第三章 朱雀の宿命 第三十一話『朝のぬくもり』
「……ん。」
身じろぎしたミサは、小さく息を漏らしながら、ゆっくりと目を開けた。
障子越しに柔らかな朝日が差し込み、部屋を淡く照らしている。
――朝……?
ぼんやりとしていた意識が、少しずつ冴えていく。
その時、背中に伝わる温もりに気付いた。
「……もう少しだけ。」
眠たげな声が、すぐ後ろから聞こえる。
「えっ?」
その一言で、ミサの意識は一気に覚醒した。
恐る恐る振り返ろうとすると、篤久の腕が自分を包むように回されていることに気付く。
「え、えぇっ!?」
思わず身体を強張らせる。
――私、いつの間に寝ちゃったの?
シノビである自分が、ここまで深く眠ることなど滅多にない。
それほどまでに、篤久のそばが安心できる場所になっていたのだろう。
そう思った瞬間、今度は頬まで熱くなっていく。
「あ、篤……起きてる?」
「……起きてない。」
即座に返ってきた返事に、ミサは思わず苦笑した。
「起きてるよね?」
「半分だけ。」
まだ眠気の残る声だった。
「もう起きよう?」
「あと少し。」
子どものような返事と共に、回されていた腕の力が少し強まると、ミサは小さく息を吐く。
「……篤。」
「ん?」
「私、いつから寝てた?」
「昨日、俺の背中にもたれてきて、そのまま。」
「えっ……。」
「布団まで運んだら、袖を離してくれなくて。」
その言葉に、ミサは両手で顔を覆った。
「ご、ごめん……。」
「謝ることじゃないよ。」
篤久は穏やかに笑う。
「安心して眠れたってことだろ?」
その一言に、ミサは返す言葉を失った。
恥ずかしさはある。
けれど、それ以上に胸の奥が温かくなる。
「……ありがとう。」
小さく呟くと、篤久は照れくさそうに目を細めた。
「さて。」
ようやく身体を起こし、大きく伸びをする。
「着替えてくる。」
「う、うん。」
篤久が部屋を出ていくと、静けさが戻った。
ミサは布団の上で両頬に手を当て、小さく笑う。
「……朝からびっくりした。」
※ ※ ※
身支度を整えて寝所を出ると、すでに着替えを終えた篤久が廊下で待っていた。
「おはよう。」
「お、おはよう。」
朝の出来事を思い出し、ミサは照れくさそうに目を逸らす。
篤久は何事もなかったように微笑んだ。
「朝餉、用意してある。」
それだけ言うと、歩き出す。
部屋へ入ると、湯気の立つ朝餉がきれいに並べられていた。
温かな粥に焼き魚、小鉢がいくつも添えられている。
「すごい……。」
思わず感嘆の声が漏れた。
昨日から何もかも用意してもらっていることに、ミサは恐縮するばかりだった。
礼を言おうにも、家臣たちは気を遣っているのか、篤久の前にはほとんど姿を見せない。
二人きりの静かな朝。
向かい合って食事を始めると、ミサはふと気になっていたことを口にした。
「……篤は、いつも一人で食べてるの?」
篤久は少し困ったように笑い、粥をひと口すくう。
「ここでは、あんまり食べないかな。」
「え?」
「昔から、一人で食べるの好きじゃなくてさ。」
何気なく口にしたその言葉が、ミサの胸を締めつけた。
広い屋敷。
少ない家臣。
幼い頃から一人で暮らしてきたという話。
その寂しさは、想像するだけで胸が痛む。
ミサは母を亡くしてから、ほとんど年の変わらない、なぎの上とあず姫と共に育ってきた。
母を亡くした悲しみを乗り越えられたのも、二人がいてくれたからだ。
だからこそ、篤久の孤独が痛いほど伝わってきた。
言葉を失い俯くミサを見て、篤久はふっと微笑む。
「だから。」
匙を静かに置き、真っ直ぐミサを見つめた。
「これからも、こうして一緒に食事してくれたら嬉しい。」
「えっ?」
穏やかな表情。
けれど、その瞳だけは真剣だった。
「ミサ。」
「……うん。」
「朱雀の巫女としての役目が終わったら。」
一拍置いて、静かに続ける。
「ここで、一緒に暮らさないか。」
ミサは目を見開いた。
「……それって。」
「嫁においでって意味。」
「えっ!?」
一瞬で耳まで真っ赤になる。
あまりにも真っ直ぐな言葉に、頭の中が真っ白になった。
「よ、嫁って……。」
慌てるミサを見て、篤久は小さく笑う。
「返事は今じゃなくていい。」
「でも、全部終わって落ち着いたら、一度だけ考えてみて。」
その言葉が、ミサの胸へ深く突き刺さる。
――全部終わったら。
その未来を、自分は迎えられるのだろうか。
朱雀の巫女として役目を終えた先に、自分の命はあるのだろうか。
期待してはいけない。
そう分かっているのに。
胸の奥では、小さな願いが芽生えてしまう。
――篤と生きたい。
その想いだけは、どうしても消せなかった。
俯いたまま、小さく頷く。
それが今の精一杯の返事だった。
「ありがとう。」
その小さな頷きだけで十分だったのか、篤久は安心したように微笑み、再び匙を手に取った。
重くなりかけた空気を戻すように、二人は他愛もない話をしながら朝餉を終える。
食後のお茶を飲みながら、今日は約束していた白虎地区へ行こうと話していた、その時だった。
懐の通信鏡が淡く光る。
「あっ。」
取り出すと、鏡にはなぎの上の姿が映っていた。
「おはようございます、なぎの上様。」
『おはよう、ミサ。暇中で悪いんだけど、一度戻ってきて。』
いつも通り穏やかな口調。
だが、その声音には僅かな緊迫感が滲んでいた。
「分かりました。すぐ戻ります。」
『篤久もね。一緒にいるんでしょ?』
「えっ。」
思わず篤久を見る。
「……はい。」
短く返事をすると、鏡の向こうでなぎの上が静かに頷いた。
『できるだけ急いで。』
通信が切れる。
部屋に静寂が戻ると、篤久はすぐに立ち上がった。
「馬で行こう。」
「えっ?」
「急ぎっていうのが気になる。」
「じゃあ私は後から――」
言い終わる前に、篤久は苦笑する。
「何言ってる。」
「一緒に乗ればいい。」
「えぇ!?」
「時間がない。」
そう言って、ごく自然にミサの手を取る。
「ほら、行くよ。」
戸惑うミサを連れ、篤久は足早に部屋を後にした。
前話長かった分、今回短めです。
ちなみにミサは馬に乗れません。
ここまで読んで頂きありがとうございます。




