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第18話 女医が求める濃厚キス

 学園の特別認可保健室。


 そのさらに奥に隠された、最新のDNAシーケンサーや遠心分離機が並ぶ極秘の抗体臨床ラボ。


 学園保健医であり研究員でもある如月《きさらぎ》芹那《せりな》は、モニターに映し出される複雑な塩基配列の解析結果を前に、息を呑んで立ち尽くしていた。


「……信じられない。本当に、こんなものが実在するなんて」


 芹那は、根張《ねばる》大輝《だいき》から採取した唾液の中に含まれていた未知の触媒酵素の単離に成功し、それを『カタリスト・ゼロ』と命名していた。


 DNAシーケンサーが弾き出したその分子コードの核となる構造は、現在世界に蔓延している変異型のウイルスに対するものではない。


「十五年前のパンデミック初期……世界中がパニックに陥っていたわずか数週間だけ存在し、その後は猛烈なスピードで変異して消え去ったはずの『原初株ウイルス』。それを完全中和する、幻の分子コード……!」


 芹那は白衣のポケットに両手を突っ込み、ギリッと奥歯を噛み締めた。


「どうして、パンデミック後に生まれた十六歳の少年の口の中に、そんな太古の幻の抗体が眠っているのよ……」


 あり得ない医学的矛盾。


 しかし、目の前のデータはそれが紛れもない事実であることを示している。


 モニターの青白い光に照らされる芹那の脳裏に、不意に、研修医時代の忌まわしい記憶がフラッシュバックした。


『先生……苦しい、よぉ……っ。喉が、痛い……』


『しっかりして!誰か、適合するドナーはいないの!?』


『駄目です、親族間の交差は無効ですし、彼女の相手が見つかりません……!』


『嫌だ、死にたくないっ……!誰でもいいから、キス、して……!』


 十五年前のパンデミック以降、この世界では十六歳以上の成人は他者の唾液抗体を取り込まなければ多臓器不全に至る。


 芹那が担当していた若い患者は、ちょうど周りに男子がいなかったため吸唾《きゅうだ》相手が見つからず、抗体枯渇による『渇き病(サースト)』の激痛と脱水症状に苦しみながら急逝した。


 他人の唾液を乞わなければ生きられない、キスに人の命と尊厳が縛られる狂った社会。


(私はあの時、絶対にこの病気を終わらせて、こんな理不尽な世界を壊すと誓った)


 芹那はモニターに映る『カタリスト・ゼロ』の波形に、震える指先でそっと触れた。


「大輝くん……あなたの唇の中には、世界を救う奇跡が眠っているの?」


 この謎を完全に解明し、人工培養に成功すれば、あの地獄のような日々を過去のものにできるかもしれない。


「そのためには、もっと純度の高い、新鮮な追加サンプルが必要だわ」


 芹那は妖艶な唇の端を吊り上げ、内線電話の受話器を取った。


 +++


「失礼します、如月先生。放課後に呼び出しって……」


 肩から自家製スポーツドリンクの入った巨大な二リットル水筒を提げた大輝が、ラボのドアを開けた。


「遅かったわね、大輝くん。中に入りなさい」


 芹那が手招きすると、大輝は警戒するように周囲を見回しながら足を踏み入れた。


 カチャリ。


 芹那はすぐさまラボのドアの電子錠を閉め、大輝を密室へと閉じ込めた。


「えっ!?ちょ、先生、なんで鍵なんか……」


「たった今、あなたの体質は超国家機密レベルだと判明したのよ。誰かに見られたらマズイでしょ?」


 芹那は白衣を翻しながら大輝に歩み寄り、冷やりとしたステンレス製の医療用ベッドに彼を押し座らせた。その手には、滅菌処理された密閉真空容器が握られている。


「大輝くん、単刀直入に言うわ。あなたの唾液の追加サンプルが必要なの」


「サンプルって……また綿棒で口の中を擦るんですか?」


「それじゃあ駄目なの。唾液内の触媒酵素は空気に触れるとすぐに変質してしまう。だから、最も新鮮で高濃度な状態で、直接採取しなければならないわ」


 芹那は白衣の胸元を少しはだけさせ、大人の色気を漂わせながら大輝の顔を覗き込んだ。


「……つまり、私ともう一度、濃厚なキスをしなさいってこと」


「なっ!?ま、またですか!?でも、俺の一日の十枠は、さっき他の女子たちに使ってしまって……」


「これは抗体交換によるただの人命救助じゃないわ。純粋な医学研究よ。世界のために協力しなさい」


 芹那は年上の女医として強がるように言い放つと、ポケットから高カカオ・ポリフェノール配合の口内清涼剤『ダークチョコ』を取り出し、自らの口に含んだ。


「ほら、アンタも早く準備しなさい」


「わ、わかりました……俺だって、この狂った世界を終わらせる研究には協力したいです」


 大輝はタジタジになりながらも、医療用の無味無香料タブレット『メディカル・プレーン』を口に放り込んだ。


「いくわよ」


 芹那は密閉真空容器を片手に持ち、もう片方の手で大輝の後頭部を強く引き寄せ、強引に唇を塞いだ。

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