第三章 朱雀の宿命 第二十八話『重なる時間』
通信鏡は、誰とでも連絡が取れるわけではない。
互いの鏡へ自分の魔力を込め、相手の魔力を覚えさせて初めて、通信が可能となる。
しかし――。
篤久とミサは、まだ魔力を交換していなかった。
「……しまった。」
皇宮を離れ、自室へ戻った篤久は、手にした通信鏡を見つめて小さく呟いた。
五年間、胸の奥に閉じ込めていた想いを、ようやく伝えられた。
それだけで頭がいっぱいだった。
まさか、こんなことで、連絡が取れなくなるとは思わなかった。
なぎの上付きの女房であるなほへ尋ねたが、朝からミサの姿は見ていないという。
暇を与えられたのなら、部屋で静かに過ごしているとは考えにくい。
あのミサのことだ。
何もしないまま時間を過ごすなど、できるはずがない。
「……街か。」
自然と、その答えへ辿り着く。
昨日もミサは街へ出ていた。
今までほとんど外へ出たことのなかったミサが、自分の知らない場所で二日続けて街を歩いている。
ただ、それだけのこと。
それなのに。
胸の奥が落ち着かなかった。
白虎地区ではない。
あそこは、一緒に行こうと約束した場所だ。
律儀なミサが、その約束を置いて一人で向かうとは思えない。
ならば――。
「玄武地区か。」
初めて二人で歩いた街。
診療所もあり、本成もいる。
暇を与えられたミサが向かうなら、最も可能性が高い場所だった。
篤久は迷うことなく羽織を手に取る。
胸の奥にある焦りが、自然と足を急かしていた。
※ ※ ※
一方その頃。
ミサは玄武地区の長屋へ向かっていた。
昨日、本成と共に訪れた場所。
春太と、その母親が暮らす場所だった。
きっかけは、本成の診察だった。
春太の母親だけではない。
そこに暮らす人々の多くが、貧しさゆえ十分な食事を取ることができず、身体を弱らせていた。
「薬だけじゃ、根本的には治らない。」
帰り道。
本成が何気なく口にした言葉が、ミサの胸に残っていた。
だから――。
朝早くから食材を買い集めた。
ミサは持てるだけの大量の野菜を持って春太のいる長屋に向かっていた。
「あっ! お兄ちゃん!」
長屋の前で遊んでいた子どもたちが、ミサを見るなり駆け寄ってくる。
「あれ? 春太は?」
「こっち!」
小さな手が指差した先。
建物の陰で、春太が膝を抱えて座り込んでいた。
「春太。」
優しく声を掛けると、ゆっくり顔を上げる。
けれど、その表情は昨日より暗かった。
「どうしたの?」
ミサが隣へ腰を下ろすと、春太は俯いたまま小さな声で呟いた。
「……また、母ちゃんが死ぬ夢見たんだ。」
「えっ……。」
今にも泣き出しそうな声。
ミサは少し考えたあと、優しく微笑んだ。
「春太、大丈夫。」
「……え?」
「夢ってね、人に話すと正夢にならないって言うでしょ?」
春太が顔を上げる。
「今、私に話してくれたよね?」
「……うん。」
「だから大丈夫。もう正夢にはならないよ。」
その言葉に、春太の表情が少しずつ明るくなる。
「……ほんと?」
「うん。本当。」
春太が笑った。
その笑顔を見て、ミサもほっと息を吐く。
けれど――。
胸の奥には、消えない違和感が残っていた。
上級妖魔が現れてからというもの、妖魔の姿が途絶えている。
静かすぎる。
まるで、何かが起こる前触れのようだった。
ミサは空を見上げる。
初秋の空は、どこまでも高く澄んでいた。
「……このまま、何も起こらなければいいのに。」
小さく呟いた声は、風に溶けて消えた。
ミサが空を見上げている間にも、長屋には少しずつ人が集まり始めていた。
大きな鍋を抱えた女性が、息を切らしながら歩いてくる。
それに気付いたミサは、慌てて駆け寄った。
「持ちます。」
「あら、ミサさん。ありがとうございます。」
昨日、本成と共に訪れたことで、何人かの住人とは顔見知りになっていた。
本成は身分を気にすることなく、誰にでも自然に声を掛ける。
そのおかげで、長屋の人々ともすぐに打ち解けることができた。
「それなら、炊き出しでもしてみる?」
そう言ってくれたのも本成だった。
本成本人は薬の調合があるため来られなかったが、必要な食材や薬草の手配はすでに済ませてくれている。
女性たちは慣れた手つきで野菜を刻み、大鍋へ次々と入れていく。
薪が燃える音。
包丁がまな板を叩く音。
人々の笑い声。
少しずつ、長屋に温かな空気が広がっていった。
「それにしても……こんな大きなお鍋、よくありましたね。」
ミサが尋ねると、年配の女性が懐かしそうに笑った。
「ああ、これは白虎さまが持ってきてくださったんですよ。」
「白虎……?」
聞き慣れた名前に、ミサは首を傾げる。
「新太のことですか?」
「ええ。」
女性は嬉しそうに頷いた。
「少し前までは、よくここへ来てくださったんですよ。炊き出しをしたり、子どもたちと遊んだり。」
「子どもたちにも大人気なんです。」
口々に語る女性たちの表情は明るかった。
その話を聞きながら、ミサは静かに思う。
――私は、何も知らないんだ。
目覚める前。
守護者候補として、篤久と本成のことは聞いたことがあった。
けれど、新太のことは何も知らなかった。
まだ見つかっていなかったから。
どんな人なのか。
どんな時間を過ごしてきたのか。
自分は何も知らない。
そこまで考えた時だった。
ふと、昔聞いた話が頭をよぎる。
――守護者候補は、関白太政大臣の息子と、御殿医の息子……。
「……あれ?」
手が止まる。
「関白太政大臣の……息子って……。」
一つの答えに辿り着いた瞬間。
「……篤のこと?」
顔から血の気が引いた。
「え……?」
思わずその場にしゃがみ込む。
「ちょっと待って……。」
頭の中で、今までの出来事が一気に繋がっていく。
初めて会った時から、どこか普通ではないと思っていた。
立ち振る舞い。
言葉遣い。
周囲の人間の接し方。
それなのに、自分は何も気付いていなかった。
「私……篤のこと、何も知らない……。」
小さく呟いた、その時だった。
「おーい、ミサ!」
聞き慣れた明るい声が響いた。
顔を上げる。
そこには、大量の食材を抱えた新太が立っていた。
「新太……?」
その後ろには、荷車いっぱいに積まれた野菜や魚。
あまりの量に、ミサは目を丸くする。
「えっ……こんなに?」
「炊き出しするって聞いたからな。」
新太は当然のように言った。
「人が集まるなら、食べる量も増えるだろ?」
その言葉に、周囲の女性たちから歓声が上がる。
「白虎さま、ありがとうございます。」
「本当にいつも助かります。」
その様子を見て、ミサは驚いた。
「新太って……こんなことしてたんだ。」
「ん?」
「いや……知らなかったから。」
新太は少し照れくさそうに笑う。
「別に大したことじゃねぇよ。」
そう言いながらも、荷物を下ろす手は止まらない。
食材を皆へ渡し終えると、新太はミサの前へ戻ってきた。
「ほら。」
「?」
「手伝うんだろ?」
そう言って、ミサの被衣へ手を伸ばす。
「え?」
「そのままだと動きにくいだろ。」
髪が見えないよう慎重に整え、首の後ろで結び直す。
「これなら落ちねぇ。」
「あ……ありがとう。」
「よし。」
新太は満足そうに頷くと、今度はたすきを差し出した。
「これも。」
「私が?」
「当たり前だろ。」
笑いながら言う。
「今日は働くんだから。」
ミサは少し戸惑いながらも、たすきを受け取った。
ぎこちない手付きで掛けると、新太が確認する。
「よし。これで大丈夫。」
「ありがとう、新太。」
「礼はいいって。」
そう言って笑う新太につられ、ミサも笑った。
その笑顔を見て、新太もどこか安心したように目を細めた。
「よし、始めるぞ。」
その声に、周囲の人々も動き出す。
長屋には再び、温かな音が広がっていった。
女性たちと一緒に野菜を刻み、魚を捌き、鍋をかき混ぜる。
ミサにとっては、どれも初めてのことばかりだった。
最初は包丁の扱いにも慣れず、何度も女性たちに教えてもらった。
けれど。
「ミサさん、上手になりましたね。」
「本当ですか?」
「ええ。最初よりずっと手際が良くなりましたよ。」
そんな言葉を掛けられるたび、不思議と嬉しくなった。
宮廷で過ごしていた頃には知らなかった時間。
誰かのために手を動かし、誰かと笑い合う時間。
それが、ミサにはとても温かく感じられた。
やがて。
「できたぞー!」
新太の声が響く。
大鍋から立ち上る湯気と共に、味噌の香ばしい匂いが辺りへ広がった。
「まずは味見だな。」
新太が椀へ少しよそう。
そして一口。
「……。」
一瞬、黙り込む。
その様子に、周囲が不安そうに見つめる。
「どうですか?」
女性の一人が尋ねると。
新太は満面の笑みを浮かべた。
「んまい!」
その一言に、辺りから笑い声が起こった。
「白虎さまのお墨付きだ!」
「これなら皆さん喜びますね。」
新太は満足そうに頷く。
そして、もう一つ椀へよそった。
「ミサ。」
「え?」
差し出された椀に、ミサは目を瞬かせる。
「食べてみ。」
「いいの?」
「もちろん。」
ミサは両手で椀を受け取る。
湯気の向こうから、優しい香りが漂ってくる。
そっと口へ運ぶと。
温かな味噌汁が、身体の奥へ染み渡った。
「……美味しい。」
自然と声が漏れる。
新太は嬉しそうに笑った。
「だろ?」
その時だった。
「おっ、本成だ。」
新太が顔を上げる。
「……あれ?」
少し遅れて、目を細めた。
「篤久もいる。」
その声につられるように、ミサも顔を上げる。
視線の先。
本成と並んで歩いてくる篤久の姿があった。
胸が、小さく跳ねる。
五日前に、想いを告げてくれた人。
五年間、自分を想い続けてくれていた人。
「篤……。」
思わず名前が零れる。
けれど、その前に。
周囲の女性たちがざわめき始めた。
「あら、青龍さまだわ。」
「玄武さまもいらっしゃる。」
「今日も素敵……。」
小さな声が次々と聞こえてくる。
ミサは目を丸くした。
「……人気あるんだね。」
純粋な驚きだった。
すると隣で、新太が少しだけ不満そうな顔をする。
「……俺は?」
「え?」
「今、完全にあの二人だけだったよな?」
「ち、違うよ!」
慌てて否定するミサに、新太は吹き出した。
「冗談だって。」
そのやり取りを見ながら、篤久は静かに近付いてくる。
「何を騒いでいる。」
低い声。
その声を聞いただけで、ミサの胸が大きく鳴った。
「篤……いつの間に?」
「今来た。」
篤久の視線が、自然とミサの手元へ落ちる。
そこには、味噌汁の入った椀。
そして、楽しそうに笑っているミサの姿。
それを見た瞬間。
篤久の表情が、ほんの僅かに柔らかくなった。
「……俺にも。」
「え?」
「味見させて。」
ミサが慌てて椀を差し出そうとする。
だが。
「そのままでいい。」
篤久はそう言った。
そして、ミサの手にそっと自分の手を重ねる。
そのまま椀を口元へ運んだ。
突然近付いた距離に、ミサの顔が熱くなる。
「……篤。」
篤久は気にする様子もなく、一口飲む。
しばらく味わったあと。
「旨いな。」
短い言葉。
けれど。
その声は、いつもより少しだけ優しかった。
「良かった。」
ミサが小さく笑う。
その様子を見ていた本成が、思わず苦笑する。
「……本当に変わらないね。」
「何がだ。」
「別に。」
本成は笑いながら視線を逸らした。
その時。
「よし!」
新太が大きく手を叩いた。
「せっかく揃ったんだ。お前らも働け。」
突然の言葉に、篤久と本成が顔を見合わせる。
「僕も?」
本成が苦笑する。
「当然。」
新太は即答した。
「食べたいなら、その分手伝え。」
そう言って、新太は二人へたすきを差し出した。
「ほら。配膳頼んだぞ!」
本成は肩を竦めながら笑う。
「白虎さまは厳しいね。」
そう言いながらも、素直にたすきを受け取った。
篤久も無言で受け取る。
「篤久がこういうことをする姿、珍しいね。」
本成が言う。
「……そうか。」
篤久は短く答える。
そのまま、たすきを結んだ。
普段なら宮廷で多くの者を従える立場。
そんな篤久が、今は町の人々へ味噌汁を配ろうとしている。
その姿に、周囲の女性たちが再びざわめいた。
「あら……青龍さま。」
「玄武さままで。」
「本当にお優しいのね。」
その様子を見て、ミサは改めて思う。
自分が知らなかった篤久。
自分が知らなかった本成。
そして。
まだ知らない新太の時間。
ミサは静かに笑った。
――私は、何も知らない。
けれど。
これから、時間が許す限り、少しずつ知っていけばいい。
そう思えた。
鍋の前に立つ篤久と本成。
二人が並んで味噌汁を配る姿は、長屋の人々にとって珍しい光景だった。
「青龍さまが自ら配膳されるなんてねぇ。」
「玄武さまも本当にお優しい方だわ。」
聞こえてくる声に、本成は苦笑する。
「篤久。」
「何だ。」
「さっきから女性たちの視線、すごいね。」
「気にするな。」
「いや、気にしてないのは篤久だけだと思うけど。」
本成が笑う。
篤久はいつものように表情を変えず、椀へ味噌汁を注いでいく。
けれど。
その視線だけは、何度も自然とミサへ向いていた。
女性たちに囲まれながら、慣れない作業に一生懸命取り組んでいる。
時折、失敗して笑われる。
それでもミサは楽しそうに笑っていた。
その姿を見るだけで、胸の奥が温かくなる。
「……分かりやすいね。」
本成が小さく呟く。
「何がだ。」
「全部。」
「意味が分からない。」
「そういうところ。」
本成は肩を竦めた。
けれど、その表情は優しかった。
五年間。
篤久がどれほどミサを想い続けてきたのか。
誰より近くで見てきた本成には分かっていた。
だからこそ。
今、こうしてミサが笑っている時間を、壊したくなかった。
「篤久。」
「何だ。」
「今は、ちゃんと楽しんでいいと思うよ。」
その言葉に、篤久の手が僅かに止まる。
だが、すぐにまた椀へ味噌汁を注いだ。
「……ああ。」
短い返事。
それだけだった。
けれど。
その声には、ほんの少しだけ安堵が滲んでいた。
※ ※ ※
しばらくして。
長く続いていた配膳も、ようやく落ち着きを見せ始めた。
「二人とも、もういいぞ。」
新太が声を掛けると、本成が周囲を見渡す。
先ほどまで並んでいた人々の列も、今ではすっかり途切れていた。
「大体終わったんだね。」
「ああ。」
新太は満足そうに頷く。
そして、三人へ向かって笑った。
「せっかく集まったんだ。一緒に食おうぜ。」
その言葉に、篤久は少しだけ目を瞬かせる。
守護者がこうして揃って食事をする。
そんな機会は、今までなかった。
本成も少し驚いたように笑う。
「確かに。珍しいね。」
「だろ?」
新太は嬉しそうに頷いた。
「四人揃うことなんて、ほとんどないからな。」
ミサもその言葉を聞いて、少し嬉しそうに笑う。
四人で過ごす時間。
それは、ミサにとっても初めてだった。
皆で腰を下ろす。
目の前には、湯気の立つ具だくさんの味噌汁。
豪華な料理ではない。
けれど。
不思議なくらい、温かかった。
「いただきます。」
4人が手を合わせ、それぞれが椀に口を付ける。
その姿を見て、新太が笑った。
「やっぱりみんなで食べると旨いな!」
「うん、美味しい!」
「働かされた後だしね。」
「でも楽しかった!」
「そういえば。」
本成がミサへ目を向ける。
「今日は可愛い結び方してるね。」
「あっ、これ?」
ミサは首の後ろへ手を回し、照れくさそうに笑った。
「新太が巻き直してくれたの。いつものだと前が見えにくくて、お手伝いできなかったから。」
「その方が似合ってるだろ?」
新太はそう言って、ぽんっとミサの頭を軽く叩く。
「髪さえ隠れてりゃ問題ねぇんだからさ。」
「うん。私もこっちの方が動きやすい。」
嬉しそうに笑うミサを見て、篤久が静かに口を開いた。
「……似合ってる。」
短く返したその一言に、ミサは少し頬を染める。
「……ありがとう。」
はにかんだミサの笑顔はふと五年前を思い出す。
五年前。
初めて出会った時から変わらない。
優しくて。
真っ直ぐで。
自分よりも、誰かを優先する。
だからこそ。
失いたくないと思った。
「篤?」
ミサが不思議そうに首を傾げる。
「何でもない。」
篤久は視線を戻した。
けれど。
その横顔には、僅かな決意が浮かんでいた。
――守る。
何があっても。
この笑顔だけは。
その時。
「お兄ちゃん!」
元気な声が響いた。
四人が一斉に振り返る。
そこには、春太の姿があった。
その後ろには、父親の源が立っている。
「春太。」
ミサが嬉しそうに立ち上がった。
「どうしたの?」
春太は少し照れながら、ミサの前へ歩いてくる。
「母ちゃんが……。」
小さな手には、空になった椀が握られていた。
「お兄ちゃんに、ありがとうって伝えてって。」
その言葉に。
ミサの表情が柔らかくなる。
「そっか。」
春太が嬉しそうに頷く。
「母ちゃん、久しぶりにいっぱい食べたって。」
その言葉に、ミサの胸が温かくなる。
「良かった。」
小さく呟いた。
その後ろから、源が深く頭を下げる。
「守護者様方。」
「先日は、本当にありがとうございました。」
すると。
新太がすぐに手を振った。
「だから、そういうのはいいって。」
「ですが……。」
「元気になったなら、それで十分だろ。」
源は何度も頷いた。
その隣で、本成が穏やかに笑う。
「奥さんの様子も見ましたが、しばらく薬を続ければ大丈夫です。」
「ありがとうございます。」
源はもう一度頭を下げる。
そして。
春太がミサの袖を引いた。
「お兄ちゃん。」
「ん?」
「母ちゃん、待ってる。」
ミサはすぐに頷いた。
「行こう。」
その時。
篤久は静かに立ち上がった。
「俺も行く。」
ミサが振り返る。
「篤は食べてていいよ。」
「いや。」
篤久は首を横に振る。
「一緒に行く。」
その声に迷いはなかった。
そして。
懐から小さな包みを取り出すとミサに差し出す。
「本成から預かった。」
「これは?」
「薬だよ。」
本成が答える。
「体力を戻す助けになるもの。」
ミサは嬉しそうに本成を見る。
「ありがとう、本成。」
「気にしないで。」
本成はいつものように笑った。
「僕にできることをしただけだから。」
新太が笑う。
「ほら、早く持っていってやれ。」
「うん。」
ミサは薬を大切そうに抱える。
その隣へ、篤久が自然と並んだ。
二人と春太は、長屋の奥へ向かって歩き出す。
その背中を見送りながら。
本成は静かに味噌汁へ口を付けた。
温かな味が、身体へ染みていく。
穏やかな時間。
けれど。
胸の奥には、消えない不安が残っていた。
――新月は、確実に近付いている。
その事実だけが、静かに彼らの未来へ影を落としていた。




