第4話 初回キス講習
登呂美県立潤水高等総合学園。
一年の教室は、朝から異様な熱気に包まれていた。
「やったぞー!ついに、ついにこの日が来たぞぉぉっ!」
自分の席で教科書を出していた根張大輝の背中を、親友の矢場平助がバンバンと叩いた。
ボサボサの茶髪に丸眼鏡をかけた小柄な平助は、鼻息を荒くして身を乗り出してくる。
「なんだよ平助。朝から元気だなぁ」
「元気にもなるさ!今日から俺たちは十六歳!大人の仲間入り、つまり……合法的に色々な女の子と濃厚なチューができるってことだからな!」
平助は待ちに待った今日という日に気持ちが浮ついており、ポケットから安売りの徳用口内清涼剤『メガストロング・ハッカ』を取り出してジャラジャラと鳴らした。
「俺はこの日のために、ブレスケアもバッチリ仕上げてきた!どこのどの子が俺の初めての相手になるのか……想像しただけで夜も眠れなかったぜ!」
「お前なぁ……。キスは手洗いやうがいと同じ、ただの公衆衛生上の義務だろ。医療行為なんだから、あんまり浮かれるなよ。相手の女子にも失礼だぞ」
大輝は、はしゃぐ平助にほどほどにするよう軽く注意をした。
「わかってねぇな大輝!建前はそうでも、実際は柔らかい唇と舌が絡み合う極上の快楽なんだよ!お前も今日、実際に体験すれば俺の言ってることがわかるさ!」
(確かに。今朝がた体験して、お前の言う通りだと分かった……。しかし、これは医療行為だ。握手やお辞儀と同じなんだ)
大輝は、路地裏で生徒会長の早乙女遥と交わしたキスの感触を思い出し、無意識に自分の唇に触れた。
ビターオレンジの大人びた香りと、すがりついてきた彼女の熱い吐息が、まだ脳裏に焼き付いている。
「まあ、気合い入れすぎて引かれないようにな」
「へっ、見くびるなよ。俺の極上のフェザータッチで、学園中の女子を虜にしてやるぜ」
自信満々に胸を張る平助を、大輝は呆れたような目で見た。
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チャイムが鳴り、十六歳到達時の必修科目である「初回講習・唾液型判定検査」が始まった。
教壇に立ったのは、白衣を纏った特別講師の学園保健医、如月芹那(28歳)だった。
「はい、席に着きなさい。発情期のおサルさんみたいにソワソワしないの」
妖艶なボディラインを白衣に包んだ芹那が、チョークで黒板にコンコンと音を立てる。
「今日からあなたたちは、公衆衛生法に基づく吸唾義務の対象者になるわ。十五年前のパンデミック以降、この国では十六歳以上の成人は、他者の唾液抗体を取り込まなければ数日で多臓器不全を起こして死ぬ。その理由はわかるわね?」
芹那の問いに、教室が静まり返る。
「あなたたちの体内で眠っていたウイルスが、性ホルモンの分泌で覚醒し、自己免疫を破壊するからよ。逆に言えば、四十五歳前後で更年期を迎え、性ホルモンの分泌が急減すれば、ウイルスの増殖シグナルは消失する。ウイルスが完全な死滅状態に入り、自己免疫が自律回復するからよ。それを防ぐためには、それまでの間、舌下の毛細血管から直接抗体を取り込むしかないの」
芹那はチョークを置き、生徒たちを真剣な目で見渡した。
「ただし、ウイルスは日々抗原を変異させるため、単一の相手では数日で耐性を持たれてしまう。それを防ぐには、HLA(主要組織適合遺伝子複合体)が大きく異なる『生物学的な異性』、しかも『複数人』と交差させる必要があるわ」
「同性愛や性別違和を持つ人にとっても酷な話だけど、例外はない。キスは純粋な医療行為であり、公衆衛生として割り切って受け入れなさい。そこに変な感情を持ち込まないこと。そして、相手へのエチケットとして、必ず事前の口内清涼剤を使用すること。以上、座学はここまで」
吸唾マナーについての説明が終わると、芹那がパンッと手を叩いた。
「それじゃあ、実践授業に移るわよ。隣の席の女子生徒と三十秒間のディープキスを行うカリキュラムよ。指輪デバイスのリング認証を済ませてからそれぞれ始めなさい」
その言葉に、教室中からどよめきが上がった。
大輝の隣の席では、女子生徒の美鈴が顔を真っ赤にしてうつむいていた。
同じクラスでありながら、今までほとんど話したことのない文化部の女子だ。
小柄な低身長に、折れてしまいそうなほど華奢で細身の体躯。
艶やかな黒髪が揺れるその横顔は、クラスの中でも間違いなく美少女の部類に入る端整さだった。
だが、今日の実践授業への極度の緊張のせいだろうか、透き通るような白い肌の目元には、どこか寝不足気味の微かな影が落ちている。
一方、大輝から離れた席に座る清水沙羅理は、絶望的な表情で隣の初対面の男子生徒を見ていた。
彼女の隣の男子は、面倒くさそうに首を鳴らし、完全に「作業」として割り切った無機質な目をしている。
「じゃ、三十秒。ちゃっちゃと済ませようぜ」
男子はそう言うと、ミントのタブレットを口に放り込み、沙羅理に向かって無遠慮に顔を近づけてきた。
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※キス中のマナーについて
キスボへ入る直前に、粘膜保護・殺菌成分入りの口内清涼剤を口に含むことが最低限の吸唾マナーとされている。相手に口内清涼剤を差し出す行為自体が「交換の合図」となっている。




