protocol 13 : ある貴族の述懐
ギレーネ・ブロンズの屋敷 大広間。
旧時代では、通貨に紙幣が使われていたという。
だがそれらは偽造の恐れがあり、
偽札が出回ったこともあると聞く。
今ではマナが通貨の代わりだ。
エネルギーそのものを通貨とすることで、
偽造は事実上不可能と思われていた。
それが、このような事になるとは。
まさか、マナだと思っていたものの中に、
マナに偽造されたイビルマナが混入していたとは。
魔神機関なるものがイビルマナを完全に制御でき、
それによってイビルマナをマナに偽造できるなどと、
誰が予想できたか。
実際、ここに集まっている自分も含めた貴族の全員が、
その偽造マナを掴まされていた。
シャンデリアの光が降り注ぐ大広間に、
重い沈黙が満ちていた。
ギレーネの言葉が終わってから、しばらく誰も口を開かなかった。
グラスを持つ手が止まり、笑みが凍りついたまま動かない。
その沈黙を破ったのは、一人の男だった。
立派な黒のスーツに立派な髭、黒い靴、
銀色のステッキを持つ細身の中年貴族。
マナレベル2の中では発言力のある男として知られていた。
彼は一歩前に出て、ギレーネへ向けて声を上げた。
「ギレーネ嬢、ご冗談はよして頂きたい」
声は威厳と怒気で満ちていた。
「魔神機関?イビルマナの完全支配?
そのような訳のわからぬ話、到底信じられませんな。
ただでさえ、貴女の主催する魔導演習会場内が突如ダンジョン化し、
我々は命からがらここまで逃げてきたというのに、
どこまで我々を馬鹿にすれば気が済むのか」
男はステッキを床に打ち鳴らした。
「もう、帰らさせてもらう!」
背を向けた。
豪華なホールを横切り、入り口へ向かって歩き出す。
他の貴族たちが、固唾を飲んでその背中を見守った。
ギレーネが、静かに口を開いた。
「あら、信じて頂けないなんて」
柔らかい声だった。怒りも焦りも、何もない。
「貴方を救いたかっただけですのに。残念ですわ」
その言葉が終わった瞬間だった。
男の足が止まった。
膝が折れた。床に両手をついた。
ステッキが乾いた音を立てて転がった。
最初は小さな呻きだった。
それがすぐに、喉を絞るような声になった。
顔から、首から、全身から脂汗が吹き出した。
皮膚の色がみるみる変わっていく。
白から青、青から黒紫へ。
「っ! ば、バかな。 なゼ? いタいいいいイイ」
男が笑い出した。
「ヒヒひひはハヒハハハ ははははは」
笑い声が大広間に響いた。
高く、裏返り、人の喉から出るものではなくなっていく。
体が背中の方へ大きく反り返り、激しく痙攣し始めた。
他の貴族たちが後退した。悲鳴を上げる者、口を塞ぐ者。
男の背中が裂けた。
黒い甲殻が皮膚を突き破って現れた。
腰から、腹から、複数の関節を持つ外甲殻の足が生えていく。
一本、二本、四本、六本。人の形が崩れていく。
顔が潰れ、胴体が膨張し、長い尾が伸びた。
その先端に、黒く光る刃のような突起が現れた。
男だったものが、床に立った。
巨大な蠍型の魔物だった。
それが短く吼えると、会場の空気が震えた。
ギレーネが、その魔物を眺めながら口を開いた。
「奴隷や平民よりも、貴族の方が、
より強力な魔物になる傾向があるみたい」
興味深い研究結果を報告するような、落ち着いた声だった。
「マナ、イビルマナの濃度の高さと、
変異後の魔物の強度に相関があることが分かる良い例ね」
ギレーネが手を挙げる。
蠍型の魔物がギレーネに服従するかのように、
その場にひざまずき、床を揺らした。
大広間が静まり返った。
誰も動かない。誰も喋らない。
ギレーネが壇上から貴族たちを見渡した。
紫の瞳が、一人ひとりの顔を静かに確かめていく。
「皆様のお体の中には、今この瞬間も、
偽造されたマナが存在しています。
魔神機関の意思ひとつで、それはイビルマナとして機能し始める。
先ほどの方のように」
誰かが、小さく息を呑む音がした。
「ただし」
ギレーネが続けた。
「魔神機関と正式に契約を結んだ方は、その心配がなくなります。
皆様のイビルマナは、魔神機関によって適切に管理される。
魔物化することなく、今まで通りの生活を続けられる」
微笑んだ。
「これは、脅しではありません。事実の説明です」
ブロンズ家と取引したのが、そもそもの間違いだったのか。
広間の端で、一人の貴族がそう思った。
だがすぐに、考えても仕方がないと気づいた。
この場にいる全員が、すでに偽造マナを体内に持っている。
逃げても意味がない。先ほどの男が証明した。
背を向けた瞬間に、あの男は終わった。
それがどういうことか、ここにいる誰もが理解した。
ギレーネの提案という名の脅迫に従い、魔神機関と契約しなければ、
自分たちは一人残らず魔物となってしまう。
拍手が起きた。
恐怖が、そうさせていた。
ギレーネは満面の笑みのまま、その拍手を受けていた。




