第二章 朱雀の目覚め 第十一話『重なる面影』
五年前、初めて雪が降ったあの日。
ミサは無我夢中で、後宮へ戻るため屋根の上を駆けていた。
篤久の魔力に守られ、降り続く雪に濡れることはない。けれど全身を包み込む優しい水の魔力は、つい先ほど唇が触れた感触を思い出させ、ミサの頬を熱くした。
そして、身体に満ちた神力までもが、胸の奥をじんわりと熱くしていく。
ふと足を止め、ひとつに束ねた髪を摘まんで見つめた。
――尽きた神力が……戻ってる。
月は雲に隠れている。それでも今日は満月。
結界を重ね掛けする日であり、ミサはありったけの神力を都のために使い果たした……はずだった。
ここ数か月、朱雀の力は目に見えて弱まっていた。
神力を使い切り、疲労困憊のまま後宮へ戻る日々。以前なら難なく帰れた道も、今では途中で休まなければ辿り着けない。
そんな生活の始まりを、ミサは思い出していた。
初めて神力を使い切った、新月の夜。
倒れそうな身体を引きずりながら、普段は避けていた貴族街の屋根伝いを近道に選んだ。
そして疲労困憊で、本当に倒れそうになった、その時。
屋根の上に、一冊の本が落ちていた。
「……こんな所に?」
あまりにも不自然な忘れ物。
休憩がてら拾い上げ、中を覗く。
朱雀に知識欲を与えて以来、文字すら読めなくなったミサは、最近ようやく一から学び直し、ひらがなが読めるようになったばかりだった。
「……は、……が、……にきて……した? うーん、やっぱり漢字も勉強しないと意味わかんないや。」
ぱらぱらと頁をめくる。
殴り書きされた文字の中に、「くそったれ!」とだけ大きく書かれた頁を見つけ、思わず吹き出した。
疲れ切っていた身体が、少しだけ軽くなる。
「……日記、かな?」
そう呟いた、その瞬間だった。
背後に気配が走る。
慌てて掌の灯を消し、振り返る。
そこに立っていたのは、自分と同じくらい……いや、少し年下にも見える少年だった。
整いすぎた顔立ち。
月明かりに溶ける淡い髪。
そして皇族に連なる者だけが纏う、高貴な香の香り。
どこか、あず姫の焚く香に似ていた。
――若君より、格好良いかも。
つい先日、なぎの上の供として東宮を遠目に見たばかりだった。
その時でさえ、こんなに美しい人はいないと思ったのに。
「あんたじゃない。篤久だ。」
聞き覚えのある名前だった。
呼びにくいから、心の中で勝手に「篤」と呼ぶことにした。
後になって、それが関白太政大臣の嫡男と同じ名だと知る。
けれど、その頃のミサは別人だと思っていた。
同じ名前なんて、きっと珍しくないのだと。
それでも高貴な貴族には違いない。
関わってはいけない人だ。
自分の装束はどう見ても怪しい。
もし咎められれば、迷惑が掛かるのはなぎの上とあず姫だった。
「誰にも言わないけれど。」
火属性がほとんど現れない時代。
見知らぬ相手が、そんな言葉を掛けるなんて怪しすぎる。
何か聞かれる前に立ち去ろう。
「じゃあね。」
そう言って屋根を蹴った。
もう二度と会うことはない。
そう思っていた。
けれど二週間後。
また同じ屋根の上に落とし物があった。
本だった。
拾った瞬間、微かな魔力を感じて反射的に手を離す。
「……罠?」
身構える。
何も起きない。
恐る恐る拾い直した、その時。
「それなら読めるだろ。」
目の前に篤久が立っていた。
捕まる。
そう思ったのに、篤久は刀を抜くどころか、子ども向けの平仮名だけで書かれた本を差し出した。
「貸してやる。」
それだけ言って笑う。
――これも罠?
別れた後、本を隅々まで魔力で調べた。
追跡の術も、封印も、何一つ残っていない。
拾った時に感じた魔力は、持ち主へ知らせるためだけの印だったのだろう。
次の新月まで。
ミサはその本を何度も何度も読み返した。
勉強のために本は読んできた。
けれど、こんなに夢中になった物語は初めてだった。
続きが知りたい。
気付けば、新月が待ち遠しくなっていた。
借りた物は返さなければならない。
篤久に会わなければならない。
罪悪感はあった。
それでも、やめられなかった。
――なぎの上様と、あず姫様には言えないな。
外で他人と接触することは固く禁じられていた。
後宮を出られるのは、満月と新月の結界の日だけ。
しかも深夜。
本来なら誰とも会うはずがない。
それでもミサは、疲れ切った心を癒すように篤久へ会いに行った。
だが、その頃から神力の回復は日に日に遅くなっていた。
「……朱雀の死期が近いわね。」
朱雀が死ねば、自分も死ぬ。
その覚悟は、とっくに出来ていた。
なのに。
その覚悟は少しずつ揺らぎ始めていた。
――気付きたくなんてなかった。
――気付かなければ良かった。
そう思ったのは、篤久に抱き止められ、お互いの唇が触れた瞬間だった。
今まで守ってきた、触れそうで触れない距離。
一度触れてしまえば、もう誤魔化せない。
気付いてしまう。
この気持ちに。
――篤のことが好き。
後戻りは、もう出来なかった。
その時だった。
頭の中へ、懐かしい声が響く。
『その欲、頂く。』
「……朱雀!」
『眠るが良い。そうすれば楽になれる。』
声と同時に、強烈な眠気が押し寄せる。
「お願い……! 少しだけ待って! 今ある神力でもう一度だけ……結界に神力を送らせて!」
これまで残り僅かな神力で結界を繋いできた。
けれど今なら違う。
満ちた神力を全て注げば、自分が眠った後も、新たな守護者が目覚めるその日まで結界は保つかもしれない。
しばらく沈黙が続き――。
『……良かろう。』
その一言で眠気が嘘のように消えた。
ミサは雪降る都を駆ける。
途中、通信鏡でなぎの上とあず姫へ事情だけを伝えた。
そして朱雀門へ辿り着くと、ありったけの神力を結界へ流し込む。
真紅の光が都を包み、結界は幾重にも重なっていく。
役目を終えた瞬間。
ミサの身体から力が抜け、そのまま静かに雪の上へ倒れ込んだ――。
※ ※ ※
『……おい。いつまで寝ている。』
頭の中へ直接響くような声に、ミサはゆっくりと瞼を開いた。
「眠らせておいて、起こすのはやめて欲しい……です。」
寝起きの不機嫌さを隠そうともせず呟きながら、辺りを見渡す。
そこには何もなかった。
空もない。
地もない。
色もない。
音すら存在しない。
ただ、自分と朱雀だけがいる、不思議な空間だった。
「私……死んだ?」
『まだだ。』
目の前には、巨大な炎が揺らめいている。
鳥の姿をした炎。
それが、今にも消え入りそうなほど弱々しく揺れていた。
初めて目にした時よりも、ずっと小さい。
まるで風前の灯火のようだった。
「私、何に欲を出しました?」
ミサが静かに尋ねると、朱雀は淡々と答えた。
『恋欲だな。』
「……。」
『実に旨い。』
あまりにも当然のように言われ、ミサは思わず顔をしかめた。
恋心を味の感想のように言われても、返す言葉が見つからない。
しかし、次の一言が胸を締め付けた。
『簡単には喰わせてくれぬようだな。』
ミサはその場へ座り込み、膝を抱える。
「だって……。」
小さく漏れた声は震えていた。
「食べられたら……。」
喉の奥が詰まる。
「この気持ちまで……なくなっちゃう……。」
朱雀は何も言わず、ただミサを見つめていた。
『お前は余の巫女。そんなものは要らぬだろう。』
「……それは、そうなんだけど。」
納得などできるはずがなかった。
ようやく見つけた想いだった。
ようやく気付くことのできた、大切な気持ちだった。
失いたくない。
その想いを見透かしたように、朱雀がふいに目を細める。
『ほう。』
大きな嘴がゆっくりと開く。
次の瞬間。
朱雀はミサの身体を丸ごと飲み込んだ――ように見えた。
「……え?」
驚いて自分の身体を見回す。
どこにも傷はない。
痛みもない。
『青龍の気配がする。』
「へっ?」
『青龍の守護者を好いたか。』
その瞬間。
ミサの顔が、一気に真っ赤になった。
『力を分け与えてもらった割には、気付いておらなんだな。』
「えっ!?」
あの日。
篤久と唇が触れた瞬間を思い出す。
身体を満たした熱。
溢れるように戻った神力。
すべてが一本の線となって繋がった。
「篤が……青龍の守護者……。」
『まだ目覚めてはおらぬがな。』
朱雀は鼻を鳴らすように言った。
『これで諦めもついただろう。』
「えっ?」
『青龍は性欲を司る。』
意味が分からず、ミサは首を傾げる。
『簡単に言えば、女に困らぬ。』
その言葉に、胸がちくりと痛んだ。
篤久の隣に、自分ではない誰かが立っている。
そんな光景が頭をよぎる。
未来、その隣にいるのは自分ではない。
そう思っただけで、胸が苦しくなった。
『その欲も頂こう。』
「えっ!?」
『独占欲だ。』
ミサは、はっと息を呑む。
気付いてしまった。
篤久を誰にも渡したくない。
そんな想いまで抱いてしまっていたことに。
『向こうへ帰っても、お前が苦しむだけだ。』
「やだ……。」
『忘れさせてやろう。』
「嫌。」
『楽になるぞ。』
「嫌です。」
忘れたくない。
でも、この想いは苦しい。
会いたい。
会えない。
胸が締め付けられる。
それでも――。
篤久のことだけは、忘れたくなかった。
『お前が諦めるのが先か、余が死ぬのが先か――見物だな。』
「……。」
ミサは何も答えなかった。
答えられなかった、という方が正しいのかもしれない。
それから、どれほどの時が流れたのだろう。
この場所には朝も夜もない。
季節の移ろいもなければ、時の流れを感じさせるものも何ひとつ存在しない。
腹が空くこともなければ、眠くなることもない。
ただ、朱雀と向かい合うだけの日々。
けれど、それはミサだけの感覚なのかもしれなかった。
朱雀にとっては、ほんの一瞬にも満たない時間なのだろう。
『お前の世界では四年が過ぎたぞ。』
不意に朱雀が口を開く。
その言葉に、ミサは勢いよく顔を上げた。
「……よ、ねん?」
呆然と呟いた瞬間、腰まで伸びた髪がさらりと揺れ落ちる。
そこで初めて、自分の身体の変化に気付いた。
髪だけではない。
視線を落とした胸元は、以前よりも少しだけ膨らみ、細かった身体にも女性らしい丸みが生まれていた。
時間は止まっていなかった。
自分だけが気付いていなかっただけで、確かに四年という歳月が流れていたのだ。
『青龍の守護者も目覚めたようだな。』
「篤が……?」
思わず零れた名前に、朱雀は愉快そうに炎を揺らした。
『女を抱いては取っ替え引っ替えしているようだな。』
その言葉に、ミサの表情が強張る。
『お前のことなど、もう微塵も覚えてはおらぬだろう。』
容赦なく告げられた言葉が、胸の奥へ深く突き刺さった。
「……うそ。」
掠れた声が漏れる。
『嘘ではない。』
即座に返された言葉に、ミサは唇をきつく噛み締めた。
信じたくなかった。
けれど、四年という歳月は、人が変わるには十分過ぎるほど長い。
――篤だって、もう…。
そんな考えが胸を締め付ける。
静まり返った空間の中、ミサはぎゅっと拳を握り締めた。
長い沈黙が流れる。
やがて、朱雀がぽつりと口を開いた。
『……ならば、賭けをしよう。』
「賭け?」
ミサは顔を上げる。
『お前が向こうへ戻った後、再び青龍から力を分け与えてもらえたなら。』
朱雀はゆっくりと目を開いた。
『その時は、お前の記憶を返してやる。』
「……!」
ミサは目を見開く。
『そして、その代わりに。』
朱雀の紅い瞳が、真っ直ぐミサを見据えた。
『余が欲する最後の欲を差し出せ。』
「最後の……欲?」
『そうだ。』
勝ち目などない。
そう思った。
篤久はもう自分のことなど覚えていない。
朱雀の言葉が本当なら、その可能性は限りなく低いだろう。
それでも――。
何もせず諦めるよりは良かった。
ほんの僅かでも希望があるのなら。
「……やる。」
ミサはゆっくりと顔を上げる。
その瞳には、迷いはなかった。
「その賭け、受けます。」
朱雀は満足そうに炎を揺らした。
『決まりだな。』
巨大な嘴が、ゆっくりと開く。
『ならば、もう一度運命に抗ってみせよ。』
『あちらの世界へ戻るが良い。』
炎が一気に視界を埋め尽くす。
眩い紅蓮の光の中へ、ミサの意識はゆっくりと溶けていった――。
『……また一年、過ぎたか。』
ミサを送り出した後、朱雀は誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
その声は静かな空間へ溶けるように消え、朱雀は再び静かに身を伏せた。
※ ※ ※
―――これ、絶対殴られる……よね?
篤久が軽く腕を回す姿を見て、ミサはそう確信した。
―――五年前の私、一体何したの!?
思わずぎゅっと目を閉じる。
殴られる覚悟はできた。
けれど同時に、五年前の自分を少しだけ恨んだ。
その時だった。
頬に少し冷たい感触が触れる。
篤久の手だった。
身構えていた身体がびくりと震える。
思わず薄っすら目を開いた。
―――近い…
そう思った次の瞬間――。
ふわりと唇に柔らかな感触が重なった。
「……え?」
驚いて目を見開く。
すぐ目の前には篤久の顔があった。
整った顔立ち。
長い睫毛。
近すぎる距離。
ゆっくりと顔が離れていき、その奥にある蒼色の瞳と目が合った。
口付けされた。
そう理解するより早く。
身体の奥から熱が溢れ出す。
失われていた神力が一気に巡る。
そして――。
雪崩のように記憶が蘇った。
初めて出会った夜。
貸してくれた本。
一緒に過ごした時間。
雪の日の別れ。
朱雀との賭け。
ずっと抱えていた想い。
全てが一気に押し寄せる。
「あ……。」
気付けば目頭が熱くなっていた。
視界が滲む。
「ミサ?」
篤久の声が聞こえる。
瞬きをした途端、一粒の涙が頬を伝った。
篤久が慌てて手を伸ばす。
優しく涙を拭う。
ふわりと香る匂い。
五年前と同じ香りだった。
懐かしくて。
愛おしくて。
どうしようもなくて。
涙が止まらなくなる。
その拍子に、腰へ結んでいた小さな鈴が――。
――チリン。
小さな音色が静かに響く。
篤久の瞳が、僅かに揺れた。
あの日と同じ音だった。
「あ、つ……。」
掠れた声が漏れた。
「えっ……?」
篤久が息を呑む。
泣かれたことよりも――
五年前と同じ呼び方で、自分の名を呼ばれたことの方が衝撃だった。
「篤……。」
ずっと会いたかった。
ずっと忘れたくなかった。
その想いが溢れ出す。
けれど、その次の瞬間。
視界がぐらりと揺れた。
急激に意識が遠のく。
「ミサ!」
崩れ落ちそうになった身体を篤久が抱き止める。
だが、そのままミサの意識は暗闇へと沈んでいった。
「こらぁぁぁ! 篤久!」
なぎの上が猛然と二人の間へ割って入る。
半ば強引に引き離され、篤久は思い切り顔をしかめた。
あず姫はすぐにミサを受け止め、その身体をそっと抱き寄せる。
本成も駆け寄って脈や呼吸を確かめ、新太も心配そうに覗き込んだ。
「……何なんですか、一体。」
篤久は苛立ちを隠そうともせず、なぎの上を見つめた。
「聞きたいのはこっちよ!」
なぎの上が声を荒らげる。
「だから確認しましたよね。本当にして良いのか、と。」
篤久は淡々と答えた。
「それはそうだけど!」
「神力も戻りました。」
篤久が静かに視線を向ける。
その場の全員がミサを見る。
先ほどまで黒かった髪は、美しい朱色へと変わっていた。
神力が完全に戻った証だった。
「ショックで倒れちゃったじゃないの!」
その一言に、篤久は何も返せなかった。
―――泣くほど嫌だったのか。
胸の奥が、重く沈む。
珍しく暗い表情を浮かべた篤久を見て、なぎの上はさらに問い詰めた。
「あんた達、一体どういう関係だったの!?」
ぐいっと襟元を掴まれる。
篤久は露骨に顔を背けた。
「まさかミサに手を出してないでしょうね!?」
その瞬間。
篤久の瞳が鋭く細められる。
「……心外ですね。」
低く静かな声だった。
「お二方が、それを言いますか。」
「だったら今のは何よ!」
しばらく沈黙が流れる。
やがて篤久は、小さく息を吐いた。
「……足を滑らせたミサを支えた時です。」
「え?」
「支えきれず、一緒に落ちました。」
その場が静まり返る。
掴んだ襟元の手を、なぎの上は思わず離す。
「その時、たまたま触れただけです。」
嘘ではない。
事実だけを口にした。
だが、その時のことを思い出すだけで胸が締め付けられる。
篤久の視線は自然と眠るミサへ向いた。
すると、その間へ割って入るようにあず姫が静かに口を開く。
「ミサは……報告していなかった。」
篤久は視線を向ける。
「私達と六歳からずっと一緒にいたのに。」
その声には悔しさが滲んでいた。
なぎの上も静かに頷く。
二人とも何も知らなかったのだ。
なぜ黙っていたのか。
その理由は篤久には分かっていた。
だが、口にはしなかった。
本成が診察を終え、ゆっくり立ち上がる。
「大丈夫。」
穏やかに微笑む。
「気絶しただけだよ。」
その言葉に、その場の空気がようやく緩んだ。
「それにしても……綺麗だな。」
本成が感心したように、そっとミサの朱色の髪へ手を伸ばす。
その瞬間。
篤久の眉がぴくりと動いた。
あからさまな不機嫌さに、本成は思わず笑みを零す。
「新太、お腹空いたでしょ?」
「もう限界だー!」
張り詰めていた空気に、小さな笑いが戻る。
やがて布団が運ばれてきた。
篤久は当然のようにミサを抱き上げる。
その手つきは驚くほど優しく、まるで壊れ物でも扱うかのようだった。
静かに布団へ寝かせる。
その様子を見ていたなぎの上が、小さく咳払いをした。
「あんた。」
篤久が振り返る。
「いつからミサのことが好きなの?」
迷うことなく答えが返る。
「初めて会った時からです。」
その場が静まり返った。
篤久は襟元を正しながら、眠るミサへ視線を落とす。
その眼差しは、どこまでも真っ直ぐだった。
「……もっとも。」
小さく笑う。
「私の片想いでしかありませんが。」
五年前を思い出す。
警戒されていたこと。
逃げられていたこと。
それすら愛おしかった。
「ミサは最初から私を警戒していましたし。」
そう言って、どこか嬉しそうに微笑む。
なほと美乃香は思わず口元を押さえた。
その笑顔の破壊力は凄まじかった。
あず姫がじろりと篤久を睨む。
「無理やり迫ったりしたら許さないわよ。」
なぎの上も腕を組みながら大きく頷いた。
篤久は肩をすくめ、小さく笑う。
「ミサが望まないことはしませんよ。」
そして、一度だけ眠るミサを見つめた。
その眼差しは優しく。
どこまでも愛おしそうだった。
「ただ――。」
「ただ?」
「これからは、全力で口説きます。」
その場の全員が固まった。
「邪魔だけはしないでくださいね。」
満面の笑みだった。
本成は堪え切れず吹き出し、
新太は口を開けたまま固まり、
なほと美乃香は声にならない声を出し、口を抑えた。
そして、なぎの上とあず姫は言葉を失う。
ただ一人。
眠るミサだけが、その宣言を聞いていなかった――。




