protocol 12 : イビルマナ
黒紫色に変色した蔦と根が、四方から迫ってくる。
レインが身をかわした。触手が地面を抉る。土が飛散した。
「くそっ、魔導銃が使えない」
「私も魔法が使えない」
メリーが杖を構えたまま後退する。
「剣に魔力が込められない」
リディアが舌打ちしながら斬りつけるが、
魔力なしの刃ではダメージが浅い。
ディックが煙幕を投げた。白煙が触手の群れを遮る。
「みんな、こっちに来るっす!」
ディックがシルビィの手を引き、
触手の密集地帯の隙間を縫って駆け抜けた。
四人がそれに続く。
煙が晴れた先、開けた場所に出た瞬間、レインが足を止めた。
遠目に、ジョンの姿が見えた。
だが、触手はジョンに向かっていなかった。
それどころか、巨大な触手がジョンを乗せ、
高い場所へと持ち上げていた。
ジョンはその上で、まるで玉座に腰かけるように周囲を見渡している。
「どこへ隠れた?逃げても無駄だ。
ぐひひ。お前たちは、ここで全員死ぬんだよ」
メリーがそれを見て、表情を固くした。
「彼が、このダンジョンを支配しているの」
「その可能性はあるかも知れませんね」
ディックが言いながら、肩のカバンを下ろした。
「みんな、これを使うっす」
カバンから取り出されたのは、武器だった。
大小の銃、剣、爆弾、その他様々な道具が、
次々と地面に並べられていく。
どれも魔力を一切使用していない、
純粋な物理的機構だけで動くものばかりだ。
レインがそれを見て、呆れたような顔をした。
「お前、本当にただの情報屋か?」
「ええ」
ディックが涼しい顔で言う。
「ギルド所属のしがない情報屋です。
ちょっとばかり裏の世界に顔が利くだけの」
「ちょっとばかりか」
「まあ、ありがたく使わせてもらうか」
レインは並んだ武器の中から、長い銃身のものを手に取った。
「それは散弾銃です」
とディックが言った。
メリーが小型の銃を手に取り、重さを確かめるように持ち直した。
「私はこれにしようかな」
「メリーさんに丁度いいですね」
リディアが銀色の長めの武器を手に取った。
刃の部分がギザギザになっており、手元にスイッチが付いている。
「そこを押すと刃が動きますよ」
リディアがスイッチを押した。
キーンという高い音とともに、銀色のギザギザの刃が回転しながら動き出した。
リディアの口元が、わずかに緩んだ。
「気に入った」
全員が武器を手にしたところで、レインが言った。
「あいつは触手に襲われるどころか、制御しているように見えた」
「ダンジョンを支配しているとすれば」
メリーが続ける。
「核となる何かがあるはず。それがジョン自身か、
あるいはジョンが持っているものか」
「とにかくぶっ飛ばせばいいんだろ?」
リディアが回転刃を構える。
レインはシルビィへ向き直った。
「君はここにいるんだ」
シルビィが首を横に振った。
手に小型の剣を握っている。
橙色の瞳が、まっすぐにレインを見ていた。
「やらせてください。父さんの仇を」
レインはしばらく黙っていた。それからひとつ頷いた。
「分かった。無理はするな」
まだ魔物化していない木々を盾にしながら、
五人はジョンへ向けて距離を縮めた。
レインが姿を晒した。
「そこにいたか!」
ジョンの声と同時に、複数の触手がレインへ向かって飛んだ。
レインが散弾銃を撃つ。轟音。複数の触手が根元から砕け散った。
「くそっ!」
背後からメリーが連射した。小型の銃が連続して火を噴く。
「うあっ」
反動でメリーがよろめく。だが弾はジョンの腕に当たった。
「うああ!」
ジョンが巨大な触手の上でうずくまる。
ディックが楕円形の爆弾を触手の根元へ投げ込んだ。
爆発が起き、触手がバランスを崩して倒れた。
リディアが走った。
「私を守れ!」
ジョンの叫びで、地面から触手が次々と突き出て行く手を塞ぐ。
リディアは止まらない。回転する刃で触手を次々と断ちながら、
真っ直ぐに前へ進む。断面から体液が飛び散る。それでも止まらない。
ジョンの目の前に迫った瞬間、ジョンが懐から杖を取り出した。
「貴様はこれで、魔物になるんだ!」
杖から黒い弾が放たれた。
リディアが身をひねる。
弾が横を掠めた。
そのまま回転しながら、回転刃の刃がジョンの杖を捉えた。
金属が砕ける音がした。
「ひいい!」
ジョンが走り出した。情けない悲鳴を上げながら、後方へ逃げる。
その先に、シルビィが立っていた。
小型の剣を両手で握り、振りかぶる。刃がジョンの体に当たった。
「うああああ」
青白い電撃がジョンの全身を走った。
ジョンが地面に崩れ落ちる。
「奴隷、風情が……」
身体が痺れて動けない。
シルビィがとどめを刺そうと踏み込んだ瞬間、
レインがその肩を掴んで止めた。
シルビィが振り返る。怒りと悲しみが混じった目だった。
レインは首を横に振った。
その瞬間、周囲の触手が、一斉に動きを止めた。
静寂が落ちた。
ジョンが地面に転がったまま、口元をにちゃりと歪めた。
「まずい。あの方々から頂いた秘蔵の品を失うとは」
「他に切り札はないようだな」
リディアが言う。
五人がジョンを取り囲んだ。
レインが散弾銃をジョンへ向ける。
「ひいい。わかった。降参だ」
「まだ、聞かなければならない話がある」
レインが言った。
「この森の触手は、なぜお前を襲わない」
ジョンはびくびくと震えながら、それでも口の端がじわりとニヤついた。
「お前たちでは、到底かなわぬ。神にも等しい存在と契約したからだ」
一拍置いて、ジョンが言った。
「魔神機関」
その言葉が、森の中に静かに落ちた。
「魔神機関?契約?どういうことですか」
メリーが前に出た。
ジョンが笑いながら答える。
「人が魔物になるのは、なぜだか分かるか?」
「体内のイビルマナが暴走するからだろ」
リディアが言う。
「ああ。だが、もし、そのイビルマナを制御できたとしたら?」
「そんなことは、ありえません」
メリーが言った。
「それが、できるのさ。魔神機関はな」
「何者なんだ、魔神機関とは」
レインが静かに言った。
ジョンが目を細めた。
「あの方々は、全世界の全てのイビルマナと繋がり、
思考を共有し、自在に操作できる。イビルマナの意思そのものだ。
これがどういうことか、分かるか?」
「魔神機関とやらの軍門に下れば、魔物化を免れるということか」
レインが言った。
「そうだ。あの方々は、我々をお救い下さるのだ」
「従わない者は?」
メリーが訊いた。
「あの方々の意思に背く者は、一人残らず魔物となり、
我々の下僕となるのだ」
ジョンが言った。
口調に、恐れとも信仰ともつかないものが混じっていた。
「それで、多くの者を犠牲にしたのか」
リディアが低く言った。
ジョンがへらへらと笑う。
「おっと、私的な制裁はよくないぞ?裁判で私を裁くべきだろ?ぐひひ」
その瞬間だった。
「みんな危ない、端に避けるっす!」
ディックが叫んだ。
空から黒い弾が高速で降ってきた。
五人が左右に散る。
レインがシルビィを抱えて転がった。
弾が地面を抉り、土煙が上がった。
上空から、何かが降りてくる。
メイド服。黒髪の長髪。泣きぼくろ。
カレン・クローバーだった。
ただし、その背中には黒い翼が広がっていた。
コウモリに似た、しかしそれよりずっと大きな翼が、
音もなく羽ばたいている。
地面に降り立つと、翼が折り畳まれた。
カレンはジョンを一瞥し、丁寧に一礼した。
「ゴルディ様。お迎えに上がりました。ギレーネ様がお待ちです」
「これは、カレン殿」
ジョンが這いながら顔を上げた。
「お手間を取らせてしまい申し訳ない。
貴殿も、あの方々と契約をしたということかな。ぐひひ」
「ええ」
カレンがジョンを軽々と抱え上げた。
そして五人へ向き直り、静かに頭を下げた。
「皆様、突然の無礼、申し訳ありません。
我々は多忙なもので。これで、失礼させて頂きます」
黒い翼が広がった。
「ご縁があれば、またどこかで」
カレンとジョンが、空へ消えていった。
直後だった。
周囲の触手が、一斉に激しくうねり始めた。
「これ、なんかまずくないか」
リディアが周囲を見回す。
「魔力が戻っています」
メリーが杖を構え、詠唱した。
手のひらに光がともった。
「使えます」
レインが魔導銃を取り出し、試し撃ちをした。
魔導弾が走った。
「いける」
「魔力が戻っているというより」
ディックが周囲を見回した。
「どんどん強くなっているような気がするっすよ」
触手が紫色に強く発光し始めていた。
その光が脈動のたびに増していく。
森全体が震えるように揺れている。
「みんな、急いで脱出するぞ」
レインが走り出した。全員がそれに続く。
発光が強くなる。地面が揺れる。木々が崩れ始める。
森林の縁が見えた。その先に、開けた空がある。
五人が境界を飛び越えた瞬間、背後で轟音が響いた。
振り返ると、そこにはクレーターがあった。
捕食森林と呼ばれていたダンジョンの跡地には、
巨大な抉れた地面だけが残っていた。
土煙が上がり、じきに静かになった。
五人はしばらく、誰も口を開かなかった。
------------------------------------------------------------
ギレーネ・ブロンズの屋敷。
赤い絨毯の上に、天井からシャンデリアが下がっていた。
広い会場には、アイアンレッド魔導演習隔離区域で
奴隷狩りをしていた貴族たちが集まっていた。
上等な礼服を纏い、グラスを手に持ち、
一見すれば貴族の夜会と変わらない。
だが、その顔色は違った。
引きつった笑みを浮かべる者。顔から血の気が引いている者。
グラスを持つ手が微かに震えている者。
壇上には三人が立っていた。
中央にギレーネ・ブロンズ。その隣にカレン、そしてジョン。
ギレーネが貴族の礼法に則った一礼をしてから、顔を上げた。
満面の笑みだった。
「皆様、魔神機関との契約、ありがとうございます」
拍手が起きた。
だがその拍手の中に、熱はなかった。
義務のように手を打ち合わせながら、
誰もが正面を見ることを恐れているようだった。
ギレーネの笑みは、変わらない。
「皆様はもうお気づきかと思いますが、本日をもって、
私たちは新しい時代へ踏み出します。
魔物化を恐れる必要はなくなります。
イビルマナは、もはや私たちの敵ではない」
静まり返った会場に、ギレーネの声だけが響く。
「魔神機関は、全てのイビルマナと繋がっています。
その意思のもとに在る限り、私たちは守られる。
そして、その意思に背く者は」
ギレーネが一拍置いた。
「等しく、魔物となる」
誰も声を上げなかった。
拍手が、もう一度起きた。
今度は前より大きかった。恐怖が、そうさせていた。
ギレーネはその拍手を受けながら、会場を見渡した。
紫の瞳が、一人ひとりを静かに確かめるように動く。
----------------------------------------------------------------------
街外れ。
夜になっていた。
五人は街の外れの廃屋に身を寄せていた。
シルビィが壁に背を預け、膝を抱えていた。
ディックが水を渡すと、黙って受け取った。
レインが焚き火の前に座り、
今日起きたことを頭の中で整理していた。
魔神機関。
全世界のイビルマナと繋がり、それを操る存在。
従う者は魔物化を免れ、背く者は魔物となる。
それは脅迫だ。
この世界で最も恐ろしい形をした、脅迫だ。
「魔神機関が、ギレーネを通じて貴族たちを取り込んでいる」
メリーが静かに言った。
「目的は何だ」
「貴族を従わせて、何をしたい」
リディアが言う。
「この国を支配する気でしょうね」
「貴族が従えば、その下にいる全ての民も従わざるを得なくなる」
メリーが答えた。
ディックが焚き火を見つめたまま、口を開いた。
「魔神機関か。俺は、その名前を聞いたことがあります。
裏の世界で、ごく小さな噂として。
ただ、今まで誰も本気にしていなかった」
「今は本気にせざるを得ない」
レインが言った。
焚き火が揺れた。
シルビィが、膝を抱えたまま言った。
「私は、これからどうすればいいんですか」
レインはしばらく黙っていた。
それから、焚き火を見たまま言った。
「当面、俺たちと行動しろ。
また狙われる可能性がある」
シルビィが顔を上げた。
「……はい」
焚き火の炎が、五人の顔を照らし続けていた。
魔神機関。
その名前がこの世界に何をもたらすのか、
まだ誰も全貌を掴んでいなかった。
ただ、歯車が動き始めたことだけは、確かだった。




