protocol 14 : 街の異変
聖浄教会。
朝の光が、教会の石造りの壁を白く染めていた。
ステンドグラスから差し込む色とりどりの光が、
古い木の床に模様を作っている。
香の匂いと、磨き込まれた木の匂いが混じった、静かな空間だ。
メリーが扉を開けると、顔馴染みのシスターが振り返った。
五十代ほどの、丸みのある体型の女性だ。
孤児院にも関わっており、メリーとは長い付き合いになる。
「メリーちゃん、また来てくれたの。
でも今日は、いつもと顔色が違うわね」
「少し、お願いがあって来ました」
メリーがシルビィを前に出した。
シスターの目が、シルビィをゆっくりと見た。
ボロを繕っただけの服、橙色の瞳に残る疲弊と悲しみ。
乱れた薄緑色の髪。
シスターは何も聞かなかった。
ただ、シルビィの前に屈んで、目線を合わせた。
「疲れたでしょう。中に入りなさい」
シルビィが唇を結んで頷いた。
別室でメリーがシスターに事情を説明した。
奴隷狩りのこと、父親のこと、
そしてシルビィがすでに記録上死亡扱いになっていること。
シスターは最後まで黙って聞いていた。
それから一息をついて、言った。
「貴族に見つかったら、まずいことになるわね」
「分かっています。それでも」
「分かってるわよ」
シスターが遮った。穏やかな声だった。
「この子は、ここに置いていきなさい。
名前と顔は、私しか知らないようにする」
メリーが頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はいらないわ。ただ、あなたたちも気をつけなさい。
最近この街も、おかしくなってきているから」
そのとき教会の扉が、静かに開いた。
フードを被った二人組だった。
一人は長身で、落ち着いた立ち居振る舞いをしている。
もう一人は体格のいい人物で、警戒するように入り口付近に立った。
長身の方が、レインへ視線を向けた。
「レインさんで、間違いありませんね」
静かな声だった。敵意はない。
だがレインは即座に手を銃の柄にかけた。
リディアも無言で剣の鞘に手を添えた。
「アイアンレッド魔導演習隔離区域のダンジョン化事件の件は、
存じております。その子は、奴隷狩りにあった子ですね。」
フードの男がシルビィへ一瞬視線を向けてから、レインに戻した。
「我々はあなた方の敵ではありません。
今、この国でとんでもないことが起ころうとしている。
それを止めたい。皆さんに、協力をお願いしたいんです」
沈黙。
レインはディックを見た。ディックがわずかに首を縦に振った。
話だけは聞いてもいい、という判断か。
「別室で話しましょう」
メリーが言った。
聖浄教会 奥の部屋。
シスターが用意した小さな部屋に、六人が集まった。
フードが外れた。
短髪の銀髪に碧の瞳。細身で長身の、二十代前半の男。
その顔には、疲弊と焦りが滲んでいたが、それを意志の強さが覆っていた。
アレックス・プラチナム。
奴隷解放を訴える王都の貴族。
ディックの情報でその名前は知っていた。
「名乗るのが遅れました」
彼は言った。
「アレックス・プラチナムです。
マナレベル3の貴族ですが、今は正規の手続きを踏める立場にない」
「なぜここが分かった」
レインが言った。
「メリーさんが、この教会に顔を出すことは知っていました。
あなた方が、演習区域から脱出したという情報も。
あとは、論理的に考えれば」
アレックスが答えた。
「信頼できる場所に、あの子を匿おうとするなら、ここしかないと思った」
「話を聞こう」
レインが椅子に座った。他の三人もそれに続く。
アレックスが口を開いた。
「最近、この街で魔物化する人間が増えています。
それも奴隷ではなく、平民が」
「平民が?」
メリーが表情を変えた。
「ここ二週間で、確認できているだけで十三件。
いずれも突然の発症で、前兆がなかったと周囲の証言が一致しています。
普通の魔物化とは、明らかに様子が違う」
メリーが言った。
「普通の魔物化は、マナの枯渇が段階的に進むはず」
「突然の発症ということは、外部から何かが作用している?」
「その通りです」
アレックスが頷いた。
「そして、被害者全員に共通点がありました。
全員が、ある場所に出入りしていた」
彼は一枚の地図を取り出し、テーブルに広げた。
「華桜閣」
その名を口にして、ディックの目が細くなった。
「知っているか」
レインがディックに訊いた。
「名前だけは。街の外れにある、無法地帯っすよ。
ギルドの管轄外で、憲兵隊も手を出せない。
正直、俺も詳しくは知らないっす」
「その中で、魔物化した人間が出所不明のマナポーションを
所有していることが確認されました」
アレックスが続けた。
「それを王宮の魔導士たちに提出し、解析させたところ」
一拍置いた。
「イビルマナをマナに偽造した、
偽造マナポーションだったことが判明しました」
室内の空気が変わった。
「偽造マナポーション」
リディアが低く言った。
「この件には、ギレーネ・ブロンズが関わっています。
私があの場所に放っていた密偵の調査で把握しました。
彼女は偽造マナを使い、この国の貴族達を取り込もうとしている」
レインが言う。
「魔神機関が、流通に手を入れているということか」
「その可能性が高い」
アレックスが言った。
「ただ、華桜閣の内部については、
私の手の者でも深くは調べられていない。
あそこは、外からの人間をひどく警戒している」
「だから、俺たちに」
レインが言った。
「冒険者という立場なら、自然に入り込める。
調査を依頼したい。魔物化現象増加原因の究明、
そして偽造マナポーションの流通経路の特定です」
沈黙が落ちた。
レインは四人を順に見た。メリーが静かに頷いた。
リディアが腕を組んだまま目で同意を示した。
ディックが肩をすくめて、それが了承の意味だと分かる仕草をした。
「条件がある」
レインが言った。
「聞かせてください」
「シルビィの身の安全を保証してもらいたい。
あの子は記録上死亡扱いで、ギレーネに見つかれば今度こそ命が危ない」
アレックスは迷わなかった。
「私の屋敷で保護します。仮の身分を与えて、
メイドとして雇う形にする。それなら表向きの説明もつく」
「それで頼む」
レインが立ち上がり、手を差し出した。
アレックスがそれを握った。
アレックスが鞄から四枚の金属製のプレートを取り出した。
薄く、手のひらに収まる大きさで、表面に細かな魔法陣が刻まれている。
「前金として、これを。マナ保持魔導具、マナプレートです。
調査中の経費として自由に使ってください」
レインがそれを受け取り、残りをメリー、リディア、ディックへ渡した。
ディックがプレートを手の中で転がしながら、表面の魔法陣をまじまじと観察した。
「本物のマナっすよね、これ」
「それは、人体に直接、エーテル光を補充するための魔道具です。
エネルギーそのものは偽造できません。」
アレックスが続ける。
「ですが、偽造マナポーションは違う。
エーテル光のエネルギーが空であるにも関わらず、
周囲からわからないように偽造されている」
「確認したくなるのも、世の中変わったすね」
ディックが苦笑いした。
教会を出る前に、レインはシルビィに声をかけた。
礼拝堂の隅で、シルビィはステンドグラスの光の中に座っていた。
橙色の瞳が、レインを見上げた。
「少しの間、ここにいてもらう。
その後は、安全な場所へ移る手配ができた」
シルビィが膝の上で手を組んだ。
「レインさんは、また危険なところへ行くんですか」
レインは言った。
「俺たちは必ず戻ってくる。」
シルビィは黙った。それ以上は何も言わなかった。
レインは踵を返した。
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華桜閣へ向かう道は、街の正規の地図には載っていなかった。
ディックが裏ルートで入手した手書きの地図を頼りに、
四人は街の外れへ向かった。
昼間だというのに、その方角だけ人通りが少ない。
行き交う人々も、目を合わせない。
知っていて、近づかない場所。
「聞いた話によると」
ディックが歩きながら言った。
「華桜閣は、表向きは高級な歓楽街っす。
ただ、奥に行くほど、表には出せないものが増えていくらしい」
レインが言った。
「偽造マナポーションも、そのひとつか」
メリーが言った。
「あるとすれば奥の方でしょうね。表では普通の取引をしながら」
「潜入するなら」
リディアが言う。
「冒険者のままでは目立つかもしれない」
「客として入る」
レインが言った。
「それが一番自然だ」
道の先に、それが見えてきた。
華桜閣。
赤い提灯が昼間から灯り、装飾過剰な門構えが通りに面している。
音楽が漏れ聞こえる。笑い声も。
だがその賑やかさが、どこか空虚に聞こえた。
レインは立ち止まり、全員を見た。
「入ったら、俺たちは全員、ただの客だ。
余計なことを嗅ぎ回っているとは、悟られるな」
「了解っす」
「分かった」
「はい」
四人は、その門をくぐった。
赤い灯りが、四人の顔を照らした。




