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第二章 朱雀の目覚め 第十八話『繋いだ手』

ヘイアン京。


東西南北を四神の門に守られた王都は、今日も活気に満ちていた。


商人が声を張り上げる。


行商人が荷車を引く。


子どもたちが走り回り、旅人が宿を探して歩く。


様々な人々が行き交い、街全体が一つの生き物のように脈打っている。


特に宮廷の北側に広がる玄武地区は、王都で最も人口の多い場所だった。


上級貴族が暮らす朱雀地区や青龍地区とは、まるで別世界である。


そんな街並みを、ミサは目を輝かせながら見渡していた。


「すごい……。」


思わず声が漏れる。


「人が多い……!」


あまりにも素直な感想に、篤久は思わず笑った。


「玄武地区は王都で一番人が集まる場所だからな。」


「そうなんだ。」


「だから下級妖魔も多い。」


その言葉と同時に、篤久の表情が変わる。


先ほどまでの穏やかな顔ではない。


青龍としての顔だった。


ミサも自然と背筋を伸ばした。


大通りを離れ、細い路地へ入る。


人の気配が少なくなる。


建物の影が伸びる静かな通り。


その時だった。


微かな妖気が肌を撫でる。


「篤!」


ミサが声を上げる。


篤久は驚くことなく頷いた。


「ああ。気付いたか。」


「いつから分かってたの?」


「妖気自体は今だ。」


篤久は前を見たまま答える。


「ただ、この先に妖魔憑きがいることは知っていた。」


やがて、一軒の建物の前で足を止める。


迷うことなく中へ入っていく。


ミサも後に続いた。


扉を潜った瞬間。


薬草。


汗。


煎じ薬。


様々な匂いが鼻を突いた。


そして。


目の前の光景に、ミサは息を呑む。


広い待合室。


具合の悪そうな人々が、所狭しと並んでいる。


だが問題はそこではなかった。


全員から妖気が漂っている。


しかも。


妖魔の核がある場所は、誰一人として同じではない。


胸。


腹。


肩。


首。


ミサは思わず息を呑む。


「これ……全部?」


「ああ。」


篤久は静かに答えた。


「今日は多いな。」


まるで天気の話でもするような口調だった。


「でも、まだ取り憑かれて日が浅い。」


蒼色の瞳が患者たちを見渡す。


「オレなら、まとめて祓える。」


ミサは目を見開いた。


三十人近い。


自分なら、一人ずつ浄化するしかない。


けれど篤久は違う。


患者たちも二人に気付いた。


「あ、青龍さま!」


「お願いします!」


「私の症状は――」


次々に集まろうとする人々。


だが篤久が片手を上げるだけで、その場は静まり返った。


「少し待ってて。」


それだけ告げると、中央へ歩いていく。


右手の手袋を外すと、指で印を組む。


静かな声が響いた。


「青龍の名の元――」


空気が震える。


「お前たちを滅する。」


瞬間。


「滅海濁流《スフロズ》」


轟音。


室内に水が溢れた。


まるで大河そのもの。


濁流が患者たちを包み込む。


渦を巻きながら天へ昇る。


そして――消えた。


静寂。


残ったのは、人々の姿だけだった。


妖気は一つもない。


完全に消えている。


「あれ?」


「身体が軽いぞ!」


「咳が止まった!」


歓声が上がる。


だが、その頃には。


篤久はすでにミサの手を取り、奥へ向かっていた。


誰にも気付かれないように。


まるで逃げるように。


奥の診察室には、一人の老人がいた。


真っ白な髭を胸元まで伸ばした医者だった。


「相変わらず突然じゃのう。」


老人は呆れたように笑う。


「来るのも、祓うのも。」


「申し訳ありません。」


篤久が頭を下げる。


「別に構わん。」


老人は患者の様子を確認しながら答えた。


「助かっとる。」


そして、ミサを見る。


鋭い目が細くなった。


「…今日は連れか。」


「はい。」


「ふむ。」


何かを見抜いたような目。


だが、それ以上は何も言わなかった。


「また頼むぞ。」


「ええ。」


診療所を出る。


外の空気が、妙に新鮮だった。


その時。


ミサは気付く。


また手を繋がれている。


しかも今度は、とても自然に。


「あ、篤。」


「ん?」


「さっきの先生って?」


一拍、間を置き、篤久は歩きながら答える。


「…あの診療所の医者だ。」


「風邪みたいな症状が出た人は、なるべくあそこへ来るように言ってある。」


だから妖魔憑きが集まるのか。


ミサは納得した。


「新太と本成も、あんな風に祓うの?」


問い掛けに、篤久は首を横に振る。


「いや。」


そして説明する。


新太。


本成。


それぞれの戦い方。


四神の力の違い。


聞けば聞くほど。


自分との違いを思い知らされる。


自然と俯いた。


神力を失った自分。


今の自分に、何が出来るのだろう。


その時。


ぎゅっと手を握られた。


「比べなくていい。」


顔を上げる。


篤久は真っ直ぐ見ていた。


「四神は全員違う。」


その言葉が、胸の奥へゆっくり染み込んでいく。


自分は足手まといなのではないか。


ずっと心のどこかで思っていた。


けれど。


篤久はそう思っていない。


「……うん。」


小さく頷くと、篤久は満足そうに微笑んだ。


しばらく歩いた後。


「あ。」


突然、篤久が声を漏らす。


「?」


ミサが首を傾げると、篤久は少し困ったような顔をした。


「言うのを忘れていた。」


「何を?」


篤久はミサの髪を見る。


「その髪。」


「え?」


「可愛いな。」


一瞬。


何を言われたのか分からなかった。


「へ……?」


顔が熱くなる。


朝、なほに整えてもらった髪を思い出した。


慌てて頭へ触れる。


「あ、これ……なほが……。」


「似合ってる。」


即答だった。


しかも。


少しだけ笑っている。


「……。」


言葉が出ない。


褒められることには慣れていない。


まして。


篤久から言われるなんて。


「……ありがと。」


小さく呟くのが精一杯だった。


その反応が可笑しかったのか。


篤久は少しだけ目を細める。


「さて。」


「?」


「次は、ミサが喜ぶ場所だ。」


「え?」


その言葉に、ミサは目を瞬かせた。




※ ※ ※




「ほら。」


篤久の声に顔を上げる。


気付けば、二人は賑やかな通りの一角に立っていた。


目の前には小さな店。


しかし、その前には長い列が出来ている。


「さぁ、並ばないと。」


当然のように手を引かれ、ミサは列の最後尾へ連れて行かれる。


「何のお店なの?」


「そのうち分かる。」


篤久は少し悪戯っぽく笑った。


その笑顔に、近くにいた娘たちが小さく声を漏らす。


「あの方、素敵ね。」


「眼鏡を掛けていても綺麗なお顔……。」


そんな声が聞こえてきた。


ミサは思わず篤久を見上げる。


――やっぱり、篤は格好良いんだ。


街人に紛れるような服を着ていても。


眼鏡を掛けていても。


どうしても目立ってしまう。


けれど。


本人は全く気付いていない。


周囲の視線にも。


女性たちの声にも。


ただ――


「ねぇ、あの二人……。」


「手、繋いでるよね?」


「恋人同士なのかしら?」


その言葉だけは、はっきり聞こえてしまった。


「あ、篤。」


「ん?」


「その……。」


ミサは繋がれた手を見る。


「手、離してもらえると……。」


篤久は不思議そうに首を傾げた。


「どうして?」


「ど、どうしてって……。」


言えるわけがない。


自分は今、男の姿をしている。


このままでは篤久に変な噂が立つ。


そう思っているなんて。


「ミサが嫌なら離すけど。」


真っ直ぐな瞳。


その言葉に、心臓が跳ねる。


嫌なのか。


そう聞かれると。


答えられない。


ずっと繋いでいた手。


離したいわけではなかった。


けれど。


「……。」


迷うミサを見て、篤久はふっと笑った。


そして。


意外にもあっさり手を離した。


「あ……。」


思わず声が漏れる。


自分でも驚いた。


寂しいと思ってしまった。


すると。


空いた手へ、別のものが差し出される。


「はい。」


「え?」


串団子だった。


「今、街で流行っているらしい。」


篤久は自分の団子を一口食べる。


「新太おすすめ。」


「へぇ……。」


ミサも恐る恐る団子を口へ運ぶ。


もちり。


優しい甘さ。


その瞬間。


「お、美味しい!」


思わず声が弾む。


篤久は満足そうに笑った。


「だろ?」


「こんな美味しい団子、初めて食べた!」


夢中になって頬張るミサを見て、篤久の表情が柔らかくなる。


団子を食べ終えたミサは、満足そうに息を吐いた。


「美味しかった……。」


その表情を見て、篤久は小さく笑う。


「気に入ったなら良かった。」


「うん。」


その時。


ミサが笑った拍子に、腰元の小さな鈴が揺れた。


――チリン。


澄んだ音が、二人の間へ静かに落ちる。


そこには、朱色の組紐の先に結ばれた小さな鈴が揺れていた。


篤久は思わず足を止めた。


「……その鈴。」


「え?」


ミサが首を傾げる。


篤久は腰元へ視線を向けた。


「形見の鈴だろ、それ。」


「あ……。」


ミサは指先でそっと鈴へ触れる。


「覚えてたの?」


「あぁ。」


そう言って微笑むミサの表情は、いつもの明るさとは少し違った。


懐かしむような。


大切な記憶を抱きしめるような笑顔だった。


篤久は、その小さな鈴を見つめる。


「……ミサらしいな。」


「え?」


「大事なものを、ずっと大切にしているところ。」


その言葉に、ミサは少しだけ目を伏せた。


そして。


もう一度、鈴が小さく揺れる。


――チリン。


まるで五年という時を越えて、二人の再会を祝うような音だった。


そして。


自然な動作で。


再び手を差し出した。


「次へ行こう。」


「あ……。」


今度は迷わなかった。


ミサはそっと、その手を取る。


冷たい指先。


けれど。


なぜか安心する温もり。


さっき離された時よりも。


今、繋いでいる方が嬉しい。


そんな自分に気付いて、ミサは少しだけ戸惑った。


それでも。


離そうとは思わなかった。


篤久の指先が僅かに動く。


握り返されたことに気付いたのだろう。


けれど。


何も言わない。


ただ。


二人は並んで歩き続ける。


繋いだ手を、そのままに。

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