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第13話 慈愛のキス

「はぁ……はぁ……喉が、痛い……っ」


 激痛と極度の脱水症状が、一気に身体を蝕んでいく。


 麗華は助けを求めて廊下へ這い出たが、蘭聖に見捨てられた彼女に手を差し伸べる者は誰もいなかった。


「だれか……助けて……」


 麗華は廊下の片隅にあるキスボの扉にすがりつくようにして、ついに過呼吸を起こし、その場に崩れ落ちた。


 +++


「お願い……どなたか……」


 悲痛な声が、放課後の静まり返った廊下に響いた。


 ピピッ、ピピッ、ピピッ!


 けたたましい緊急SOSビーコンの音が鳴り響く。


「この音……!近くで誰かが倒れてる!」


 偶然通りかかった根張《ねばる》大輝《だいき》は、音のする方へ猛ダッシュした。


 角を曲がった先、公衆免疫交換ブース――キスボの前に、見覚えのある女子生徒が倒れ込んでいた。


 取り巻きの一人だった麗華《れいか》が、抗体が切れかけて過呼吸を起こし、胸を激しく上下させている。


「先輩!しっかりしてください!」


 大輝は床に膝をつき、倒れている麗華の肩を抱き起こした。


「あ、大輝、くん……。抗体が……息が、できない……っ」


「ひどい脱水症状とチアノーゼだ。すぐにキスボへ……!」


 大輝が麗華を抱え上げようとした、その時だった。


「人のペットに気安く触るな、ルーキー」


 氷のように冷たい声が、大輝の頭上から降ってきた。


 振り返ると、そこには腕を組んで見下ろす網野《あみの》蘭聖《らんせい》の姿があった。


「網野先輩……!どうしてここに……いや、ちょうどよかった!彼女、先輩のお知り合いですよね?早く助けてやってください!」


 大輝の必死な訴えを、蘭聖は鼻で笑った。


「断る。そいつは俺の命令に背いた。もう俺の所有物ではない。用済みのゴミだ。しかし、貴様が勝手に触ることは許さん」


 蘭聖は冷酷な声で、大輝を制止した。


「所有物……?ゴミ……!?」


 大輝は自分の耳を疑った。


「そいつの抗体が尽きて死のうが、俺の知ったことではない。だが、俺が一度唾液を与えた女に、お前のような下層の身元も分からん怪しい男が触れることは許さん。置いてここから立ち去れ」


 その言葉に、大輝の中で何かがブチッと切れた。


「ふざけるなッ!!」


 大輝の怒声が、廊下に響き渡った。


「命がかかってるんだぞ!キスは医療行為だ!人を支配するための道具じゃない!」


 大輝は蘭聖の制止を力強く振り切ると、麗華を両腕でしっかりと抱きかかえ、目の前のキスボへと滑り込んだ。


「なっ……きさま、俺に逆らう気か!」


 激昂する蘭聖の声を、分厚い防音扉が完全に遮断した。


 +++


 電子施錠の音が鳴り、ブースの調光ガラスが白く曇る。


「ハァ……ハァ……っ。ごめんなさい、大輝くん……私、あなたに酷いことをしようと……」


「喋らないで。今はとにかく、抗体を取り込むことに集中してください」


 大輝はポケットから無味無香料の『メディカル・プレーン』を取り出し、口に含んだ。


 そして、麗華の青ざめた唇に、そっと自らの唇を重ね合わせた。


「んっ……」


 大輝は慎重に舌を滑り込ませた瞬間、顔をしかめた。


(なんてこった……。口腔内の粘膜が、ボロボロに荒れてる……!)


 麗華の口内は、蘭聖の高圧的な必殺舌技『ロイヤル・ドミネーション』による日常的な擦過摩擦で、ひどく傷ついていた。


「んんっ……痛いっ……ん……ぁ……ちゅ……」


 麗華が身をよじり、大輝の胸を弱々しく叩いた。


 キスをされること自体が、今の彼女には痛みを伴う恐怖となっていたのだ。


(このままじゃ、うまく抗体を定着させられない。痛みを和らげて、優しく……修復するように包み込むことに集中するんだ!)


 大輝は、自らの舌先を大きく広げた。


 荒れ果てた麗華の粘膜を刺激しないよう、擦るのではなく、面でそっと覆うようにして触れていく。


 れろっ……ちゅっ……


 大輝の包容力に満ちた舌技『ディープ・レスキュー・ネオ』だった。


「ん……ぁ……?」


 麗華の身体の強張りが、ふっと解けた。


 大輝の舌は、まるで温かい毛布のように彼女の口内を慈しむように包み込んでいく。


 ジュプ……チュル……。


 大輝の唾液腺から分泌された未知の触媒酵素が、麗華の傷ついた粘膜の隅々にまで浸透していく。


(あ……痛くない……。それどころか、すごく……温かくて、甘くて……心地いい)


 今まで蘭聖から受けていた、上から押し潰され、無理やり従わされるような暴力的なキスとは全く違う。


 ただ純粋に相手を救いたいという、見返りを求めない圧倒的な慈愛。


 大輝の『メディカル・プレーン』の素の味と、極上のペプチドがもたらす多幸感が、麗華の脳を直接揺さぶった。



---


※要求と拒否権について

吸唾の要求は原則拒否できないが、抗体残量が八十パーセント以上ある場合(抗体飽和シールド)や、キス完了後三十分から一時間以内(インターバル拒否)、同人物からの二十四時間以内の再要求は合法的に断ることができる。ただし、相手が残量十五パーセント以下のレッドゾーンや緊急ビーコン発令中の場合は、人命救助優先のためこれらの拒否権は無効となる。

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