第三章 朱雀の宿命 第二十九話『繋がる想い』
日が西へ傾く頃。
炊き出しは、大きな混乱もなく終わりを迎えた。
最後の鍋を片付け終えると、長屋の人々は何度も礼を言いながら、それぞれの家へ戻っていく。
「じゃあ俺、今日は夜勤だから!」
新太は頭の後ろで手を組み、名残惜しそうに笑った。
「また呼べよ!」
「うん。今日はありがとう。」
ミサが笑顔で手を振ると、新太も大きく手を振り返しながら歩いていく。
その隣で、本成も小さく欠伸をした。
「僕も帰るよ。」
「えっ、もう?」
「昨日から寝てないからね。」
肩を竦めながら笑う。
「少し寝ないと、じぃちゃんに怒られそう。」
そう言って、本成は篤久を見る。
「じゃあ、後はよろしく。」
「ああ。」
短い返事を残し、本成も新太の後を追うように歩き出した。
二人の姿が角を曲がり、見えなくなる。
静かな夕暮れが訪れた。
残されたのは、ミサと篤久だけだった。
「……篤。」
「ん?」
「帰らなくても大丈夫なの?」
「あぁ、暇を貰ったんだ。」
「えっ?そうなの?」
「あぁ。」
そう言いながら、篤久は洗い終えた大鍋へ手を伸ばす。
ミサが持ち上げようとした瞬間。
ひょい、と横から篤久が持ち上げた。
「えっ、私が持つよ。」
「じゃあ、お玉を頼む。」
そう言って顎で示した先には、洗い終えたお玉が並んでいる。
「……はーい。」
少しだけ頬を膨らませながら、ミサはお玉を抱え、篤久の後を追った。
「朝廷の方は?」
「ああ。もう済んだ。」
「そっか。」
短い会話。
それだけなのに。
昨日までとは違う距離に、ミサはどうしても意識してしまう。
想いを知ってしまったから。
隣を歩くだけで、胸が落ち着かない。
片付けを終えるまで、結局二人の間に流れる空気はどこかぎこちなかった。
けれど。
嫌な沈黙ではなかった。
むしろ、今まで出会えなかった時間を噛み締めるような静けさだった。
※ ※ ※
二人は、夕暮れに染まる街を並んで歩いていた。
西の空は茜色から群青へと移ろい始め、昼と夜の狭間――逢魔が時が静かに近づいている。
昼間の賑わいが嘘のように、人通りはまばらになっている。
軒先には明かりが灯り始め、家々からは夕餉の香りが漂っていた。
言葉はない。
けれど、不思議と気まずさはなかった。
「ミサ。」
篤久が静かに名前を呼ぶ。
「ん?」
振り向いた、その瞬間だった。
篤久は立ち止まると、ミサの首の後ろへそっと手を伸ばした。
「えっ?」
指先が触れたのは、被衣の結び目。
するり、と布がほどける。
「篤……?」
何をするのか分からず見つめるミサをよそに、篤久は乱れた布を丁寧に整え始めた。
慣れた手つきで結び直し、最後に形を確かめるように軽く指先で整える。
「……これでいい。」
そう呟くと、小さく息を吐いた。
「簡単に他の男に触らせないで。」
「……へ?」
きょとんと目を瞬かせるミサに、篤久は少しだけ視線を逸らした。
「あれ、新太が結んだんだろ。」
「あっ……。」
炊き出しの時のことを思い出す。
「頭も撫でられてた。」
「えぇっ!?」
ミサの顔が一気に真っ赤になる。
「あ、あれは違うの! 手伝いやすいように結び直してくれただけで、その……『似合ってる』って……ぽんってしただけだから!」
必死に説明するミサを見つめ、篤久は静かに口を開いた。
「分かってる。」
「え?」
「新太に他意がないことくらい。」
その言葉に少しだけ安心したのも束の間。
篤久はミサの手をとると、そっと握りしめた。
「それでも嫌だった。」
その言葉に、ミサは篤久が新太に嫉妬していることに気付く。
顔の熱が冷めるようにと、もう片方の手で頬を押さえた。
「…って言っても、まだそれを言う権利はないんだけどね?」
少し寂しげな表情で篤久が後ろを振り返ると、ミサの朱色の瞳と目が合った。
篤久が何を求めているのか、蒼色の瞳を見てミサは感じ取る。
まだ告白された返事が出来ていない。
それが分かると、ミサは気まずそうに下を向いた。
それを見た篤久が、話題を変える。
「ミサ。朱雀のこと聞いたよ。」
「えっ?」
顔を上げると、真剣な面持ちで篤久がミサを見つめていた。
―――誰に、どこまで聞いたの?
ミサが不安げに篤久を見つめ返すと、篤久はミサを安心させるように笑顔を見せた。
「こんなところで話すことでもないな。とりあえず場所を変えよう。」
夕暮れの風が、二人の間を静かに吹き抜けていった。
しばらく無言のまま歩き続ける。
聞こえてくるのは、二人の足音だけ。
夕暮れの街は少しずつ静けさを増し、逢魔が時がゆっくりと近づいていた。
やがて、篤久がふと思い出したように足を止める。
「あ、そうだ。」
振り返ると、ミサへ片手を差し出した。
「通信鏡、貸して。」
「あっ。」
その一言で、ミサもようやく思い出す。
まだ互いの魔力を交換していなかった。
懐から通信鏡を取り出し、篤久へ差し出す。
代わりに篤久の通信鏡を受け取った。
「……でも。」
篤久は周囲へ視線を巡らせた。
まだ人通りはある。
仕事を終えた人々が、それぞれの家路を急いでいた。
「ここで魔力を使うのは良くないか?」
「あっ……一瞬だけだから、大丈夫……だと思う。」
通信鏡へ流し込む魔力は、ごくわずか。
火属性だと気付かれるほどではない――そう説明しかけると、篤久は小さく首を振った。
「それも後でいい。」
そう言って、再びミサの手をそっと握る。
「……うん。」
ミサは小さく頷き、篤久と並んで歩き出した。
二人が向かった先は――。
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