第五章「隠し扉の真実」第三話 家族って何や? (二)
(二)
俺は、この小説と一緒にまりかから渡されたSDカードを手に取った。
この中に何が記録されているのか、今の時点で何も言えへんけど、このSDカードが、修一を鬼へと変えた原因のような気がした。
――
第二章「生きる価値のない命」
「殺したい」
探偵事務所で、下島優子は言った。
俺の正面に座る彼女の手は、震えていた。膝には転んだような傷があった。どうやら俺が調べて教えた住所に行って、あの男、室井康太に詰め寄ったのだろう。
《馬鹿な女だ。今更あの男に何を言っても、無駄にしかならない》
俺は冷たい視線を優子に向けて「本気で言ってますか?」と、彼女に訊いた。
「はい。覚悟はできています」
その言葉はしっかりしていた。しかし、俺はわざと苦い顔をした。
彼女から目を逸らして「警察へ話をした方がいい」と突き放すように言った。
彼女は室井に騙されて、金と人生を奪われたのだから、奴に殺意を抱くのは理解するが、実際に人を殺すとなると話は別だ。標的を前に尻込みでもされたら堪った(たまった)もんじゃない。ここは、もう少しはぐらかしておいた方がいいと俺は判断した。
顔を手で覆って泣き出す優子に、俺は優しく囁いた。
「どうしても殺したいという気持ちは理解します」
優子が再び顔を上げて俺を見る。
「私の話をよく聞いてください」
そうして、あえて低く小さい声で響くように話した。
人間の心理として、大きな声よりも小さい声で話す方が、心に届きやすいからだ。彼女はまだ、人を殺せる『目』をしていなかった。
だから俺は、時間をかけて、その目を作ることにした。
まず、室井の碌でもない追加の調査資料を彼女に見せてやった。
彼女の目に必要なのは、殺意ではない。
『決意の形』だった。
俺は資料の上に、そっとナイフを置いた。
それだけで、彼女の怒りは初めて行き場を持った。
彼女はそれを手にして、何か念じるように刃先を見ていた。
あの男を殺したとして、それで彼女が救われないことは知っていた。人は希望を見せられてから、それを奪われたとき、簡単に壊れる生き物だ。
今の――俺が、そうだからだ。
優子を利用するようで申し訳なかったが、彼女がやらなくても、俺が殺すつもりでいたし、すでに段取りは終えていた。
――
《俺が天ヶ瀬ダムで見たナイフの映像は、このときのもんやったんや》
ナイフに映る川上優子の目に、怒りと悲しみが滲んでいた。
この小説内の男と、実際に話した柴田修一とのギャップは埋められなかった。この物語は、彼の遺言のようにも思えて、見届けないとあかんような気もしたのでページをめくった。
――
「結婚してくれないなら、今までのこと、全て話すから」
誰もいない堤防の隅で女の声が響いた。室井を狙って、現地の下見をしていた俺と優子は、突然現れた女と室井に驚き、草陰に隠れていた。
「舐めとんのか」と言って、室井が女を突き飛ばした。
「キャッ」と言って女が倒れた。どうやら揉めているようだった。
「ねえ、この場所覚えてる?」
女が言った言葉に、俺が代わりに反応した。
《ああ、覚えているさ。お前たちが穢した場所だ》
沸々と怒りが俺の胸に湧いてくる。そして、お前のようなクズは生きる資格などないと、何か喚いている標的を睨みながら思った。
「晴子」
そこで初めて、立ち去ろうとしていた女の名前が分かった。
「何?」
「すまん、晴子。俺が悪かったで」
室井が晴子という女に、謝ったように聞こえた。どうやら、彼女はその言葉を信じたようだ。だが、それも束の間で、室井は女の首を絞めた。
晴子の手が、逃れようと必死で男の腕を掴む。
けど、その力は長くは続かなかった。やがて指先から順にほどけて、だらりと落ちた。
室井は、意識を失った春子の身体を体を引きずり、茂みに隠した。
そして、何かを拾って、反対側の川に投げ捨てた。
ポチャン、という音がした。
俺は優子を見た。彼女は口に手を当てて震えていた。人殺しの現場を見る機会などめったにないのだ。無理はない。
「またの機会にしようか?」
俺が言った言葉は、彼女に中止を促すという意味ではない。このように言うことで、逆に決意を固めさせた。
「いえ、やります」
もう彼女の目に迷いはなかった。時間を見た。俺と優子は室井の後を追った。夫婦がランニングをしているふりをした。
室井のいる位置を確認しながら、優子を隠すように後ろに従え、奴からの死角を作った。
車止めに腰掛けて、のんびりたばこを吸っているターゲットに近づくと、俺は、「こんばんは」と声をかけた。
「ああ、どうも」
俺に気を向けた瞬間、優子が室井に体当たりをした。




