第四話『神楽、お前もあっち系か』(五)
(五)
翌日の午前十一時、医者に話をしに行った神楽が、慌てた表情で病室へ入ってきた。
「何度も言うようやけど、ノックぐらいしような」
「はいはい」
「ハイは一回でええねん」
「はいは……それどころではなくなりました」
《こいつ、またハイハイって言うつもりやったやろ》
傍から見れば、喧嘩になりそうな遣り取りやが、これは俺と神楽の日課みたいなもんや。俺は、優しく「どないしたんや?」と、神楽に声をかけた。
神楽が言うには、俺の退院について担当の医者に相談した際、少しの時間なら柴田修一と話ができると聞いたそうや。
条件として、医師立ち会いのもとで行う。
そして、修一が「俺」を指名してきたらしい。
横にいた神楽が心配そうな顔をして、「大丈夫ですか」と、訊いてきた。
「大丈夫や」
俺は軽く答えて、おいでおいでと神楽をそばに寄せて、耳元で「ビンビンや」と、囁いてやった。
それを聞いた神楽は、何を想像したのか真っ赤な顔をして、俺の背中を、バチンッと叩いてきた。
*
「わざわざお呼び立てして、申し訳ありません」
修一は病室のベッドに横たわっていた。腕には点滴の管がつながり、枕元のモニターが規則正しい電子音を刻んでいる。ベッド脇のスタンドに吊られた点滴袋から、透明な液が一滴ずつ落ちていた。
顔には疲れが残っていたが、久須夜ヶ岳展望台で見た時の張り詰めたものは薄れ、俺を見る目も、どこか穏やかやった。
「いえ、お加減はどうですか」
俺は、そのやつれた顔を見て、何も言葉が浮かばない。それを察した神楽が、かわりに声をかけた。
「どうでしょうか。何せ昨日まで寝ていたみたいですから」
修一は、笑った。
「先ずはこれをお返しします」
神楽が手に持っていた紙袋から、熊のぬいぐるみを取り出して、修一に渡した。
「これも返してもいいと鑑識から預かってきました」
それは、宇治川の底で眠っていた、ゆかりのスマホだった。
「これはありがたい。やっと帰って来てくれたのですね。出来ればこれも一緒に棺へ入れてほしいと、まりか君にお願いしよう」
ゆかりのスマホを手にして修一は、無理に明るく話しているようやった。
復元解析で確認されたLINEの遣り取りには、高井正弘がゆかりを背割堤に誘う文言があった。
その日付は事件の前日や。
『会って欲しい人がいるの。結婚したいと思ってる』
娘に言われた修一は戸惑いながらも、六月十二日に会う約束をして、「じゃ、ゆかりの結婚を祝して乾杯しよう」と祝杯を挙げたと、小説に書いている。
「パパ、ありがとう」
……これが、ゆかりと直接話した最後だった。
ここでは、小説に書いてあった娘・ひかりを、俺が勝手に現実のゆかりに変えて考えている。
このシーンが、事件の何日前の事かは、本人しかわからない。しかし、当のゆかりが、幸せの絶頂にあっただろうことは想像に難くない。
「小説は読んでいただけたかな? 稚拙な文章で申し訳ない」
修一が、その小説のことを俺に聞いてきた。
「いえ、とんでもない。構成、テンポも素晴らしく、一気に拝読させてもらいました」
俺は、そう答えた。
「それはありがたい」
「ただ、あれは事実ですか?」
こんなことを聞いても、返って来る答えは想像がつく。しかし、聞かずにはいられなかった。




