protocol31 : 腐塵欠壊2
白い菌の森を抜けた先に、それはあった。
かつては領主の居城だったであろう建物が、無残に崩れ果てていた。
石造りの壁は所々崩落し、その隙間から、太い菌糸が瓦礫を突き破るように伸びている。
そして、城の中庭――かつて噴水があったであろう場所に、一際巨大な白い菌類の柱が、天を衝くようにそびえ立っていた。
「......あれが、中心か」
ガイアスが、剣の柄に手をかけたまま呟いた。
巨大な柱からは、絶え間なく白い胞子が立ち上り、風もないのに、周囲へと緩やかに流れていく。
「トウマは」
リリィが、後方を振り返った。
トウマは、ルナとバルドに支えられながら、青ざめた顔で座り込んでいた。
「......まだ、動けそうにないわ」
ルナが、硬い声で答える。
「ここに置いていく。誰か、一人残れ」
ガイアスが、振り返らずに言った。
「私が残ります」
ルナが、即座に応じた。
「バルド、あなたも前線に」
「......いや」
バルドは、首を振った。
「俺は、ここに残る。ルナ一人じゃ、心許ない」
その言葉に、ガイアスは何も返さなかった。
ただ短く「好きにしろ」とだけ言い、前を向いた。
一行は、崩れた城門をくぐり、中庭へと歩を進めた。
その時だった。
「......ようこそ、いらっしゃいました」
声は、瓦礫の陰から聞こえた。
一同が、一斉に身構える。
姿を現したのは、黒いスーツを纏った、痩せた男だった。
だが、その体は、もはや人間のものとは言い難かった。
皮膚の至る所に、白い菌糸が這い、顔の半分は、既に菌に覆われている。
それでも、その立ち姿には、かつての矜持を思わせる、不思議な端正さがあった。
「......何者だ」
ガイアスが、剣を構えたまま問う。
男は、緩慢な動作で一礼した。
「申し遅れました。私は、この地を治めておりました領主家に仕える執事にございます」
「執事......」
「はい。このダンジョンは――」
執事は、菌糸に覆われた顔を、中央の白い柱へと向けた。
「私の主人夫妻を中心に、発生いたしました」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
まるで、何度も繰り返してきた話をするかのように。
「奥様は、長年、不治の病を患っておられました」
「不治の、病......」
リリィが、僅かに眉を寄せた。
「どのような手段を尽くしても、快方には向かいませんでした」
執事は、遠い目をした。
「そんな折、旅の商人が、ある薬を持ってまいりました。どんな病にも効くという、触れ込みの薬を」
「まさか」
「はい」
執事は、静かに頷いた。
「旦那様は、藁にも縋る思いで、その薬を購入されました。そして――奥様は、それを服用されたのです」
その先を、執事は、一瞬だけ言葉に詰まらせた。
「服用した直後、奥様の体から、白い菌糸が噴き出しました。止める間もなく、みるみるうちに、お体は菌に覆われ――そして、屋敷全体が、この有様に」
執事は、両手を広げた。
その仕草には、諦観と、深い哀しみが滲んでいた。
ガイアスが尋ねる。
「その商人はどこへ向かった」
「東の国、垓亜へ向かうと」
執事は喉からヒューという音を出し、掠れた声で答えた。
ローズがさらに尋ねる。
「名前は?」
「確か、クオンと名乗っておりました」
執事は咳き込みながら、巨大な菌の柱を眺める。
「旦那様は、最後まで、奥様のお傍を離れませんでした。......今も、あの通りです」
「あの通り、とは」
「中央へ行けば、お分かりになるかと」
執事は、力なく笑った。
その口元からも、白い胞子が僅かに漏れていた。
「私は、もはやこの体では、長くありません。ですが――どうか」
執事は、深く頭を垂れた。
「主人夫妻に、安らぎを」
沈黙が、崩れた中庭に落ちた。
誰も、しばらく口を開かなかった。
やがて――。
「......なるほど」
ガイアスが、静かにそう呟いた。
その声には、憐憫も、共感も、一切滲んでいなかった。
ただ、状況を理解した、という平淡な響きだけがあった。
次の瞬間、ガイアスの剣が一閃した。
執事の体が、音もなく地面に崩れ落ちる。
断末魔の声すら、上がらなかった。
だが、それだけだった。
誰も、それ以上の反応を示さなかった。
アンナは、既に前方へと視線を向けている。
ドレイクも、ローズも、リリィも、ゴードンも、フィンも――倒れた執事に、目もくれなかった。
まるで、道端の石を蹴りのけたのと、何ら変わらないことのように。
「行くぞ」
ガイアスが、剣についた菌糸を払い、前へと歩き出した。
その背中に、迷いはなかった。
一行は、中央の巨大な柱へと近づいていった。
柱の表面には、無数の亀裂のような模様が走っている。
その中心――柱に埋め込まれるようにして、一人の女性の姿があった。
白い菌糸に全身を覆われ、もはや人の形を保っているのが不思議なほどだった。
だが、その顔だけは、まだかろうじて、人間の輪郭を残していた。
虚ろな目が、ゆっくりと一行を捉える。
「......ア、ア、アア......」
声にならない声が、柱全体を震わせた。
同時に、柱の根元から、白い菌糸の鞭が幾本も伸びた。
「散れ!」
ガイアスの叫びとともに、一行は左右に飛び退いた。
鞭が、地面を叩き、石畳を粉々に砕く。
空気中に、大量の胞子が撒き散らされた。
「息を止めろ! 防護具を信じろ!」
ドレイクが叫ぶ。
その時だった。
柱の傍らに立っていた、白い甲冑の騎士が、剣を構えて前に出た。
全身を、白い菌糸に覆われている。
かつては、領主自身であったのだろう。
だが、今はもう、その面影を残していなかった。
「フィン、あの騎士を!」
「了解!」
フィンが跳躍し、白い騎士と切り結ぶ。
剣戟の音が、崩れた中庭に響き渡った。
騎士の動きは、驚くほど正確だった。
まるで、生前の剣術の記憶が、体に染み付いているかのように。
「くっ......こいつ、只の魔物じゃない......!」
「感傷に浸ってる暇はねえぞ!」
アンナが、盾を構えて騎士の攻撃を受け止める。
同時に、柱の鞭が、再び襲いかかってきた。
「リリィ、拘束を!」
「今、やるわ! バインド・チェイン!」
光の鎖が、柱から伸びる鞭に絡みつく。
だが、鞭の数は多く、すぐに振り払われてしまう。
「効かない......!」
「なら、直接叩くしかない!」
ドレイクが竜の姿へと変化し、柱そのものへと突撃した。
巨大な竜の爪が、菌類の表面を抉る。
白い体液のようなものが、飛び散った。
「ア、ア、アアアアアッ......!」
埋め込まれた女性の絶叫が、辺りに響き渡る。
それに呼応するように、白い騎士の動きが、さらに激しくなった。
「フィン、危ない!」
ローズが叫んだ瞬間、フィンの肩を、騎士の剣が掠めた。
「痛っ......! だが、まだやれる!」
フィンは、体勢を立て直し、再び跳躍した。
今度は、正確に騎士の首元を狙う。
――ザンッ。
鈍い音とともに、白い甲冑の頭部が、宙を舞った。
だが、それでも騎士の体は、なおも剣を振り続けていた。
「......執念、深すぎるだろ」
フィンが、思わず呟く。
ゴードンの戦斧が、その胴を一刀両断した。
ようやく、白い騎士の体が、崩れ落ちていった。
「よし、あとはあれだけだ!」
ガイアスが、柱に向き直る。
埋め込まれた女性は、なおも鞭を振るい、胞子を撒き散らし続けていた。
「アンナ、ドレイク、鞭を抑えろ! ガイアス、私が隙を作るわ!」
リリィが、再び詠唱を始めた。
アンナとドレイクが、迫りくる鞭を斬り払い、押さえ込む。
僅かに生まれた隙を、ガイアスが見逃さなかった。
「終わりだ」
剣が、柱の中心――女性の体を、真っ直ぐに貫いた。
――アアアアアアアアアッ......。
断末魔にも似た声が、次第に小さくなっていく。
やがて、それは完全に、静寂へと溶けて消えた。
巨大な柱が、内側から崩れ始めた。
白い菌糸が、粉のように舞い散り、風に流されていく。
一行は、荒い息をつきながら、崩れゆく柱を見つめていた。
「......終わった、のか」
フィンが、肩を押さえながら呟いた。
誰も、すぐには答えなかった。
体の奥で、また、あの熱いものが渦を巻いていた。
ガイアスは、剣についた白い体液を払いながら、静かに息を吐いた。
その目には、達成感が宿っていた。
「この場所を離れる」
その声には、既に、先ほどの執事のことなど、欠片も残っていなかった。
誰も、その名を口にする者はいなかった。
崩れた中庭の片隅で、執事だった者の体だけが、静かに菌に還っていった。




