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魔法侵蝕譚ーマナ・サピエンス  作者: ArgasNorn
勇者の軌跡

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protocol34.0 : あるギルドの異変

 日もすっかり落ち、街は完全な夜に包まれていた。


 ギルド"垓亜のよるべ"の一室では、受付嬢たちが、なおも書類仕事に追われていた。


 達成済みの依頼、未達成の依頼。


 積み上げられた紙の束は、一向に減る気配がない。


「......きりがないわね」


 リタが、こめかみを押さえながら呟いた。


「今日は、これくらいにしとく?」


 隣の受付嬢が、疲れた声で提案する。


 その時だった。


 外から、複数の話し声と、誰かが走る足音が聞こえてきた。


「おーい、そっちはどうだ!」


「こっちは問題ない!」


 何かが、騒がしい。


「......夜遅くに、騒がしいわね」


 別の受付嬢が、眉をひそめる。


「ちょっと、外を見てくるわ」


 リタは、そう言って、ギルドの外へと出た。


 広場には、エーテル灯に照らされた中、十数人の街の人々が集まっていた。


 誰もが、険しい顔をしている。


「......何かあったの?」


 リタが、近くにいた青年に声をかけた。


「道具屋のトムが、おかしくなっちまったんだ。だよな、ジョージ」


 青年が、隣の中年男を振り返る。


 武器屋を営むジョージだった。


 血で染まった腕を押さえながら、彼は語り始めた。


「ああ......店の扉をノックする音が聞こえたから、開けたんだ。そしたら、トムの奴が目の前にいてな」


 ジョージの声は、僅かに震えていた。


「急に、奇声を上げやがった。涎垂らしながら、俺に飛び掛かってきたんだ。しょうがねぇから、体を掴んで、投げ飛ばしてやった」


「......トムが?」


 リタには、信じ難い話だった。


 道具屋のトムといえば、いつも穏やかに客を迎える、気の良い男だったはずだ。


「トムだけじゃないぞ」


 別の老人が、口を挟んだ。


「隣の家が騒がしいんで、ベッドから起きて、リビングの窓を見たらな」


 老人の声が、微かに掠れる。


「住人全員が、白目を剥きながら、窓に顔を押し付けて、こっちを見ていたんじゃ」


「......」


「腰を抜かしそうになったわ。それで、冒険者時代に使っていた斧を持って、逃げてきたんじゃ。その直後に、窓が割れる音が聞こえたからのう。あと少し遅ければ、どうなっていたか」


 周囲の人々も、次々と口を開いた。


 誰もが、近所の人間が突然おかしくなり、着の身着のまま逃げてきたのだと語った。


「......一体、何が起きているの」


 リタの声が、震えを帯びる。


 その時、街道の先から、十数人の集団が走ってくるのが見えた。


「こっちは問題ない! 集められるだけ、冒険者を集めたぞ!」


 剣を提げた騎士、筋骨隆々とした大男、黒いローブを纏った女性の魔法使い。


 様々な出で立ちの冒険者たちが、広場へと駆け込んでくる。


 だが――。


 その直後、反対側から、若い女性が、血まみれになって走ってきた。


 飲み屋を営んでいる、あの女性だった。


「みんな、逃げて! あいつらが来る!」


 悲鳴のような声が、広場に響いた。


 同時に、遠くから、無数の叫び声と、地響きのような足音が聞こえてきた。


 数十人の集団が、ギルドの広場目がけて、まっすぐに駆けてくる。


 最初は、よく見えなかった。


 だが、次第に近づいてくるその集団の顔を見て、リタは、ぎょっと息を呑んだ。


 誰もが、白目を剥いていた。


 口からは、涎と血が、絶え間なく垂れ落ちている。


 体中も、血だらけだった。


「みんな、ギルドに避難して!」


 リタが、声を張り上げた。


 ギルドの建物は、街が魔物に襲撃された際を想定し、強度を高めに作られている。


 広場にいた全員が、我先にと建物の中へ駆け込んだ。


 金属製の扉が、重い音を立てて閉じられ、施錠される。


 直後――。


 壁や扉を激しく叩く音が、室内に響き渡った。


 ――ドンッ、ドンッ、ドンッ。


 何十もの拳が、扉を殴りつけているかのようだった。


 しばらくして、その音は止んだ。


 だが、代わりに、低いうめき声が、外壁の至る所から漏れ聞こえてくる。


「......何が、起きているの」


 別の受付嬢が、震える声で呟いた。


「分からない。急に、街中の人達がおかしくなったのよ」


 リタが、答える。


「ああ......あれは、どう見てもグールだ」


 鎧を着た騎士が、低い声で言った。


「魔物化してるってこと?」


「それって、西方諸国の噂と同じじゃない!」


 受付嬢の一人が、声を上げた。


「急に街中の人達が、グール化して、その街は軍によって封鎖されたって......」


「聞いたことあるぞ」


 一人の冒険者が、口を挟んだ。


「原因は、偽造マナポーションだろ?」


「それ、何?」


 リタが、問い返す。


「マナポーションによく似てるが、全然違う作用がある。中身は、ファントムだ。飲んだ奴らの体内のイビルマナが増えるんだ」


 その説明に、ギルドの職員たちは、誰も心当たりがなかった。


 本来であれば、異国であっても、これほどの異常事態が起これば、ギルド間で情報が共有されるはずだった。


 それが、まったく届いていない。


(......おかしい)


 リタの中で、違和感が急速に膨らんでいった。


 その時、不意に思い出す。


 夕方、ギルド長と副ギルド長が、慌てた様子で外へ出ていったこと。


「......」


 リタは、無言のまま、二階へと続く階段へ向かった。


「ちょっと、勝手にギルド長の執務室に入るのは」


 他の職員が、慌てて止めようとする。


 だが、リタは、それを振り切るように歩みを進めた。


 執務室の扉に手をかける。


 鍵は、かかっていなかった。


 中に入ると、そこは広い部屋だった。


 中央には、大きな絨毯が敷かれ、低いテーブルを囲むようにソファがいくつか並んでいる。


 正面には、ギルド長の執務机と椅子。


 その奥には、大きな窓があった。


 窓の外には、漆黒に沈んだ街の景色が広がっている。


 だが、その所々で、赤い火の手が上がっていた。


 左右の壁際には、本棚が並び、数多くの書籍が収められている。


 その一角に、王宮や他のギルドからの通達書類が納められていた。


 リタは、それらを一枚ずつ確認していった。


 だが、どれも、特に目を引くようなものではなかった。


 次に、ギルド長の机へと向かう。


 机の上は、整理整頓が行き届き、塵一つ落ちていなかった。


 いくつかの引き出しに手をかけたが、そのどれもが、固く鍵をかけられていた。


「......くっ」


 リタは、小さく舌打ちし、諦めて執務室を出た。


 その直後――。


 一階から、悲鳴が響いた。


 リタは、階段の手すりから、下の様子を見下ろした。


 居酒屋を営む若い女性が、肩から腰にかけて、大剣で切りつけられていた。


 それをやったのは――道具屋のジョージだった。


 白目を剥いたジョージが、うめき声を上げたかと思うと、切りつけた女性にかぶりつき、肉を食い千切っていた。


「何をやってるんじゃ!」


 先ほどの老人が、斧でジョージへと斬りかかる。


 周囲に、血飛沫が舞った。


「気をつけろ! グールの血は浴びるな!」


 騎士の怒声が響く。


 別の場所でも、悲鳴が上がった。


 見れば、受付嬢の一人が、若い青年にかじりついている。


 ここかしこで、乱闘が始まっていた。


 あっという間に、一階のホールは、血の海と化していった。


「......っ」


 リタは、慌てて執務室へと駆け戻り、扉を閉め、鍵をかけた。


 外からは、階段を駆け上がる、複数の足音が響いていた。


 それは、すぐに扉の前で止まった。


 ――ドンッ、ドンッ、ドンッ!


 扉が、激しく叩かれる。


 木製の扉の中央が、軋みながら、少しずつ割れていった。


 そして、拳大の穴が、ぽっかりと空いた。


 その穴から、覗き込むように現れたのは――同僚の受付嬢の顔だった。


 肌は、灰色に変色していた。


 青白い血管が、皮膚の下で浮き上がっている。


 涎を垂らしながら、焦点の合わない白目で、こちらを見つめている。


「......う、あ、ああ」


 うめき声とも、呼びかけともつかない音が、その口から漏れた。


「......ひっ」


 リタは、後ずさりながら、声にならない悲鳴を飲み込んだ。


 その直後だった。


 ――ビィィィィッ。


 聞き慣れない機械音が、室内に鳴り響いた。


 扉の直上――天井の一部から、鈍く光る鉄の板が、勢いよく下にスライドしてきた。


 それは、破壊されかけていた木製の扉を、完全に塞いでしまった。


 外からの音が、ふつりと途切れる。


 それとほぼ同時に――。


 ギルド長の机の方から、乾いた音が聞こえた。


 ――カチャ。


「......?」


 リタは、恐る恐る机へと近づいた。


 先ほどまで固く閉ざされていたはずの引き出しに、手をかける。


 ――するり。


 驚くほど簡単に、それは引き出された。


 鍵が、解除されていた。


 中には、いくつかの資料が収められていた。


 リタは、震える手で、それを取り出した。


「緊急通達:バートランド聖王国の各都市における住人魔物化事件の被害報告」


 一枚目の表題を読み、リタは息を呑んだ。


「緊急通達:各国で流通している偽造マナポーションに関する注意喚起、魔法薬を取引する際には専用の魔道具による検査を厳守すること」


「......こんな話、聞いてないわよ」


 声が、震えた。


 他の引き出しにも、同様の手を伸ばす。


 どれも、同じように鍵が解除されていた。


 中から、次々と、同じ体裁の書類が出てくる。


「西方諸国における権力中枢への魔神機関の浸透工作の進捗報告 1、2、3......」


 数字が積み重なった報告書の束。


 その間に紛れて、一通の書類が、リタの目に留まった。


「......何、これ」


 紙質からして、明らかに他とは違っていた。


 妙に無機質な、見慣れない書式だった。


「宛先:Gaia Heavy Industry.Co.Ltd 新資源開発部長 デービット・レイナード殿」


「送信元:Gaia Group.Co.Ltd 本社事業戦略部長 スティーブン・リー」


「件名:セクター5広域実験場『垓亜』における、低エネルギー・ナノエーテロイドの拡散および変異制御に関する実験計画」


「機密レベル:7」


 目に飛び込んでくる文字の一つ一つが、まるで異国の言葉のようだった。


 だが、リタは、震える指で、その先を読み進めた。


「該当エリア内に潜伏中のエージェントより、各種調整された試験薬『ナノエーテロイド』(以降NEと呼称)を受領後、速やかに対象エリア内に流通させること」


「NEは、即効型低エネルギーNE、遅効型低エネルギーNE、高エネルギーNE(対照群)の三種があることを確認すること」


「被験者体内のエネルギー量の測定は、別途送付の専用機材で常時監視すること」


「......被験者」


 その言葉が、リタの体の奥に、重く沈んだ。


「なお、魔力係数が-1を下回る者が、該当エリア内の人口の30%を超えた場合は、管制室案件へ移行し、該当エリア内の管理者および実験従事者は速やかに該当エリアから退避すること」


「※注意事項:本内容は該当エリア内の被験者への情報漏洩を固く禁ずる」


「※不測の事態が発生した場合の対応は、緊急マニュアルを厳守すること」


「※備考:本計画は、本社役員会の承認済みプロジェクトである」


 書類の末尾まで目を通し終えた時、リタの手は、はっきりと震えていた。


「......デービット・レイナードって」


 その名前には、覚えがあった。


「ギルド長の、名前......」


 Gaia Heavy Industry。


 ナノエーテロイド。


 広域実験場。


 本社。


 どれもこれも、リタにとっては、意味の分からない単語ばかりだった。


 だが――。


 ただ一つ、理解できたことがあった。


 このギルドの長が、想像を絶する、途方もない秘密を抱えているという事実だった。


 鉄板に塞がれた扉の外から、まだ、低いうめき声が漏れ聞こえていた。


 街のどこかで上がる炎の光が、窓越しに、リタの震える横顔を、赤く照らし出していた。

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