第16話 幼馴染が他の男と交わす屈辱のキス
放課後の廊下。
大輝は、同じ学年の男子生徒を捕まえて事情を話し、沙羅理とキスボに入ってくれるよう頼み込んだ。
相手は「あ、うん。まあ、別に減るもんじゃないし」と、まるで消しゴムを貸すような気軽さで承諾した。
この世界では、それが当たり前の反応だ。
キスはただの抗体交換であり、手洗いやうがいと何ら変わらない公衆衛生上の作業なのだから。
「じゃあ、行ってくる……」
沙羅理は処刑台に向かう罪人のような顔で大輝を一度だけ振り返り、男子生徒と共にキスボの中へと足を踏み入れた。
電子施錠の無機質な音が鳴り、調光ガラスが白く曇る。
二人きりになった密室の中で、沙羅理はギュッと身を固くして目を閉じた。
作業だと割り切らなければ。
そう自分に言い聞かせた沙羅理だったが、向かい合う男子生徒の雰囲気が、外にいた時のそっけない態度から一変していることに気づいて息を呑んだ。
「じゃ、遠慮なく」
彼の目には、単なる医療行為とは思えない、剥き出しの粘着質な欲望が濁っていた。
「んっ……!」
重なった唇から、強引にぬちゃりと不快な舌がねじ込まれてくる。
ジュチュ、チュルル……ッ。
その舌使いは、純粋に抗体を交換しようとする大輝の優しさとは対極にあった。
ねっとりといやらしく、沙羅理の口内の粘膜を執拗になめ回し、彼女が嫌がる舌の根本まで無遠慮に絡めてくる。
(嫌っ、気持ち悪い……っ!やめて!)
沙羅理は反射的に突き飛ばそうとしたが、男子の強い腕に肩を押さえ込まれ、逃げ場を失う。
公衆衛生という建前を悪用し、密室という完全な死角の中で、男子は性欲を隠すことなく沙羅理を汚すようにディープキスを続けた。
グチャ、ジュププ……。
生々しく卑猥な水音が耳元で響くたび、吐き気がこみ上げてくる。
(大輝……大輝っ……!)
沙羅理は恐怖と嫌悪に耐えながら、扉の外にいるはずの大輝の笑顔を必死に思い浮かべた。
ここで拒絶してしまえば、自分を助けようとしてくれた大輝の思いを無駄にしてしまう。
彼を悲しませないためにも、今はただ、この凌辱のような三十秒が過ぎ去るのを耐え忍ぶしかなかった。
ブースの外に取り残された大輝は、腕を組んで壁に背を預けた。
(これでいいんだ。沙羅理が生き残るためには、ベースとなる交差抗体が必要不可欠なんだから)
大輝は自分にそう言い聞かせた。
何度も。
しかし、ブースのタイマーが作動し、秒数がカウントダウンされていくのを見つめていると、大輝の胸の奥底で、得体の知れない黒い感情がドロドロと渦を巻き始めた。
ドクン、ドクン。
心臓の鼓動がやけにうるさい。息が苦しい。
(なんだ、この動悸は……。脱水症状の予兆か?)
大輝は肩から提げた二リットル水筒に手を伸ばそうとしたが、喉は全く渇いていなかった。
曇りガラスの向こう側で、二つのシルエットが重なり合っている。
沙羅理が、仲良くもない同級生の男と舌を絡ませている。
彼女の口腔内に、自分以外の男の唾液が流れ込んでいる。
それは医学的に正しい行為だ。
間違っていない。
しかし――想像しただけで、視界が真っ赤に染まるような激しい嫌悪感と、腹の底から湧き上がる怒りに似た感情が全身を駆け巡った。
(嫌だ。あいつが、他の奴とキスするなんて……!)
恋愛ニブチンであり、キスのすべてを「ただの医療行為」と割り切ってきたはずの大輝は、ここで初めて、自分の中に潜む強烈な「男としての独占欲」と「嫉妬」に気がつきかけていた。
ピーッ。
永遠にも感じた三十秒の規定時間を知らせるアラートが鳴り、ブースの扉が開いた。
「ん、じゃあまた抗体が減ったらよろしくー」
男子生徒は口元を拭いながら、何事もなかったかのように去っていく。
その後ろから、沙羅理がうつむき加減でキスボから出てきた。
口元を手の甲で強く拭い、先ほどの不快な感触を必死に拭い去ろうとしている。
沙羅理は震える指でスマートフォンを取り出し、V-CHUアプリの画面を確認する。
そこには交差抗体が無事に定着し、生存可能時間がしっかりと延びたことが無機質な数字で示されていた。
生き延びるという目的は果たせた。
しかし、それと引き換えに心と尊厳がひどくすり減っていた。
「……沙羅理、大丈夫か?」
大輝が駆け寄ると、沙羅理はハッとして、先ほどの凌辱の恐怖を大輝に悟られまいと、スマートフォンの画面を隠すようにビクッと肩を震わせ、顔を背けた。
こんな酷い目に遭ったと知れば、優しくて正義感の強い大輝は自分を責め、あの男子生徒に殴りかかってしまうかもしれない。
だから、絶対に隠し通さなければならなかった。
しかし、大輝は見逃さなかった。
仲良くもない男子生徒と嫌々唇を合わせ、無事に抗体を得られたというのに、屈辱と悲しさに耐えきれず、沙羅理の目には大粒の涙が浮かんできた。
「……ごめんね、大輝。私、やっぱりこういうの、慣れないみたい……」
あくまで「慣れない」という言葉で誤魔化し、無理して笑おうとする沙羅理の頬を、一筋の涙が伝い落ちる。
その涙を見た瞬間、大輝の胸の奥がギリッと強く締め付けられた。
「大輝……?きゃっ!?」
大輝は無言のまま沙羅理の細い手首を優しく、だがしっかりと掴むと、彼女を引いて歩き出した。




