protocol35 : 牙を剥く静寂
すっかり日も落ちた頃、勇者パーティは、垓亜の街へと到着した。
街灯代わりのエーテル灯が、通りをぼんやりと照らしている。
明るいはずなのに――どこか、不気味なほど静かだった。
「......人の気配が、しない」
ガイアスが、周囲を見渡しながら呟いた。
賑わっているはずの異国の街並みに、人影が一つもなかった。
物音一つしない。
ただ、エーテル灯の光だけが、しんと静まり返った石畳を照らしていた。
「今夜は、あそこに泊まるか」
ガイアスが、通り沿いにあった宿屋を指差した。
看板には、異国風の文字が刻まれている。
一行は、その扉を押し開けた。
だが――。
「......何、これ」
真っ先に気づいたのは、ルナだった。
床のあちこちに、赤黒い雫が点々と落ちている。
まだ乾ききっていない、血の痕だった。
「店主は......」
受付らしきカウンターには、誰もいなかった。
呼び鈴を鳴らしても、返事はない。
奥へと続く廊下には、個室の扉がいくつも並んでいたが、その半分ほどが、開けっ放しになっていた。
まるで、ついさっきまで、誰かがそこにいたかのように。
「......何かあったのは、間違いなさそうだな」
ドレイクが、低く呟いた。
誰もが、無言のまま、警戒を強めていた。
その時だった。
――ドン、ドン、ドン。
入り口の扉が、規則正しく三回、叩かれた。
全員の視線が、一斉に扉へと向く。
「......見てこい」
ガイアスが言った。
その視線は、リオへと向けられていた。
「......俺、ですか」
「他に誰がいる」
ガイアスの声には、有無を言わせぬ響きがあった。
リオは、一瞬、唇を噛んだ。
だが、それ以上の抵抗は許されないと、既に骨身に染みていた。
「......分かりました」
短剣に手をかけ、リオは、ゆっくりと扉へと近づいていく。
――ドン、ドン、ドン。
再び、規則正しいノックの音が響いた。
「......誰か、いるんですか」
リオが、声をかけながら、扉の取っ手に手をかける。
返事はない。
ただ、ノックの音だけが、その先の静寂を予感させた。
リオは、息を整え、ゆっくりと扉を開けた。
――にゅるり。
隙間から、何かが、頭を突き入れてきた。
「......っ!?」
リオは、思わず息を呑んだ。
それは、老婆だった。
だが、その頭皮は、髪ごと所々剥ぎ取られ、赤黒い肉が剥き出しになっている。
白目を剥いた両目に、光は宿っていなかった。
首は、あり得ない角度――右へ直角に折れ曲がったまま、固定されていた。
「......カチ、カチ、カチ」
赤黒く変色した歯が、機械的に鳴っている。
次の瞬間、老婆は、両腕を伸ばし、リオへと掴みかかった。
「うおっ......!」
リオは、咄嗟に身を捻り、その手を躱した。
老婆の指先が、頬を掠める。
冷たく、そして、明らかに生者のものではない感触だった。
「――ッ!」
リオは、短剣を一閃させた。
刃が、老婆の首――折れ曲がったままの首筋を、深く切り裂く。
断末魔もなく、老婆の体は、崩れるように地面へと沈んだ。
「......リオ、大丈夫!?」
ルナが、駆け寄ってくる。
「......ああ、平気だ」
リオは、荒い息をつきながら、頷いた。
だが、その表情には、隠しきれない緊張が滲んでいた。
その時――。
「――っ、皆、窓を見ろ!」
フィンの声が、鋭く響いた。
全員が、一斉に振り返る。
宿屋の窓という窓に、幾つもの顔が、ぴたりと押し付けられていた。
白目を剥き、血と涎に汚れた、人ならざる顔。
その数は、一つや二つではなかった。
「――囲まれてる......!」
アンナが、盾を構えながら叫んだ。
次の瞬間、ガラスの割れる音が、一斉に響き渡った。
――パリンッ、パリンッ、パリンッ!
砕け散った窓から、グールたちが、なだれ込んでくる。
「戦闘配置!」
ガイアスの号令とともに、一行は素早く陣形を組んだ。
「数は多いが、動きは鈍い! 落ち着いて対処しろ!」
剣が、うめき声を上げながら迫るグールを、次々と斬り伏せていく。
フィンの爪が、突進してきた個体の首を刎ね飛ばした。
ドレイクの拳が、複数の敵を纏めて弾き飛ばす。
リリィの魔法が、群れの動きを一時的に鈍らせ、ゴードンの戦斧が、その隙を逃さず薙ぎ払った。
ローズの血の刃が、闇の中を静かに舞い、アンナの怪力が、迫る腕を纏めて叩き潰していく。
魔導具たちも、それぞれ武器を手に、後方からの敵を食い止めていた。
リオは、短剣で床を這うように近づく個体を仕留め、ルナは、結界魔法で仲間たちの死角を守っていた。
バルドは、無駄のない動きで、確実に敵の急所を突いていく。
激しい戦闘は、それでも、長くは続かなかった。
最後の一体が崩れ落ちる頃には、宿屋の床は、血と、崩れたグールの残骸で埋め尽くされていた。
「......終わったか」
ガイアスが、剣についた血を払いながら、荒く息を吐いた。
「一体、この街で何が起きてるんだ」
フィンが、周囲を見渡しながら呟く。
誰も、その問いに答えられなかった。
「......こんな状況、まともじゃない」
リリィが、険しい顔で言った。
「情報を集める必要があるわ。冒険者ギルドなら、何か掴んでいるはずよ」
「そうだな」
ガイアスが、頷いた。
「この街のギルド――確か、『垓亜のよるべ』とかいったか。そこへ向かう」
一行は、破壊された宿屋を後にし、再び街道へと出た。
だが、街の様子は、先ほどよりも、さらに異様な気配を帯びていた。
路地の陰、建物の隙間、至るところに、うごめく人影があった。
その全てが、白目を剥いた、あのグールだった。
「......数が、多すぎる」
アンナが、盾を構え直しながら呟いた。
「構うな、進むぞ」
ガイアスが、剣を握り直した。
「ギルドまでの道を、切り開く」
一行は、次々と現れるグールを斬り伏せながら、エーテル灯に照らされた通りを進んでいった。
断末魔にも似たうめき声と、剣戟の音が、静まり返った夜の街に、絶え間なく響き渡る。
その先――通りの向こうに、他の建物よりも一際大きな、西洋風の建造物が見えてきた。
金属製の扉は固く閉ざされ、その周囲にも、幾体ものグールが群がっている。
「あれが......」
ガイアスの視線が、その建物の看板へと向いた。
――ギルド『垓亜のよるべ』。
一行は、群がるグールを蹴散らしながら、その扉を目指して、足を速めた。




