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第5話 キスの実践授業

(嫌……っ!大輝以外の、しかもこんな作業扱いの男の人と……絶対にムリだ!)


 沙羅理はギュッと目を閉じ、両手を強く握りしめて身を固くした。


 その頃、平助の席では悲劇が起きていた。


「へへっ、よろしく頼むぜ!」


「……最悪。三十秒きっかりで終わらせてよね。あと、絶対に動かさないで」


 相手の女子生徒に冷たい瞳で睨まれ、平助は一瞬怯んだものの、気を取り直して唇を突き出した。


「任せとけ!俺の極上テクを……ぶふぉっ!?」


「痛っ!ちょっと、歯が当たってるんだけど!」


「ご、ごめん!も、もう一回……あだっ!」


「今度は舌を噛まないでよ!信じられない、ホント下手くそ!」


 焦って距離を詰めようとした平助は、相手の歯に思い切りぶつけ、さらには舌を噛んで激しく嫌がられてしまうという失態を演じていた。


「ごめんなさいごめんなさい!じゃあ、これで……」


 激しく嫌悪感を露わにする女子に対し、平助は結局、互いの舌先をチョンチョンと触れ合わせるだけの「チキン・タッピング」で、三十秒のカウントダウンをやり過ごすしかなかった。


 教室のあちこちで、生々しい水音と、悲喜こもごもの声が上がり始める。


 大輝は、隣で震えている美鈴に向き直った。


 全員が隣同士とリングを重ねて認証を行い、持参したタブレットを口にしている。


「美鈴さん、大丈夫?」


「あ、根張くん……。ごめんなさい、私、こういうの初めてで……すごく怖くて……」


「大丈夫、ゆっくりやろう」


 朝に遥とキスをして慣れていた大輝は、初めての美鈴を優しくエスコートした。


 大輝は微笑みかけると、ポケットから無味無香料の医療用タブレット『メディカル・プレーン』を取り出して口に含んだ。


 美鈴も震える手でメロン風味のタブレットを口に入れる。大輝は彼女の肩にそっと手を添え、優しく唇を重ねた。


「んっ……」


 美鈴の唇が微かに開き、大輝の舌がゆっくりと彼女の口腔内へ滑り込む。


 ちゅぱっ、ぬちゃっ……じゅるるっ。


(遥先輩の時と違って、優しくて……少し震えているな)


 相手の舌から伝わる初々しい感触に、大輝はそんな感想を抱いた。


 初めは未知の行為にひどく怯えているようだった美鈴だったが、大輝が「相手の粘膜を傷つけず、確実に唾液を送り届ける」という純粋な医療目的の意識のもと、彼女の口内を慈しむように広く包み込むと、次第に体のこわばりを解き、安心して大輝に全てをゆだねてくるのがわかった。


 「はぁ……んむっ……ちゅるっ……」


 大輝自身は無自覚だったが、それは彼の特異体質である触媒酵素の分泌を最大化させる極上の包摂技「ディープ・レスキュー」の発動だった。


(あ……え……?なに、これ……?)


 恐怖で強張っていた美鈴の思考が、一瞬で真っ白になった。


 大輝の舌から放たれる極上の甘みと多幸感ペプチドが、彼女の脳を直接揺さぶる。


 その圧倒的な心地よさに、やがて美鈴は自分からも大輝の舌へと熱っぽく絡みつき、積極的な攻めに転じ始めた。


 ちゅっちゅっ、ぬぷっ……じゅぽっ。


 三十秒のタイマーが鳴った直後、大輝が唇を離すと、美鈴はその甘みと多幸感に完全に腰を抜かし、とろけたような表情で机に突っ伏してしまった。


「み、美鈴さん!?大丈夫か!脱水症状か!?」


 勘違いした大輝が慌てて巨大な水筒に手を伸ばす横で、教室の喧騒はさらに異様な方向へと向かいつつあった。


 +++


 その光景を離れた席から見つめていた清水沙羅理は、息が止まるようなショックを受けていた。


(大輝が、また他の女の子と……っ)


 大輝にとってはそれが「ただの医療行為」だということは痛いほどわかっている。


 だが、目の前で好きな人が見知らぬ女子と舌を絡ませ、あまつさえ相手を腰が抜けるほど蕩けさせている光景は、十六歳になったばかりの沙羅理の心を容赦なく抉った。


「おい、いつまで待たせるんだよ。早くしろよ」


 沙羅理の隣の席では、初対面の男子生徒が面倒くさそうに急かしてきた。


 彼は完全にこの行為を「作業」として割り切っており、その目には一切の感情がない。


「ほら、口開けて」


 無機質に迫ってくる男子の顔が近づいた瞬間、沙羅理の心の中で何かが決定的に弾けた。


(嫌だ……っ!好きな人以外と、こんな事務的な作業で舌を絡ませるなんて……絶対にムリだ!)


「ごめんなさい……っ!」


 沙羅理はどうしても初対面の男子とキスをすることができず、口元を両手で覆うと、ショックのあまり教室を飛び出してしまった。


「あっ、沙羅理!?」


 大輝が美鈴から手を離し、弾かれたように立ち上がる。


 彼が追いかけようとした瞬間、教壇にいた芹那が冷ややかな声で制止した。


「放っておきなさい。いずれはどうしてもしなきゃいけないの。頭を冷やしたら戻って来るわ」


 確かに芹那の言う通りだ。


 この世界では他者の唾液抗体を取り込まなければ、数日で多臓器不全に陥って死ぬ。


 逃げたところで結末は変わらない。


 だが、大輝の脳裏には、中学時代に「キスのために人が人を利用し、傷つけ合う世界」に絶望した過去のトラウマがよぎっていた。


 幼馴染の沙羅理に、そんな絶望を味わわせるわけにはいかない。


「ごめんなさい。俺、やっぱり追いかけます!」


 大輝は周囲の女子生徒に美鈴を気遣うよう頼み、芹那の制止を振り切って教室を飛び出した。




---


※口内清涼剤の効果について

購買などで販売されている口内清涼剤は、単なるエチケットとしてだけでなく、粘膜保護成分や局所殺菌成分が含まれており、消毒の役割も果たしている。

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