第三章 朱雀の宿命 第三十九話『託された神力』
朱雀門の前で倒れていたミサを見つけた篤久は、そのまま屋敷へ連れ帰った。
しかし、どれだけ待っても、ミサが目を覚ます気配はない。
穏やかな寝息だけが静かな部屋に響き、時だけが無情に過ぎていく。
やがて朝ぼらけを迎える頃、篤久は静かに決断した。
「……宮廷に連れて行くか。」
一人で抱え込む問題ではない。
迫り来る逢魔が時を前に、守護者全員で結論を出さなければならなかった。
※ ※ ※
奥の間には、守護者全員が集まっていた。
篤久の腕の中では、ミサが静かな寝息を立て続けている。
その姿を気遣うように見つめながらも、自然と話題は結界のことへ移っていった。
「結界を張らないって……どういうことだ?」
篤久の口から告げられた提案に、新太が思わず声を荒げる。
「……やっぱり、ミサの神力が足りないのね。」
なぎの上が静かに呟いた。
篤久は否定することなく、小さく頷く。
「新たな結界を張るには、万全の状態でなければならない。朱雀の守護者ではないミサ一人に、その負担は重すぎます。」
そう言いながら、篤久は腕の中のミサへ視線を落とした。
この数日で嫌というほど思い知らされた。
ミサが秘める神力は、守護者と比べればあまりにも少ない。
どれだけ神力を分け与えても、その器には限界があった。
「じゃあ、どうするんだよ! このままじゃ結界は崩壊するんだろ!」
新太は苛立ちを隠せない。
その声が奥の間へ響き渡る。
「まぁまぁ、新太。落ち着いて。」
本成が苦笑しながら宥める。
「篤久は、何もしないとは言ってない。そうだよね?」
全員の視線が篤久へ集まった。
篤久は静かに口を開く。
「……結界が弱まっている原因は、老朽化だけではありません。」
その一言で、部屋の空気が張り詰める。
「四神の力の均衡が崩れていること。それが、一番大きな原因です。」
「朱雀の神力……。」
あず姫が静かに呟く。
「そうです。」
篤久は頷いた。
「朱雀の守護者は歴代でも極端に少ない。当然、結界へ送られる朱雀の神力も少なくなります。」
「玄武は代々、九条家から守護者が現れているものね。」
「青龍も白虎も、前任が退けば数年以内には次の守護者が現れる。」
なぎの上、本成、新太の言葉が続く。
その瞬間。
全員の視線が、眠るミサへと集まった。
静かな寝息だけが部屋に響いている。
「ミサは、逢魔が時までには目を覚まします。」
篤久は迷いなく言い切った。
その言葉を疑う者は、誰一人いなかった。
「でも、目を覚ましたとして……結界を張らないなら、どうするの?」
なぎの上が静かに問い掛ける。
「今まで通り神力を送り続けても、均衡が崩れてきているなら、崩壊を少し先延ばしにするだけでしょう。」
「その通りです。」
篤久はあっさり認めた。
思わず本成と新太が顔を見合わせる。
一方で、なぎの上とあず姫だけは険しい表情を浮かべた。
篤久はその反応を見ても何も言わない。
まるで、その先の答えを待っているようだった。
「……まさか。」
なぎの上が低く呟く。
「あんた、ミサ一人に全部背負わせるつもり?」
「はい。」
一切の迷いがない返事だった。
「馬鹿なこと言わないで!」
なぎの上が思わず立ち上がる。
「ミサが神力を送り続けたところで焼け石に水よ!」
「ミサの神力だけでは、結界全体の歪みは補えはしない。」
あず姫も厳しい口調で続けた。
それでも篤久の表情は変わらない。
「……まさか、あんたが神力を与え続けるなんて言うつもりじゃないでしょうね?」
部屋が静まり返る。
誰もが同じことを考えていた。
篤久なら、それすら実行しかねない。
しかし、それでは守護者全員が集まった意味がない。
「その方法でも構いませんが。」
さらりと言ってのけた篤久に、新太が頭を抱える。
「いや、構うだろ!」
その勢いに、本成まで思わず吹き出した。
重苦しかった空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
そんな二人を横目に、篤久は耳元の青龍玉へ静かに触れた。
「ですが、私の考えは違います。」
その一言で、再び場の空気が引き締まる。
篤久は全員を真っ直ぐ見渡した。
「皆さんの守護玉を――ミサに預けます。」
「……え?」
あまりにも予想外の提案に、その場の空気が止まった。
守護玉を預ける。
その発想は、誰一人として考えたことがなかった。
「守護玉は神力を蓄えることはあっても、放出はできないはずよ。」
なぎの上が眉をひそめる。
「そう思っていました。」
篤久は静かに頷いた。
「ですが、一昨日、一つだけ気付いたことがあります。」
その言葉に、全員の視線が篤久へ集まる。
「一昨日、ミサが私の背中にもたれたまま眠ってしまいました。」
本成は、その光景を思い浮かべるように静かに目を伏せる。
篤久は続けた。
「寝所へ運ぼうとした、その時です。」
耳元の青龍玉へ触れる。
「青龍玉がミサへ触れた瞬間だけ、神力が流れ込む感覚がありました。」
「……!」
本成が息をのむ。
「守護玉が直接触れた時だけ……ということ?」
「あぁ。」
篤久は頷いた。
「最初は気のせいかと思いました。」
「ですが、その後何度考えても、神力が流れたのはその一瞬だけでした。」
静かな声が奥の間へ響く。
「守護玉そのものが神力を放出しているわけではありません。」
「ですが、持ち主の神力を宿した守護玉が、ミサへ直接触れることで……媒介となり、神力を受け渡せるのではないか。」
そう言って、篤久は腕の中で眠り続けるミサへ視線を落とした。
小さな身体で、朱雀の役目を背負おうとしている。
その姿を見るたびに、胸の奥が痛んだ。
「この方法なら、ミサ一人に負担を集中させずに済みます。」
篤久はそう告げると、静かに眠るミサへ視線を落とした。
小さな身体で。
たった一人で。
朱雀の巫女という宿命を背負おうとしている少女。
本当なら、自分がもっと早く気付くべきだった。
ミサがどれほど不安を抱えていたのか。
どれほど一人で覚悟を決めていたのか。
それでも、ミサは誰にも弱音を吐かなかった。
だからこそ――。
もう二度と、一人で背負わせたくなかった。
「……。」
篤久は眠るミサの手を、そっと握り直す。
その時だった。
小さな鈴が――。
チリン。
静かな音を響かせた。
「……?」
篤久の視線が、わずかに揺れる。
聞き間違いではない。
確かに、今。
ミサの鈴が鳴った。
けれど。
その理由を、篤久は知らない。
ミサも知らない。
ただ、その小さな音は、張り詰めていた奥の間へ静かに溶けていった。
「……ミサ。」
篤久は小さく名前を呼ぶ。
眠ったままのミサは、何も答えない。
それでも。
その表情は、どこか穏やかに見えた。
篤久は一度だけ目を閉じる。
そして、改めて全員へ向き直った。
「この方法で、必ず間に合わせます。」
迷いのない声だった。
篤久は姿勢を正すと、深く頭を下げた。
「本成、新太。そして、なぎの上様、あず姫様。」
「どうか皆さんの神力を、それぞれの守護玉へ込めていただきたく。」
奥の間に重い沈黙が落ちた。
守護玉は普段から微弱ながら守護者の神力を吸収している。
だが、篤久は今持てる神力全てを守護玉に込めろと言うのだ。
誰もが、その意味を理解していた。
これはただの延命策ではない。
ミサを守るための、篤久なりの答えだった。
「……それでも、根本的な解決にはならないわ。」
静かに口を開いたのは、あず姫だった。
「結界の寿命を延ばせても、一時しのぎにしかならない。」
篤久はゆっくりと顔を上げる。
「一年。」
その短い言葉に、全員の視線が集まった。
「長くても一年…結界が保てば、新たな朱雀が生まれ、次の守護者が現れます。」
「……その根拠は?」
あず姫が問い掛ける。
「その説明は、僕が。」
口を開いたのは本成だった。
篤久は小さく頷く。
「篤久に頼まれて、玄武へ尋ねてもらったんです。」
「夢見を使ったの!?」
なぎの上が驚きの声を上げる。
「はい。」
本成は少し困ったように笑う。
「篤久に、どうしても……と頼まれまして。」
「本成。」
篤久が呆れたようにため息をつく。
「誤解を招く言い方をするな。」
「え?」
「俺は先生に頼んでくれと言っただけだ。」
その言葉に、本成は「ああ」と納得したように笑う。
「そうだったね。」
だが、そのやり取りを聞いたなぎの上は、すぐに表情を曇らせた。
「元守護者にまで無茶をさせるなんて……。」
「夢見は神力を大きく消耗するのよ。」
あず姫も心配そうに続ける。
「元宝院殿のお身体が心配だわ。」
二人の言葉には、本気の心配が滲んでいた。
しかし、篤久と本成は顔を見合わせる。
そして、ほぼ同時に同じことを思った。
――あの人なら、その程度で倒れる人ではない。
その空気を感じ取ったのか、新太が豪快に笑う。
「先生なら大丈夫だろ!あの人普通じゃないしな!」
あまりにも迷いのない言い方に、本成は苦笑する。
「……それは否定できないね。」
「だろ?」
新太は満足そうに頷くと、胸元の袋へ手を伸ばした。
そして、中から翡翠色に輝く白虎玉を取り出す。
「それより、これにどうやって神力を送るんだ?」
白虎玉を覗き込みながら、新太は首を傾げた。
その場にいた全員が、呆れたように新太を見る。
「結界へ神力を送る時と同じだよ。」
本成が苦笑しながら説明する。
「守護玉に向かって、神力を流し込めばいい。」
「なるほど!」
新太の表情がぱっと明るくなる。
嫌な予感がした。
だが――。
止めるより早く。
「こういうことだな!」
新太は白虎玉へ向けて、一気に神力を解放した。
「ちょっ――!」
「馬鹿!」
なぎの上の声が響く。
瞬間。
全員が身構えた。
篤久だけは抱きかかえているミサを庇うように覆い被さる。
白虎の膨大な神力が、この奥の間を吹き飛ばす。
そう思った。
しかし――。
何も起こらない。
風も起きない。
音すらない。
ただ、白虎玉だけが淡く輝いていた。
「……え?」
新太が目を丸くする。
「神力……全部吸い込まれたぞ。」
その言葉の直後。
バシンッ。
乾いた音が奥の間に響いた。
「痛っ!!」
新太の頭を、なぎの上の扇子が見事に叩いていた。
「こんな室内で、それも全力で神力を放つなんて……何を考えているの!」
いつになく低い声。
笑っていない。
本気で怒っている。
それだけは、新太にも十分伝わった。
「いや……でも、ちゃんと神力吸い込まれたし…」
「そういう問題ではありません。」
即座に返され、新太は肩を落とす。
「何も考えてないから、やったんじゃない?」
あず姫が呆れたように呟く。
本成と篤久も、思わず苦笑した。
「それより……。」
本成は懐から自分の瞳と同じ色の、琥珀色の玄武玉を取り出す。
「守護玉がここまで神力を吸収するなんて、思わなかった。」
「結界と同じ役割を果たしているのかもしれないな。」
篤久も静かに呟く。
その視線は、眠るミサへ向けられていた。
守護玉を通じてなら。
ミサは一人で背負わなくていい。
その可能性が見えたことに、ほんの少しだけ胸の奥が軽くなる。
「私たちは向こうで済ませましょう。」
篤久の様子を見たなぎの上とあず姫は、それぞれ守護玉を手に取り、部屋を後にした。
神力を使えば、体力をかなり消耗する。
疲労する姿など高貴な二人が見せるわけにはいかなかった。
「……新太、体は大丈夫?」
本成が心配そうに声を掛ける。
先ほど白虎玉へ大量の神力を流し込んだ新太は、まだ平然としているように見えた。
しかし――。
「ん?」
返事をした瞬間。
新太の表情が固まる。
「……あれ?」
次の瞬間、力が抜けたように、その場へ崩れ落ちた。
「うわっ!」
本成が慌てて手を伸ばすが、間に合わない。
新太はそのまま畳へ大の字になる。
「疲れたぁ……。」
「……今頃?」
本成が呆れたように苦笑する。
どうやら、神力を使い果たした疲労が一気に押し寄せてきたらしい。
本来なら、神力は少しずつ放出するものだ。
身体への負担を抑えながら、時間を掛けて守護玉へ送り込む。
「……もしかして、お前はいつも結界へ神力を送る時も同じことをしているのか?」
手のひらの青龍玉へ少しずつ神力を流し込みながら、呆れたように尋ねる。
「まぁ、人それぞれだからね。」
本成は肩をすくめた。
「倒れても体力が回復すれば、また神力を溜めればいいだけでしょ?」
「そうだな。」
篤久はさらりと頷く。
「どうせ欲が湧き出すのは、丑の刻を過ぎてからだ。」
あまりにも当然のように言い放たれたその一言に、新太はぎょっと目を見開いた。
「いや……倒れる前提なのかよ。」
「違うのか?」
「……。」
新太は何も言い返せなかった。
そして。
結局、新太の神力が回復したのは半刻以上経ってからだった。
「疲れたぁ~~~~!」
神力を使い果たす度に、畳へ大の字になる新太を見て、本成が苦笑する。
神力の加減がどうしても掴めない新太は、その日だけで何度も神力を使い果たし、倒れては回復を繰り返すことになった。
そのたびに、奥の間には呆れ半分のため息と笑い声が響くのだった。
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