
残された時間が、もう僅かしかないことを告げるようだった。
――パキッ。
小さな音が、夜の朱雀門へ響く。
蒼護結界に刻まれた亀裂は、ゆっくりと広がっていく。
妖魔はそれを理解しているかのように、さらに力を込めた。
炎を纏った腕が、蒼い結界へ押し付けられる。
ギィィ……。
歪んだ笑い声。
狙いは変わっていない。
結界でもない。
朱雀門でもない。
ただ一人。
朱雀の巫女だけだった。
その時。
「そこまでだ。」
静かな声が夜へ落ちる。
瞬間。
朱雀門から少し離れたところから、蒼い神力が迸った。
夜の闇を切り裂くような水流。
一筋の刃となった神力が、ミサへ迫っていた妖魔へ一直線に駆け抜ける。
轟ッ――!
激しい衝撃。
炎を纏った妖魔の身体が大きく吹き飛ぶ。
石畳を削りながら転がり、朱雀門前に土煙が舞った。
砕けかけた蒼護結界の前へ、一人の男が立つ。
「……篤。」
ミサの声が震える。
篤久は振り返らない。
ただ、ミサを背にして妖魔を見据える。
「結界は?」
「……まだ、続けられる。」
ミサは小さく頷いた。
「神力も、送れてる。」
「なら、そのままでいい。」
短い言葉。
それだけだった。
篤久はゆっくりと前へ出る。
目の前の妖魔から立ち上る炎を見つめる。
「…中級妖魔か。」
火魔の核を宿した中級妖魔。
――中級なのに属性持ちなのか?
本来なら、属性をもつ妖魔は上級の四体のみと伝承されている。
しかし、目の前にいる妖魔は中級妖魔にも関わらず、火を宿していた。
水を司る青龍である篤久にとって、相性は悪くない。
むしろ、有利な相手。
だが――。
篤久の瞳が細められる。
感じる力が異常だった。
炎の強さ。
瘴気の濃さ。
そして、その奥に混じる別の気配。
普通の中級妖魔ではない。
「……なるほど。」
小さく呟く。
妖魔はゆっくりと立ち上がる。
炎がさらに燃え上がる。
まるで、水に消されることなど知らないと言わんばかりに。
その瞬間。
篤久の通信鏡が淡く震えた。
『篤久!』
新太の声。
『無事か!?』
「問題ない。」
短く答える。
『よかった。』
新太は息を吐いた。
『俺の風なら、青龍門からそこまで一気に行けると思ったんだ。』
篤久は一瞬だけ目を細める。
「……助かった。」
『当たり前だろ。』
新太の声が笑う。
白虎の風。
守護者の中で、誰よりも早く戦場へ駆けつけられる力。
『それより――』
新太の声が真剣になる。
『本成を連れてくる。』
「無茶をするな。」
『それ、篤久にだけは言われたくないな。』
その言葉に、篤久は僅かに口元を緩めた。
通信が途切れる。
朱雀門へ、一陣の風が吹き抜けた。
篤久は前を向いたまま、小さく呟く。
「……頼んだ。」
そして。
炎を纏った妖魔が、再び立ち上がる。
青龍と火魔。
水と炎。
決して油断できない戦いが、始まろうとしていた。
炎を纏った妖魔が、低く唸る。
その身体から溢れ出す炎は、夜の闇を赤く染めるほどだった。
篤久は静かに青龍刀を構える。
水である青龍と、火の力を宿した妖魔。
属性の相性では、こちらが有利。
だが。
目の前の妖魔から感じる力は、これまでの中級妖魔とは明らかに違っていた。
ただの火ではない。
その炎には、異質な力が混じっている。
妖魔が地を蹴った。
一瞬で距離を詰める。
炎を纏った腕が振り下ろされる。
篤久は僅かに身体を逸らした。
同時に、足元から水流を走らせる。
妖魔の動きがわずかに鈍る。
その一瞬を逃さない。
「――青龍の名の元、お前を滅する。」
「蒼流刃。」
静かな声が夜へ響く。
篤久の周囲に、無数の水の刃が浮かび上がった。
放たれた蒼い刃が、一直線に妖魔へ向かう。
妖魔は咆哮を上げ、炎を爆発させた。
水刃と炎がぶつかる。
激しい水蒸気が夜空へ立ち上った。
だが。
炎は消えない。
普通の火魔ならば、水の力に押し負けるはずだった。
しかし。
妖魔の炎は、まるで消えることを拒むように燃え続けている。
「……。」
篤久の瞳が細まる。
強い。
だが、それだけではない。
炎の質が違う。
まるで、別の何かがこの妖魔の力を底上げしている。
妖魔が再び炎を纏う。
その瞬間。
篤久は理解した。
力の流れ。
炎の揺らぎ。
攻撃へ移る直前の僅かな癖。
全てが見える。
「終わりだ。」
篤久が手を前へ向ける。
周囲の水が、一気に集束していく。
その時だった。
背後から風が駆け抜けた。
「篤久!」
白い風を纏った新太が姿を現す。
その隣には、本成もいた。
「遅くなった。」
本成が静かに告げる。
篤久は一度だけ頷く。
「十分だ。」
三人の守護者が揃う。
だが。
篤久は一歩前へ出た。
「こいつは、俺がやる。」
篤久が火を纏う妖魔へ向き直った、その瞬間だった。
残る二体の妖魔が動く。
水を纏う妖魔が、低く唸りながら本成へ視線を向けた。
まるで自ら相手を選ぶように。
「……なるほど。」
本成は静かに息を吐く。
その視線の先にいるのは、水を纏った妖魔。
玄武である自分と対になる力。
「僕はこちらをもらうよ。」
そう言って、本成はゆっくりと前へ出た。
「気をつけろよ。」
新太が白虎刀を構えながら声を掛ける。
「そっちこそ。」
本成は穏やかに笑った。
その直後。
残された土を纏う妖魔が、新太へ向かって地面を蹴る。
「……やっぱり俺か!」
新太は口元を上げる。
風を纏った白虎刀を抜き放つ。
「いいぜ。」
白い風が巻き起こる。
「相手してやるよ!」
三体の妖魔。
三人の守護者。
それぞれの戦いが始まった。
※ ※ ※
最初に動いたのは、新太だった。
土を纏う妖魔が腕を振り下ろす。
その瞬間。
大地が震えた。
地面から無数の岩の刃が突き出す。
「おっと……!」
新太は身体を捻りながら、それを紙一重で避ける。
一つ。
二つ。
三つ。
迫り来る攻撃を、風の力で躱していく。
白虎の力。
それは、何よりも速い。
「そんな大振りじゃ当たらねぇよ!」
新太は地を蹴った。
風を纏った身体が、一瞬で妖魔の懐へ入り込む。
白虎刀が閃く。
しかし――。
ガキィンッ!
刃は硬い岩のような腕に阻まれた。
「っ……!」
土魔が低く唸る。
力ではなく、防御。
自らの身体そのものを大地のように変えている。
「なるほどな……。」
新太は距離を取り、白虎刀を構え直す。
「速さだけじゃ駄目ってことか。」
その顔には、むしろ楽しそうな笑みが浮かんでいた。
一方。
本成もまた、水を纏う妖魔と向かい合っていた。
水流が渦を巻く。
自在に形を変えるその力は、攻撃の予測が難しい。
だが。
本成は焦らない。
「流れるものほど、捕らえにくい。」
静かに手を地へ添える。
「なら……動ける場所を奪えばいい。」
琥珀色の神力が大地を走る。
「――沈静。 」
地面が盛り上がり、水の流れを絡め取る。
水魔の動きが僅かに止まった。
その一瞬。
本成の瞳が鋭く光る。
玄武の力。
守るだけではない。
相手の動きを封じる力。
そして。
篤久は、炎を纏う妖魔と対峙していた。
赤く燃える炎。
荒々しい力。
火魔の核を宿した妖魔。
水である青龍とは、相性の良い相手。
だが。
篤久は油断していなかった。
目の前の妖魔から感じる力は、ただの火ではない。
何かが混じっている。
その正体を探るように、篤久は静かに構える。
妖魔が咆哮した。
炎が夜空を赤く染める。
篤久の周囲に水が集まる。
静かな声が響く。
「蒼流刃。」
蒼い水の刃が、炎へ向かって走った。
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