第三章 朱雀の宿命 第四十話『生きたい願い』
「……ごめん、ミサ。」
一通り経緯を説明し終えた篤久は、静かに頭を下げた。
突然の謝罪に、ミサは目を瞬かせる。
「ど、どうして篤が謝るの!?」
慌てて両手を伸ばし、篤久の顔を上げさせようとする。
しかし、篤久はゆっくりと首を振った。
「……ミサ一人に、大きな負担を背負わせることになる。」
そう呟くと、肩へ置かれたミサの手に、自分の手を重ねる。
そのまま優しく包み込むように握り、額をそっと重ねた。
「でも……。」
ミサは静かに篤久を見る。
「そのために、みんなが守護玉へ神力を込めてくれたんでしょう?」
「それでもだ。」
篤久の声は低く、苦しげだった。
「結界へ神力を送り続ける負担は、そんな簡単なものじゃない。」
一度、結界が神力を求め始めれば。
それは守護者の限界など関係なく、ただひたすら力を吸い上げようとする。
体力も、気力も。
最後には立っていることすら困難になる。
その苦しさを、篤久は誰より知っていた。
だからこそ。
目の前の少女に、同じものを背負わせることが怖かった。
「守護玉に込められた神力を、私が結界へ送る。」
ミサは迷いなく言う。
「それで朱雀の力が保てるなら。」
その言葉に、篤久は目を伏せた。
「……ミサ。」
「大丈夫。」
ミサは微笑む。
「私にできることなら、全部やりたい。」
真っ直ぐ向けられた朱色の瞳。
そこに宿るのは、諦めではない。
誰かを守りたいという強い意志だった。
篤久はしばらく何も言わなかった。
そして。
小さく息を吐く。
「……分かった。」
その一言に、ミサは少しだけ安心したように笑った。
篤久は手のひらを開く。
そこには、白虎玉、玄武玉。
そして、半分に割れた麒麟玉が静かに並んでいた。
「これを。」
一つひとつ、大切にミサの手へ乗せていく。
触れた瞬間。
それぞれの守護玉から、膨大な神力が伝わってきた。
思わず息を呑む。
――みんな……。
こんなにも大きな力を。
こんなにも長い間、背負ってきたんだ。
守護玉を見つめるほど、自分の未熟さを思い知らされる。
そして同時に。
これほどの力を託された意味も感じていた。
「……あれ?」
ミサはふと視線を上げた。
篤久の耳元。
そこにはまだ、青龍玉の耳飾りが揺れていた。
「あっ……。」
その視線に気づいた篤久は、小さく笑う。
「まだ渡していなかったな。」
そう言うと、篤久は耳元の青龍玉へ触れた。
「――解除。」
淡い光が広がる。
静かな音と共に耳飾りが外れ、青龍玉が篤久の手のひらへ落ちた。
その瞬間。
ミサは息を呑んだ。
溢れ出す神力。
それは、先ほど受け取った三つの守護玉とは比べものにならないほど大きかった。
これほどの力を、篤久はいつも身に宿しているのだ。
けれど。
篤久は何も言わなかった。
ただ、静かに青龍玉を見つめる。
「……篤。」
ミサが呼ぶと、篤久は顔を上げた。
「なに?」
「……ううん。」
ミサは小さく首を振る。
言葉にできない。
ただ。
この力を、今までずっと守るために使ってきたのだと。
そんな気がした。
篤久は青龍玉を手に取り、ミサへ歩み寄る。
「少しだけ、動かないで。」
「うん。」
ミサが頷く。
篤久の指先が、そっと左耳へ触れる。
その距離の近さに、ミサの鼓動が少しだけ速くなる。
「――装備。」
静かな詠唱。
淡い光とともに、青龍玉がミサの左耳へ収まった。
「……どう?」
篤久が尋ねる。
ミサはそっと耳元へ触れた。
神力が守護玉を通じて少しずつ流れ込んでくる。
「温かい。」
短い答え。
けれど。
篤久は少しだけ目を細めた。
「そうか。」
「篤の神力だからかな。」
そう言った瞬間。
篤久の表情がわずかに柔らかくなる。
それだけだった。
けれど。
ミサには、その笑顔だけで十分だった。
耳元で揺れる青龍玉。
そこにある力は、離れていても篤久を感じさせてくれる。
「ありがとう、篤。」
「……礼を言う必要はない。」
「でも。」
ミサが笑う。
「嬉しいから。」
その言葉に、篤久は少しだけ視線を逸らした。
「守護玉は役目を終えれば、自然と守護者の元に還る。」
「だから、それまではミサが持っててくれ。」
大事に守護玉をしまうミサに、篤久はそう言うと手を差し伸べた。
「……行こう。」
「うん。」
ミサは迷わず、その手を取った。
※ ※ ※
「へぇ……これが忍び装束か。初めて見た。」
奥の間へ姿を現したミサを見て、新太が目を丸くした。
左耳の青龍玉を隠すように髪をまとめ、黒を基調とした忍び装束へ身を包んでいる。
普段の水干とは違い、動きやすさを重視した仕立て。
その姿は、いつものミサとは少し違って見えた。
「ミサって、思ってたより華奢だったんだな。」
「新太。」
本成が呆れたように名前を呼ぶ。
「いや、だって普段は水干で分からなかっただろ。」
悪気なく言う新太に、ミサは困ったように笑った。
「二人とも、すごく似合ってるよ。」
ミサが視線を向ける。
本成と新太も、すでに支度を終えていた。
初めて出会った時と同じ随身姿。
守護者のために仕立てられた装束は、それぞれの四神を象徴する色が織り込まれ、一人ひとりの存在を引き立てていた。
「ありがとう。」
本成が穏やかに笑う。
「ミサも似合っているよ。」
「そうかな?」
ミサは袖や装束を見ながら少し照れたように笑った。
その姿を見つめていた新太と本成だったが。
不意に視界へ人影が割って入った。
「それ以上見るな。」
低い声。
気づけば篤久がミサの前に立っていた。
まるで、本成と新太の視線から隠すように。
「……え?」
ミサが目を瞬かせる。
「なんだよ。」
新太が不満そうに眉を寄せる。
「見るくらいいいだろ。減るわけじゃあるまいし。」
「減るからダメだ。」
即答だった。
その迷いのなさに、本成が思わず吹き出す。
「篤久。」
「何だ。」
「相変わらずだね。」
「……何がだ。」
本成はそれ以上言わず、ただ苦笑する。
そんな篤久の横顔を見上げて、ミサはふと気づいた。
いつもとは少し違う。
普段の束帯姿でもなく、政務に向かう時の姿でもない。
守護者として仕立てられた装束に身を包んだ篤久は、青龍の力を宿す者としての凛々しさをまとっていた。
けれど。
その表情の奥にある優しさだけは、いつもと変わらない。
自分を守るように立ってくれることも。
何も言わず、隣にいてくれることも。
全部、篤久らしい。
「……篤。」
思わず名前を呼ぶ。
「なんだ?」
振り返った篤久と目が合った瞬間、ミサは慌てて視線を逸らした。
「……ううん。」
頬が少し熱くなる。
何度も見てきたはずなのに。
それでも、胸が高鳴ってしまう。
この人の隣にいられる時間が。
ずっと続けばいいのに。
ふと、そんな願いが胸をよぎった。
「揃っているわね。」
その時。
御簾の向こうから、なぎの上とあず姫が姿を現した。
四人はすぐに表情を引き締め、一斉に膝をつく。
「ミサ。」
なぎの上の声は、いつもより優しかった。
「最後まで苦労をかけるわね。」
ミサは静かに首を横へ振る。
「そんなことありません。」
そう答えながらも。
胸の奥では、分かっていた。
今夜、自分が向かう場所が。
どれほど危険なのか。
「私は……。」
ミサは一度だけ目を閉じる。
そして。
真っ直ぐ前を見た。
「できることを、最後までやるだけです。」
その言葉に、なぎの上もあず姫も静かに頷いた。
誰も、その覚悟を否定しなかった。
ただ。
隣に立つ篤久だけが、握った拳をわずかに強めていた。
その小さな変化に気づいたのは、本成だけだった。
篤久は、いつも冷静だ。
どれほど危険な状況でも、感情を表に出すことは少ない。
けれど。
ミサのことになると、ほんの僅かに揺らぐ。
それを、本成は昔から知っていた。
五年前。
まだ誰にも心を開かなかった篤久が、初めてミサと出会った時から。
どれほど長い時間、ただ一人を想い続けてきたのか。
その想いの深さを、本成だけは知っている。
だからこそ。
今、何も言わずミサの隣に立つ篤久の気持ちも分かっていた。
守りたい。
失いたくない。
それでも。
ミサ自身が覚悟を決めている以上、無理に止めることはできない。
篤久は、そういう男だった。
「とりあえず。」
静寂を破ったのは、なぎの上だった。
「あずの予知夢もあるわ。各自、自分の持ち場を離れないこと。それから――」
一度、ミサへ視線を向ける。
「丑の刻が近づいたら、結界へ神力を送るのも忘れないように。」
「はい。」
ミサを除く三人が力強く頷く。
しかし。
今夜だけは、いつもと同じではなかった。
普段ならば、逢魔が時を迎えた瞬間から結界へ神力を送り続ける。
それが四神の守護者に課せられた役目だった。
けれど。
今夜、最優先すべきは別にある。
弱まり続ける朱雀の力を補い、四神の均衡を一時でも取り戻すこと。
そのため篤久は、新太と本成にある提案をしていた。
「結界へ送る神力は、丑の刻直前まで抑える。」
少しでも多く。
少しでも長く。
守護玉へ蓄えた神力を、ミサへ託すために。
もちろん危険はある。
結界の弱まりを完全に止めることはできない。
それでも。
今できる最善の方法だった。
「……分かった。」
新太も。
「うん。」
本成も。
その判断を受け入れた。
そして篤久もまた。
青龍の守護者としてではなく。
一人の男として。
ミサの未来を守るために、決断していた。
「……そろそろ時間だね。」
静かな声で本成が呟く。
その言葉に、全員が表情を引き締めた。
今夜は、いつもの新月とは違う。
四神の均衡を取り戻すため。
そして、妖魔の出現に備えるため。
それぞれが覚悟を決めた夜だった。
三人は結界へ送る神力を極力抑え、丑の刻直前から必要最低限だけ流し込む。
すべては、朱雀復活へ向けて。
ミサが背負うものを、少しでも軽くするためだった。
互いの想いを胸に秘めたまま。
四人は静かに、それぞれの持ち場へ向かう準備を始めた。
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