第3話 キスの見守り
「んぁ……っ、ちゅっ……んっ」
(あの女の人、どうしてあんなに……?)
沙羅理には知る由もなかったが、大輝の口内から溢れ出す唾液には、あらゆる抗体を劇的に定着させる未知の触媒酵素と、極上の甘みをもたらすペプチドが含まれていた。
謎の女子生徒は、その圧倒的な慈しみと多幸感に完全に骨抜きにされていたのだ。
我慢の限界に達した沙羅理は、たまらず二人に声を掛けた。
「あのっ……!大輝!もうそろそ……そ、その辺でいいんじゃない……!?」
しかし、沙羅理の悲痛な声かけは、二人の耳には全く届いていなかった。
それどころか、女子生徒の舌の動きはさらにヒートアップしていく。
(この温かくて甘い味……。私の荒れた粘膜が、嘘みたいに潤っていく……)
女子生徒の頭の中は、今までに経験したことのない快感と安心感で真っ白になっていた。
彼女は生きるために激しく舌を絡ませていたが、命の危機から救ってくれた目の前の少年の、初々しくも全てを優しく包み込むような舌使いに対し、最大限のお礼をしようと決意した。
(せめて、私の一番良い抗体を、あなたに……!)
弓道部主将である彼女が鍛え上げた、静から動への電光石火の連撃。
得意技である『クイックステップ』が発動した。
「んっ!?」
大輝は目を丸くした。
先程まですがりつくようだった彼女の舌が、突如として鋭いステップを踏むように、大輝の口腔内のツボを次々と正確に刺激し始めたのだ。
クチャ、チュルルルルッ!
大人の階段を駆け上るような年上の激しい舌技に、大輝の理性がギリギリと音を立てて揺さぶられる。
(すごい……なんだこの動き!?でも、俺は絶対に流されないぞ!これは医療行為なんだ!人助けなんだ!)
大輝は反射的に『ディープ・レスキュー』の包容力を高め、彼女の鋭い舌先を慈しむように丸ごと呑み込んだ。
「んんんっ……!?」
その瞬間、女子生徒の体がビクンと跳ねた。
自らの鋭い攻撃を全て優しく受け止められ、さらに強烈な甘みに脳を直撃された彼女は、完全に腰から砕け落ちそうになった。
ビーッ、ビーッ!
その時、大輝の指輪型デバイスが、キスボ以外の場所での長期接触を警告するアラートを鳴らした。
「はっ……!」
女子生徒がハッと我に返り、勢いよく大輝から唇を離した。
「ハァ……ハァ……っ」
「大、大丈夫ですか……?」
まだ二人の口の間には糸が引いている。
大輝が息を切らしながら尋ねると、女子生徒は乱れた黒髪をサッとかき上げ、ハーフリムの眼鏡を掛け直した。
チアノーゼで青ざめていた顔色はすっかり元に戻り、むしろ桜色に紅潮して艶やかな生気を取り戻している。
「……見苦しいところを見せてしまったわね。助けてくれて、本当にありがとう」
「あ、大輝!大丈夫!?」
沙羅理が慌てて大輝のそばに駆け寄り、女子生徒と大輝の間に割って入るように立った。
「沙羅理……ああ、俺の方は何ともない」
「もう、長すぎない?確か規定時間ってあるわよね!」
「ご、ごめん。この人がすごく苦しそうだったから、つい長く……」
女子生徒は、沙羅理の敵意のこもった視線を涼しい顔で受け流し、大輝を真っ直ぐに見つめた。
「私は早乙女遥。この学園の生徒会長よ。あなたは?」
「えっ、生徒会長!?俺は、今日から一年になった根張大輝です」
「根張大輝くん……。恩に着るわ。このお礼は、いずれ必ずさせてもらうから」
遥は優雅に一礼すると、振り返ることなく颯爽とした足取りで別れていった。
「な、なんなのよあの人……。大輝に助けてもらったのに生徒会長だからって、あんなに偉そうにしなくても……!」
沙羅理がぷくーっと頬を膨らませて怒っている横で、大輝は自分の唇にそっと触れた。
(生徒会長……。俺の初めての人……)
大輝の口内には、彼女の愛用する『ビターオレンジ』の大人びた香りが、まだ微かに残っていた。
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学園の廊下を一人歩きながら、早乙女遥は自らの左手に視線を落とした。
彼女の指輪型デバイスは、安全圏を示す鮮やかな青色に点灯している。
「それにしても、信じられないほど体が軽い。あんなに乾ききっていた喉が、嘘みたいに潤っているわ」
遥はスマートフォンを取り出し、国家抗体管理アプリ『V-CHUアプリ』を確認した。
画面に表示された自らの生体ログを見て、遥は思わず足を止めた。
「……えっ?」
そこには、あり得ない数値が記録されていた。
【免疫残量:完全回復(100%)】
【生存可能時間:向こう3ヶ月ストック】
「向こう3ヶ月……?そんな馬鹿な……」
遥は何度か画面をタップし、アプリの故障を疑った。
通常の異性との吸唾であれば、生存可能時間は長くてもせいぜい二日から三日だ。それが三ヶ月も持続するなど、医療的にも絶対にあり得ない異常値である。
「指輪のセンサーが狂ったのかしら」
遥は眉間に皺を寄せた。
しかし、彼女の身体は、アプリの数値が正しいことを証明するように、内側から凄まじい生命力で満ち溢れていた。
「……まさか、あの彼……大輝くんの方が規格外だっていうの?」
遥の脳裏に、大輝の唾液の味やにおいの記憶が鮮明に蘇ってきた。
自らの得意技である『クイックステップ』をいとも簡単に包み込み、溶かしてしまったあの圧倒的な甘み。
「根張大輝……。いったい何者なの」
遥は足早に廊下を進み、生徒会室のドアを開けた。
中には誰もいない。
彼女は中へ入ると、すぐにドアの鍵をカチャリと閉めた。
防音仕様の生徒会室に、完全な静寂が訪れる。
その瞬間。
遥のピンと伸びていた背筋が、ふにゃりと崩れた。
「はぁ……っ」
鉄の生徒会長の仮面が剥がれ落ち、遥は熱に浮かされたような顔で机に手をついた。
(だめ、思い出しただけで……体が、熱い……)
遥は自らの唇に、震える指先をそっと這わせた。
あの時、大輝から流し込まれた極上のペプチドが、まだ脳の多幸感中枢をチリチリと刺激し続けている。
大輝が口に含んでいた『メディカル・プレーン』の素の味と、彼自身の体液が混ざり合った、信じられないほど甘く優しい味。
「キスなんて……生きるための、ただの不快な作業だったのに……」
遥は、生徒会長という立場上、誰よりも規律を重んじてきた。
十六歳になってからというもの、嫌悪感を押し殺し、顔見知りの男子生徒たちと無機質な吸唾義務をこなしてきたのだ。
それがどうだ。
たった一度。
倒れかけたところを助けられただけの、あの少年のキスが。
(どうして……どうしてこんなに、私を魅了するの……?)
密室の中で、遥は眼鏡を外し、潤んだ瞳で天井を仰いだ。
「大輝、くん……」
無意識のうちに、その名前を甘い声で呟いていた。
規律正しい優等生の殻の奥底に隠されていた彼女の柔らかな本性が、大輝の未知の触媒酵素によって完全にこじ開けられてしまっていた。
(また、あの甘さを……抱擁感を味わいたい……っ)
クーデレ全開の激しい情熱が、遥の胸の奥で静かに、しかし確実に燃え上がり始めていた。
彼女はもう、次に大輝と会える機会のことしか考えられなくなっていた。
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※VーCHUアプリについて
国民全員に義務付けられている国家抗体管理アプリ「VーCHU(Vital Cellular Hygiene Utility(生体細胞衛生ユーティリティ))」。誰と、何時何分に、何秒間キスをしたかの履歴や、抗体残量が記録される。同じエリア同士で残量を共有できる機能があるため、好きな相手が他の異性と長くキスをしていた履歴を見てしまい修羅場になることもある。




