第一章「子供ができたの殺人事件」第一話「桜の下で、死体転がしてどないすんねん」(九)
(九)
四月一日、午後三時。
八幡署を出た俺たちは、渋滞に巻き込まれることもなく、あっさりと背割堤へ到着した。
事件発生直後、橋の上を埋めていた警察車両は、すでに駐車場へ移動している。橋の上だけを見れば、いつもの穏やかな景色に戻ったようにも見えた。
しかし、堤を少し下りた事件現場では、制服警察官や機動隊員が、今なお慌ただしく動き回っている。
水辺では、ウェットスーツ姿の隊員数人が、川底から引き上げたものをブルーシートの上へ運んでいた。
「ご苦労さんです」
俺は現場を指揮する機動隊副隊長、木内貞夫警部に声をかけた。
機動隊員らしく、服の上からでも分かるほど全身が筋肉に覆われている。身長も百八十五センチある俺をはるかに上回る大男で、ぎょろりとした目は、常に誰かを威嚇しているように見えた。
「おお、ウガンダやないか」
《その呼び名はやめろ》
木内の顔は笑っていたが、俺の心は複雑やった。
しかも今日は、そのあだ名をつけた張本人まで一緒におる。たまったもんやないで。
「山際課長から、こちらへ回れと言われまして」
《嫌々来たんですけど》
などと、機動隊の副隊長を前にして言えるはずもない。
「そうか」
木内の目は笑うことなく、相変わらずぎらぎらと輝いていた。
俺は、このおっさんみたいな脳筋が苦手やない。
ただ、下手なことを口にすれば、翌朝には本部の講堂へ呼び出される。そして、「柔道」とは名ばかりの「蹂躙」が始まるんや。
木内のおっさんだけは、いつも楽しそうに俺をぽんぽん投げ飛ばす。
『はははーっ! 男は拳で語らんかい!』
これが、このおっさんの口癖や。
いつの時代の話をしとんねん。
令和やぞ、令和。
「携帯電話が見つかったそうですね」
神楽が横から木内に尋ねた。
「うわぁ、木内さん。お久しぶりですぅ」
さらに反対側から、未央がいつもの猫なで声で挨拶する。
「おお、大月。未央ちゃんも久しぶりやな。ほれ、こっち来て見てみ」
木内は俺には決して見せない満面の笑みを浮かべ、二人をブルーシートの方へ案内した。
「こら、ウガンダ。ぼさっとすんな」
木内のおっさんも目が俺へ向けられた途端、声が二段階ほど低くなった。
男には地の底から響くような声でしか喋らんくせに、神楽や未央を相手にすると、途端に声のトーンが上がりよる。
《モテたいオーラ、全開やんけ》
脳筋は頭やのうて、筋肉でものを考える。
このおっさんもそうやけど、本部におる山際世代の先輩方は、揃いも揃って女に弱い。
ああ、そうや。
国松のおっさん(鑑識課長)たちと社会勉強へ行ったとき、木内のおっさんも一緒やったな――と、今さら思い出した。
「副隊長」
背後から声がかかった。
「何や」
「もう一台、見つかりました」
隊員が、濡れた手袋のまま透明な証拠袋を差し出した。
中には、少し古びたスマホが入っている。薄いピンク色のケースには、熊のシールが貼られていた。
見た感じ、ずいぶん子どもっぽい。
若い女の子が選びそうなやつやった。
俺は、そのスマホに言いようのない何かを感じて、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「これで八台目ですね」
神楽が、証拠袋の中のスマホを見ながら呟いた。
「むむっ、許せん。こいつら、地球の環境を何や思とんねん」
《地球の環境って……おいおい》
脳筋が地球規模の話を始めると、だいたい暑苦しくなる。
木内の相手は神楽に任せ、俺は捜索を続ける潜水隊の近くへ向かった。
背割堤は、木津川と宇治川を分ける細長い堤や。少し先では桂川も合流し、三つの流れが一つの淀川へ姿を変える。
北北西へ目を向ければ、天下分け目の天王山。その麓には、山崎の合戦や油座の歴史を抱えた大山崎の町がある。ウイスキーの銘柄で知られる『山崎』の蒸溜所も、その麓や。
京都市内とは違う。
同じ京都でも、ここには水と山と、古い戦場の匂いが染みついている。
「久しぶりやな、ウガンダ」
歴史に浸っていたところへ、いきなり例のあだ名を投げつけられた。
俺のこめかみが、ピキッと跳ねる。
「ああ? 誰に向こて……」
眉間に皺を寄せたまま振り返ると、同期の安田次郎巡査部長が立っていた。




