第21話 倒れたカリスマギャルを救う緊急キス
「ただいまー、翼。留守番ありがとな」
すっかり日が落ちた頃、大輝が巨大な二リットル水筒を肩から提げて帰宅した。
「お兄ちゃん、おかえりなさい!今日ね、部活の帰りにちょっと変なことがあったの」
リビングで麦茶を飲んでいた翼が、大輝を迎えるなり身を乗り出してきた。
「変なこと?また学校で誰かの緊急SOSビーコンが鳴ったとかか?」
「ううん、そうじゃなくて。学校でね、すごく強そうに見える男の人を見たんだけど……」
「男の人?誰だそれ」
「名前はよく知らないけど、なんか、周りからはすごい人みたいに言われてて、いつも女の子に囲まれてる人。でもね、私が見た時は、一人でボールを握りしめて、すごく悲しそうで……泣きそうな顔をしてたの」
「へえ……。学校で一番強そうなのに、泣きそうな顔か」
大輝は冷蔵庫からスポーツドリンクのボトルを取り出しながら、不思議そうに首を傾げた。それが自分の最大のライバルである蘭聖のことだとは、微塵も気づかずに。
「うん。私が落とした楽譜を拾ってくれたんだけど、その時も指先が震えてて。……なんだか、見ててすごく苦しそうだったの」
「なるほどな。色んな人がいるんだな」
「お兄ちゃん、あの人、どうしてあんなに悲しそうだったのかな?」
「うーん、俺にはよくわかんねえけど……。どんなに体力があってすごい奴でも、無理してたら心も体も壊れちまうからな。もしまた見かけたら、『ちゃんと休まないとダメだぞ』って、応援してやれよ」
「うん、そうだね!どんなに偉い人だって、人間だもんね」
翼はホッとしたように笑顔を取り戻し、大輝の顔を指差した。
「お兄ちゃんも、毎日毎日、学校で女の子たちに行列作られて無理してるんだから、ちゃんと休まなきゃダメだよ?昨日みたいにフラフラになって帰ってきたら、私、怒るからね!」
「お、おう。俺は大丈夫だって。善意でやる医療行為ってのは気持ちいものなんだ!水分補給さえしっかりしてれば、いくらでも救護できるさ」
「もう、お兄ちゃんはすぐそうやって『医療行為』って言葉で誤魔化すんだから!」
翼は両頬を風船のようにぷくーっと膨らませた。
(お兄ちゃんは本当に鈍感なんだから。でも、そんな優しいお兄ちゃんだから、みんな放っておけないんだろうな)
翼は呆れながらも、頼もしい兄の姿に微笑ましさを感じていた。
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翌日の昼休み。学園の渡り廊下は、いつになく騒然としていた。
「うそ、生ジュルリだ!超可愛い!」
「なんでこんなとこにいるの!?」
生徒たちの視線の先にいたのは、フォロワー二百万人を誇るカリスマギャル・インフルエンサーの乙羽樹瑠璃だった。
明るいミルクティーベージュのウェーブヘアに最新トレンドのギャルメイク、華やかなネイルアートと着崩した制服が目を引く。
彼女は常に最新型のスマートフォンと自撮り用LEDリングライトを携帯し、学園内でも圧倒的な存在感を放っていた。
だが、その日の樹瑠璃の様子は明らかにおかしかった。
過密な生配信スケジュールと連日のロケがたたり、彼女の右手薬指に嵌められた指輪型デバイスは、生存可能時間の限界であるレッドゾーン――残量五パーセントに突入し、激しいパルス警告を鳴らしていたのだ。
「ハァ……ハァ……っ。やば、マジで……息、できない……」
樹瑠璃はスマートフォンの画面を落としそうになりながら、フラフラと壁に寄りかかった。
強烈な喉の渇きと、全身の細胞が干からびていくような『渇き病』の激痛が彼女を襲う。
「ちょっと、誰か……」
周囲の生徒たちは、トップインフルエンサーの突然の異変に戸惑い、遠巻きに見ているだけで誰も近づこうとしなかった。
樹瑠璃の視界がぐらりと歪み、ついに膝の力が抜けて倒れそうになった、その時だった。
「危ない!」
偶然通りかかった根張大輝が、巨大な二リットル水筒を揺らしながら猛ダッシュで駆け寄り、咄嗟に樹瑠璃の身体を抱き留めた。
「だ、誰……?」
「残量五パーセントの重度脱水症状だと!?すぐ近くのキスボへ行かなきゃまずい!」
大輝は意識を失いかけている樹瑠璃を抱えたまま、すぐ横にあった白とミントグリーンの公衆免疫交換ブースへと飛び込んだ。
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電子施錠の音が鳴り、キスボの調光ガラスがタイマーと連動して白く曇る。
「しっかりしてください!今、俺の抗体を送りますから!」
大輝は医療用の無味無香料タブレット『メディカル・プレーン』を口に含むと、樹瑠璃の青ざめた唇に迷わず自らの唇を重ね合わせた。
「んっ……」
大輝の温かい舌が、樹瑠璃のひどく乾燥した口腔内へと滑り込む。
その瞬間、抗体が流れ込んできたことで自我を取り戻しかけた樹瑠璃の目に、ギャル特有のギラッとした光が宿った。
(何この男……!優しすぎ。でも、抗体くれるなら、遠慮なく全部もらうし!)
樹瑠璃はストリートダンスやヒップホップで鍛え抜かれた驚異的な体幹とリズム感を持っている。
表情筋と舌筋の連動性が極めて高く、激しい動きの中でも一切息が乱れない彼女は、大輝の首に腕を絡ませると、猛烈な勢いで反撃に出た。
「んんっ……!?」
大輝は目を丸くした。
樹瑠璃が仕掛けてきたのは、ダンスのブレスコントロールと強烈な口腔内陰圧を利用した、ダイナミックな吸引技『バキュームストローク』だった。
ズチュッ、チュルルルルッ!
まるで象の鼻のように、大輝の舌を包み込んで唾液を強引に吸い上げて循環させようとする小悪魔的で強烈な攻め。
並の男子なら数秒で脱水ノックアウトされるほどのすさまじい吸引力だ。
(す、すごい引力だ……!でも、彼女の粘膜はまだ荒れてる。俺がしっかり包み込んで中和してあげないと!)
大輝は持ち前の強靭な肺活量で持ちこたえながら、自らの舌を大きく広げた。
樹瑠璃の激しい吸引を真正面から受け止め、逆に彼女の口腔全体を慈しむように優しく包み込んでいく。
相手の粘膜を傷つけず、確実に唾液を送り届けるという彼の純粋な医療目的の意識が、反射的に『ディープ・レスキュー』を発動させた。




