↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/47

第三章 朱雀の宿命 第二十六話『知らなかった過去』

診療所を出ると、昼下がりの柔らかな風が頬を撫でた。


薬草の香りが少しずつ遠ざかり、代わりに秋の澄んだ空気が二人を包み込む。


「四神って……夢の中でしか会えないと思ってた。」


ぽつりと漏らしたミサの言葉に、本成がくすりと笑う。


「玄武はちょっと特別なんだ。」


穏やかな口調で空を見上げた。


「普通は夢見でしか会えないよ。朱雀もそうでしょ?」


「……うん。」


守護者は願えば夢の中で四神と対面できる。


けれど、それはいつでも叶うものではない。


神力の巡りや心の状態、さまざまな条件が重なった時だけ、四神はその姿を現す。


だからこそ。


現実で玄武と出会っていたという事実は、ミサにとって今でも信じ難い出来事だった。


そして、守護者でなければ玄武の存在に気付くことはできない。


――だから、あの時……。


篤は私が守護者じゃないって分かったんだ。


今になって、ようやくあの日の篤久の表情が腑に落ちた。


二人はしばらく並んで歩く。


石畳を踏む足音だけが静かに響いた。


やがて本成が何気ない調子で口を開く。


「それで、本当は診療所に何しに来たの?」


「えっ……?」


思わず足が止まりそうになる。


「ただ散歩って感じじゃなかったでしょ?」


優しい口調だった。


責めるような響きはまったくない。


だからこそ、隠し事を見透かされたような気持ちになる。


「急に三日間、お暇をいただいて……。」


歩きながら、ミサはぽつりぽつりと話し始めた。


なぎの上とあず姫から、突然三日間好きに過ごしてよいと言われたこと。


何をすればいいのか分からず、気付けば街へ出ていたこと。


妖魔の気配を探しているうちに、この診療所まで来てしまったこと。


本成は何度も頷きながら最後まで話を聞いていた。


「なるほどね。」


そう呟くと、少しだけ考え込むように顎へ手を添える。


「でも……。」


穏やかな瞳がミサへ向けられた。


「急に三日間もお暇をもらうなんて珍しいね。」


「……。」


「何か理由があるの?」


ミサの足が止まる。


図星だった。


けれど。


答えられない。


言葉にしてしまえば、すべてが崩れてしまう気がした。


静かな沈黙が流れる。


その沈黙だけで、本成には十分だった。


「……ごめん。」


本成はふっと笑う。


「聞かれたくないことだったね。」


「ち、違うの。」


慌てて首を振る。


「本成が悪いわけじゃなくて……。」


その先が続かない。


本成は小さく肩をすくめた。


「じゃあ、無理には聞かない。」


その一言に、ミサは少しだけ救われた気がした。


「その代わり。」


本成が悪戯っぽく笑う。


「僕から一つ話してもいい?」


「うん。」


「どうして、じいちゃんが朱雀の巫女のことを知ってたのか、不思議だったでしょ?」


「うん!」


さっきまでとは打って変わって、ミサの表情が明るくなる。


「あれはね。」


本成は肩をすくめた。


「玄武に聞いたらしいよ。」


「玄武に?」


「『青龍の守護者が朱雀の巫女を連れてきた』って。」


「えっ!?」


ミサは目を丸くした。


「四神って……そんなことまで話すの?」


「玄武はね。」


本成は苦笑する。


「でも、聞けたのはそこまでだったみたい。」


少し間を置いて続けた。


「朱雀の巫女だってこと以外は、何も教えてくれなかったらしいよ。」


その瞬間だった。


ミサの肩から、すっと力が抜ける。


「よ、よかった……。」


思わず漏れた小さな安堵の声。


本成は何も言わなかった。


ただ、その反応を静かに胸へ留める。


――やっぱり。


何か事情がある。


それだけは間違いない。


「だからさ。」


空気を変えるように、本成は笑顔を浮かべた。


「この三日間、僕もちょっと調べてみたんだ。」


「調べた?」


「朱雀の巫女について。」


「えっ!?」


今度は驚きで足が止まる。


「ど、どこで?」


「九条家の蔵。」


あまりにもあっさり答える本成に、ミサは思わず聞き返した。


「蔵?」


「うちは代々、医師の家系だからね。」


どこか誇らしげに微笑む。


「歴代の玄武の守護者も多く出ている家だから、四神に関する書物も代々受け継がれてるんだ。」


「そんな……。」


宮廷の国書庫にも簡単には残されていない資料。


それが、一つの家に代々受け継がれている。


そんなこと、ミサは想像もしていなかった。


「たぶん国書庫に負けないくらいあると思うよ。」


「そんなに……。」


思わず息を呑む。


本成は少し照れ臭そうに笑った。


「もちろん。」


人差し指を口元へ当てる。


「これは、お二人には内緒ね。」


「う、うん。」


ミサは何度も頷く。


その素直な反応に、本成は思わず吹き出した。


「あははっ。本当に分かりやすいね。」


「えっ?」


「全部顔に出てる。」


「えぇっ!?」


慌てて自分の頬を押さえるミサを見て、本成は肩を震わせながら笑った。


穏やかな笑い声が、秋空へ溶けていく。


その笑顔を見ていると、不思議とミサの胸の重さも少しだけ軽くなっていた。


「それでね。」


本成は笑みを収め、ゆっくりと表情を引き締める。


「書物を読んで分かったことがあるんだ。」


ミサも自然と表情を改める。


本成は真っ直ぐ前を見据え、小さく息を吸った。


「朱雀はね――。」


本成はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「今までにも、何度か生まれ変わっているみたいなんだ。」


ミサは黙って耳を傾ける。


「そのたびに朱雀の巫女が現れて、朱雀の復活に深く関わっていたことまでは記されていた。」


胸の鼓動が少しずつ速くなる。


「でも。」


本成は静かに首を横へ振った。


「その後、巫女がどうなったのかだけは、どの書物にも書かれていなかった。」


その一言に、ミサの肩がぴくりと震えた。


「まるで、そこだけ誰かが意図的に消したみたいに。」


本成は苦笑する。


「もちろん、本当に消されたのか、それとも最初から書かれていなかったのかは分からない。でも、不自然なくらい、その先だけが残ってないんだ。」


ミサは俯いた。


――やっぱり。


誰にも知られてはいけないことなんだ。


そう思うほど、胸が苦しくなる。


「ミサ。」


本成が穏やかな声で呼ぶ。


「……巫女は、その後どうなるの?」


優しい問いだった。


答えを強要するような響きはどこにもない。


それでも、ミサは答えられなかった。


唇をきゅっと結び、視線を落としたまま動けない。


その沈黙だけで、本成には十分だった。


「……そうか。」


それ以上は聞かなかった。


代わりに小さく息を吐き、空を見上げる。


澄み切った秋空が、どこまでも広がっていた。


「まあ、僕が言うのもなんだけど。」


照れ隠しをするように頬を掻く。


「四神の欲がなくたって、好きな人を抱きたいって思うのは、普通の男なら当たり前のことなんだよね。」


「へっ?」


突然の言葉に、ミサは真っ赤になる。


「え、えっと……。」


慌てる姿を見て、本成は苦笑した。


「ごめん。言い方が悪かった。」


少しだけ真面目な表情に戻る。


「篤久ってさ、強いだろ?」


「……うん。」


「頭も良いし、剣も強い。何をやらせても人よりできる。」


本成は遠くを見つめる。


「だから皆、あいつなら何があっても平気だって思う。」


その横顔には、どこか寂しさが滲んでいた。


「でも、本当は違った。」


ミサは静かに本成を見つめる。


「ミサがいなくなってからの五年間。」


本成はゆっくりと言葉を続けた。


「あいつは、一度も大丈夫だったことなんてない。」


胸が締め付けられる。


「僕たちには何も言わなかった。」


「……。」


「最初は家のことや政務の重圧で疲れてるんだと思ってた。」


少し笑う。


「でも、一年経っても変わらなかった。」


風が吹く。


「二年経っても。」


また一歩、歩き出す。


「三年経っても。」


「……。」


「四年経っても。」


「……。」


「五年経っても。」


本成は小さく息を吐いた。


「笑わなかった。」


その一言が、何よりも重かった。


ミサの胸が痛む。


「いつも、どこか遠くを見てた。」


本成の視線も空へ向く。


「何かを探してるように。」


いや――。


「誰かを、待ち続けてるように。」


ミサは唇を噛み締めた。


涙が込み上げそうになる。


「婚約の話も何度も来てた。」


「……。」


「でも全部断ってた。」


「……。」


「新しい相手を見ろって言われても、一度も目を向けなかった。」


本成は静かに笑う。


「いや。」


首を横へ振った。


「見られなかったんだろうね。」


その言葉が、胸の奥深くへ突き刺さる。


「だから。」


本成は足を止めた。


ゆっくりとミサへ向き直る。


「ミサが現れた時、正直ほっとした。」


「本成……。」


「やっと終わるんだって思ったんだ。」


五年間止まっていた時間が。


五年間抱え続けてきた想いが。


ようやく報われるのだと。


「なのに。」


その一言で、ミサの肩が小さく震える。


「ミサは、どこか諦めたような顔をしてる。」


図星だった。


本成は事情を知らない。


それでも、ミサが何かを一人で抱え込んでいることだけは分かっていた。


「だから聞かない。」


本成は優しく笑う。


「言いたくないなら、それでいい。」


その言葉に、ミサはゆっくりと顔を上げた。


「でも。」


本成の笑みが少しだけ消える。


そこにいたのは、親友を想う一人の青年だった。


「篤久を拒まないでやってくれ。」


その声は静かだった。


けれど、胸に真っ直ぐ届く。


「拒みたいわけじゃ……ないの。」


震える声で、ミサは呟く。


「うん。」


本成は頷く。


「それは分かってる。」


「……。」


「だから、あいつも待ってる。」


優しく微笑む。


「ミサの答えを。」


その言葉に、ミサは何も返せなかった。


返したくても、返せない。


一緒に笑いたい。


一緒に歩きたい。


ずっと隣にいたい。


そんな願いは、とっくに胸の中にある。


けれど――。


その未来を、自分には選ぶ資格がない。


拳をぎゅっと握り締める。


その小さな震えに気付いた本成は、それ以上何も言わなかった。


「ミサ。」


穏やかな笑みを浮かべる。


「僕も、もう少し調べてみるよ。」


「……。」


「九条家の書物も、まだ全部読めたわけじゃない。」


少しだけ真剣な表情を覗かせる。


「玄武にも、それとなく聞いてみる。」


ミサは驚いたように顔を上げた。


「本成……。」


「何か分かるかもしれない。」


その言葉に、ミサの目が潤む。


「……ありがとう。」


ようやく絞り出したその声は、かすかに震えていた。


しばらく重苦しい沈黙が流れた。


秋風だけが、二人の間を静かに吹き抜けていく。


やがて、本成が小さく息を吐いた。


「……よし。」


ぽん、と一つ手を叩く。


「暗い話は終わり!」


「えっ?」


突然いつもの調子に戻った本成に、ミサは思わず目を丸くした。


「せっかくのお暇なんだから、ずっと沈んでてももったいないでしょ。」


そう言って笑うと、本成は何かを思い付いたように目を細める。


「そういえば。」


「うん?」


「ミサって、篤久のこと『篤』って呼ぶんだね。」


「う、うん。」


ミサは少し照れたように頷く。


「昔からそう呼んでるけど……。」


「へぇ。」


本成は意味ありげに笑った。


「どうかしたの?」


「いや。」


肩をすくめながら懐へ手を入れる。


「ちょっと試したいことがあって。」


「試したいこと?」


「うん。」


そう言うと、本成は懐から通信鏡を取り出した。


「えっ!?」


ミサが止める間もなく、本成は魔力を流し込む。


淡い光が鏡いっぱいに広がり、やがて見慣れた青年の姿が映し出された。


『……なんだ、本成。今忙し――』


そこで篤久の言葉が止まる。


『……ミサ?』


驚いたように目を見開く。


本成が通信鏡をミサへ向けていたため、篤久にはミサしか映っていなかった。


「あっ……篤。」


思わず名前を呼ぶ。


その一言だけで、篤久の表情が少しだけ柔らいだ。


『ミサ。どこにいるんだ?』


「あ、えっと……急にお暇をいただいたので、その……玄武地区を歩いていて。」


『そうか。』


安心したように微笑んだ篤久だったが、すぐに何かに気付いたように表情を引き締める。


『……本成と一緒にか?』


「あっ、うん。さっき診療所で偶然――」


「篤久がいないから、代わりに僕が街を案内してるんだ。」


ミサの言葉を遮るように、本成が横からひょいと顔を覗かせた。


その拍子に肩が軽く触れ合う。


ふわり、と薬草の優しい香りがミサの鼻先をかすめた。


「あっ……。」


思わず本成を見上げる。


自然と二人の距離が近付く。


その様子は、通信鏡越しの篤久にもはっきりと映っていた。


『…………。』


空気が変わる。


穏やかだった篤久の瞳がすっと細くなり、口元から笑みが消える。


『本成、今日は先生のところに薬を届ける日だろ。』


本成はまるで気付いていないように笑った。


「そうそう。」


「じいちゃんにはもう薬を届け終わったし、今日は僕も暇なんだ。」


『暇なら婚約者のところへでも行けばいいだろ。』


明らかに棘のある声だった。


「えっ?」


ミサは勢いよく本成へ振り向く。


「本成、婚約者いるの!?」


急に顔を近付けてきたミサに、本成は少しだけ目を丸くしたあと、くすっと笑う。


「聞いてなかった?」


「う、うん……。」


「そっか。」


――まぁ、篤久がわざわざ言う訳ないよな。


そんなことを思いながら、本成は通信鏡へ向き直る。


「じゃあ僕たちも忙しいから。」


悪戯っぽく笑みを浮かべる。


「篤(・)も頑張ってねー。」


一瞬の静寂。


『……お前はそう呼ぶな。』


低く、不機嫌そのものの声が返ってきた。


本成は腹を抱えて笑い出す。


「あはははっ!やっぱり!」


本成は堪えきれず腹を抱えて笑い出した。


『本成。』


篤久の声が一段低くなる。


「はいはい。」


『帰ったら覚えてろ。』


「えぇ?怖いなぁ。」


まったく怖がる様子もなく、本成は肩を竦める。


『……。』


通信鏡の向こうでは、篤久がじっと本成を睨んでいた。


そんな二人を見比べながら、ミサはきょとんと首を傾げる。


「えっと……二人とも、どうしたの?」


「何でもないよ。」


本成は笑いを堪えながら手を振る。


「篤久が拗ねてるだけ。」


『拗ねてない。』


即座に返ってきた否定に、本成はさらに吹き出した。


「あははっ!否定するの早っ!」


「えっ?」


事情が分からないミサだけが、困ったように二人を見比べる。


本成はそんなミサを見て、ますます笑みを深くした。


「じゃあ、僕たちも忙しいから、この辺で。」


「あっ、本成、まだ――」


ミサが止めるより早く、本成は魔力を切る。


通信鏡の光はふっと消え、篤久の姿も掻き消えた。


「切っちゃった……。」


名残惜しそうに鏡を見つめるミサ。


そんな様子を見て、本成は満足そうに頷いた。


「うん。これでいい。」


「これでいいって?」


「たぶん今日中には、朝廷も篤久を解放すると思うよ。」


「え?」


「今の篤久、仕事どころじゃなくなったから。」


悪戯っぽく笑う本成に、ミサは思わず吹き出した。


「ふふっ。」


さっきまで胸を締め付けていた苦しさが、少しだけ和らぐ。


「朝廷が早く終われば。」


本成は片目を閉じて親指を立てた。


「ミサも篤久と一緒にいられるでしょ?」


その言葉に、ミサの笑顔が一瞬だけ揺らぐ。


――一緒に、いられる。


その未来を望んではいけない。


そう言い聞かせているのに、その言葉は胸の奥へ優しく染み込んでいく。


「……ありがとう、本成。」


精一杯の笑顔でそう告げると、本成も優しく微笑み返した。


篤久には、本成がいる。


新太もいる。


この五年間。


ずっと篤久を支え続けてくれた、大切な仲間たちだ。


――だから、きっと大丈夫。


そう思わなければならない。


そうでなければ。


自分はきっと。


篤久の手を取りたいと願ってしまう。


離れたくないと、口にしてしまう。


胸の奥が、じわりと熱を帯びた。


それでもミサは空を見上げる。


どこまでも澄み渡る秋空。


あと三日。


残された時間は、あまりにも短かった。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


10/31まで毎日20時に更新です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。