第7話 保健医との研究キス
「……信じられないわね。バグかと思ったけれど、これで二例目。間違いなく彼の仕業だわ」
学園の特別認可保健室。
一般の救急処置室の奥に隠された、最新の唾液分析シーケンサーや遠心分離機が並ぶ事実上の抗体臨床ラボで、学園保健医兼研究員の如月芹那はタブレット端末のデータを凝視していた。
画面に表示されているのは、生徒会長の早乙女遥と美鈴のV-CHUアプリログだ。
遥は【向こう3ヶ月】、そして初キスの美鈴ですら【向こう一週間】を示している。
「美鈴は他者の抗体がない初キスの単一状態だから一週間。でも、既に交差抗体のベースがあった遥は三ヶ月に跳ね上がった……。彼の唾液は、カクテル効果を爆発的にブーストさせる触媒なのね」
コンコン、と控えめなノックの音がラボの静寂を破った。
「失礼します。如月先生、根張大輝です。呼び出しって聞いて来たんですけど……」
「入りなさい。鍵もしっかり閉めてね」
肩から巨大な二リットル水筒を斜め掛けにした大輝が、おずおずとラボに入ってくる。
芹那は白衣を翻し、妖艶な笑みを浮かべて彼を迎えた。
「今日は災難だったわね、大輝くん。美鈴さんは無事に授業へ戻ったわ」
「すみません。俺、また脱水症状の人を出してしまったみたいで……」
「脱水?ふふっ、本当に何もわかってないのね」
芹那は手袋をはめ、滅菌済みの綿棒と試験管を取り出した。
「ちょっと口を開けなさい。あなたの唾液のサンプルを採らせてちょうだい。授業を途中で抜けてしまって、あなたの分を採取できていないの」
「え?あぁそうでしたね。すみません……」
「いいから開けなさい。これは特別検査よ」
言われるがままに口を開けた大輝の頬の内側を綿棒で擦り、芹那はそれを最新鋭のアナライザーに投入した。
モニターに複雑な塩基配列と波形が次々と表示されていく。
「人間の唾液型は基本的にAからFの六種類に分類されるわ。相手との遺伝的距離が遠いほどカクテル効果が高まる。さて、あなたの唾液は……」
ピピピッ!ピーーーッ!
けたたましいエラー音と共に、モニターの画面が真っ赤に染まった。
【測定不能:既存カテゴリ外構造を検出】
「エラー連発……。やっぱりね。既存の唾液型の枠に全く収まっていないわ」
「先生、俺の体に何か異常があるんですか!?」
不安そうに尋ねる大輝をよそに、芹那の瞳には科学的好奇心と研究者としての熱い炎が燃え上がっていた。
彼女はゆっくりと大輝に歩み寄り、その胸ぐらを掴んで医療用ベッドへと強引に押し倒した。
「ちょっ!?如月先生!?」
「機器が壊れているなら、私の体で直接試すしかないわね」
芹那は濡れたようなグロスが光る唇を舐め、白衣の胸元をはだけさせた。
「これは純粋な医学研究よ。さあ、私にあなたの体液を注ぎ込んで、その未知なる粘りを体験させなさい」
大輝が抗議する間もなく、芹那は自らの口に高カカオの口内清涼剤『ダークチョコ』を含み、大輝の唇を塞いだ。
「んっ……!?」
(嘘だろ、先生まで!?でも、これはただの抗体交換じゃない、研究って何だよ!?)
大輝の混乱をよそに、芹那の舌が鋭く口腔内へ侵入してくる。
元フェンシング部である彼女の舌技は、獲物の急所を的確に見極めるような鋭い踏み込みを持っていた。
「んんっ……ちゅる、くちゅっ……」
芹那が仕掛けたのは、医療的舌技『トルネードドリル』だった。
舌全体をスクリューのように高速回転させながら大輝の口腔深部へと潜り込み、舌下静脈叢を直接刺激して強制的に唾液分泌を最大化させる。
(すごい……早乙女先輩の時とは違う、圧倒的な大人の舌技……!)
ビターな香りが漂うダークチョコの苦味が、大輝の舌をピリピリと刺激する。
じゅぷっ、ちゅるっ……ぬちゃっ。
大輝はあまりの激しさに息が詰まりそうになった。
しかし、相手の粘膜を傷つけず、確実に唾液を送り届けるという彼の純粋な医療目的の意識が、反射的に身体を動かした。
(先生の舌が傷つく……。もっと優しく、包み込まないと!)
大輝は自らの舌を広げ、芹那の鋭い突進を真正面から受け止めた。
摩擦を和らげ、すべてを慈しむように優しく広く包み込む。無自覚の包摂技『ディープ・レスキュー』の反撃だった。
「んっ……!?は、ぁ……っ、ちゅるっ……んぅ……じゅぷっ……」
芹那の体が、ビクンと大きく跳ねた。
大輝の唾液腺の深部から溢れ出した未知の触媒酵素が、芹那のダークチョコの苦味を一瞬で甘く蕩かしていく。
(な、何よこれ……!これは、ただのペプチドのソレじゃない……っ!)
大輝の温かく柔らかい舌が、芹那の口腔内の隅々にまで触媒酵素を擦り込んでいく。
脳の多幸感中枢を直接揺さぶる極上の甘みに、芹那の理性が激しく音を立てて崩れ始めた。
「んぁっ……、あ、んんんっ……!」
精密ピペッティングのように繊細だった芹那の舌先が、みるみるうちに力を失い、大輝の甘い濁流に飲み込まれていく。
ジュプ、チュルル……クチャ……ッ。
(だめ、溶ける……っ!学生ごときに私の、年上としての威厳が……!)
研究者としての冷静な分析など、とうの昔に吹き飛んでいた。
大人の女医である芹那は、抗えない快楽の波に完全に吞み込まれ、大輝の制服を力なく握りしめながら、甘い嬌声を漏らし続けた。
「んっ……ふぁ……れろっ……んぅ」
大輝は芹那が酸欠で倒れないよう、中距離走で鍛えた肺活量で一定のリズムを保ちながら、優しく息を吹き込み続けた。
ピーッ!ピーッ!
二分間の規定時間超過を知らせるアラートが、ラボに鳴り響いた。
「ぷはっ……!はぁ、はぁっ……」
「ん……ぁ……っ」
大輝が唇を離すと、芹那はベッドの上で完全に骨抜きにされ、激しい快感で白衣を乱したまま力なく大輝に覆いかぶさった。
潤んだ瞳は焦点が定まらず、口元からは銀色の糸が切れて落ちる。
「先生!?大丈夫ですか、しっかりしてください!やっぱり水分が……!」
「待っ……て……。水は、いらない……」
芹那は息も絶え絶えに体を起こすと、震える指で自らの左手に嵌められたV-CHUデバイスの画面を開いた。
【免疫残量:完全回復(100%)】
【生存可能時間:向こう3ヶ月ストック】
「……ははっ、本当に……三ヶ月完全維持の表示だわ」
「三ヶ月?それって、どういう……」
芹那は乱れた白衣の胸元を合わせ、大輝を恐ろしいものを見るような目で見つめた。
「大輝くん。アンタの唾液には、あらゆる抗体を劇的に定着させる未知の触媒酵素が含まれているわ」
「未知の触媒酵素……?」
「ええ。相手から取り込んだ抗体を即座にコーティングして、効果を数ヶ月間引き延ばす奇跡の物質。……信じられないけど、アンタは『歩く万能ワクチン』なのよ」
歩く万能ワクチン。
その言葉の重みに、大輝はゴクリと唾を飲み込んだ。
「俺のキスで、みんな三ヶ月も生き延びられるんですか?」
「そういうこと。でも、喜んでばかりもいられないわ。口腔衛生上の法的制限で、一人が一日に提供できるキスの回数は『一日十人』が限界よ」
「一日、十人……」
「考えてもみなさい。数日おきに他人の唾液を乞わなきゃ生きられないこの世界で、『たった一回で三ヶ月も解放される奇跡の男』がいると知れ渡ったら、どうなると思う?」
芹那の言葉に、大輝の背筋に冷たい汗が伝った。
この世界では、キスは生きるための死活問題だ。
もし自分の特異体質がバレれば、学園中の女子生徒がその『十枠』を巡って殺到するだろう。
「あなたはこれから、地獄のような争奪戦に巻き込まれることになるわ。今のうちに覚悟しておきなさい」
「……それでも」
大輝の脳裏に、もうすぐ十六歳を迎える妹、翼の顔が浮かんだ。
(俺は、絶対に翼をこの狂った社会から守らなきゃいけないんだ)
「俺は、困っている人を助けたいんです。俺の唇で、誰かが理不尽な義務から解放されるなら……俺は、逃げません」
大輝の真っ直ぐで実直な瞳を見て、芹那はふっと息を吐き、口元に微笑みを浮かべた。
「馬鹿な男。……でも、そういうところ、嫌いじゃないわ。あなたの体質は私が徹底的に研究して、いつかこの狂った世界を壊してあげる。それまで、あなた自身の精神を壊さないようにしっかり自分自身を管理しなさい」
大輝はコクリと頷いた。
しかし、芹那の忠告も虚しく、その日の午後には「大輝とキスすれば一回で三ヶ月持続する」という情報が、共有オープンV-CHUログ経由で学内に流出することになった。
狂乱の『大輝争奪戦』の幕開けが、今ここから始まった。




