第五章「隠し扉の真実」第三話 家族って何や? (一)
(一)
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「元気な女の子ですよ。お父さん、抱っこしてあげてください」
小太りの看護師さんが、生まれたばかりの娘を抱いて、側にいることしか出来ない俺に向かって言った。平成十年五月二十五日、このとき三十七歳。
何も分からない俺に看護師さんは「そう、腕で首を支えて……」と、丁寧に抱き方を教えてくれた。
普段、動じることのなかった俺が、子供を抱くということで狼狽している。このときの俺を、今の自分が見れば、大層滑稽だったに違いない。
昭和三十六年五月六日、俺は神戸市長田区で生まれた。父親は、会社の設備投資の失敗による倒産で、多額の借金を抱えた。毎日酒を飲んでは暴れて、俺が五歳の時に、失踪してしまう。
その後、母方の親戚に預けられるが、七歳の時、母親も男を作って消えた。折り合いの悪かった親戚の家から追い出される格好で、児童養護施設へと入った。ただ周囲になじめず、喧嘩ばかりしていた気がする。十五歳ぐらいまでは、施設で知り合った友達と暴れ回っていた。
そんな俺が、一人の小さな子供を抱いている。俺の手の中で、壊れそうな……そういう不思議な感覚だった。
ひかりが二歳のとき、妻・友恵が平成十二年六月七日に乳がんのため一年間の闘病の末に、三十六歳でこの世を去った。
大切な人を亡くすということがこんなにも辛いことなんだと、悲しみにくれた。
俺は、昭和五十五年に京都大学法学部へ入学し、在学三年時、旧司法試験に合格。卒業後、司法修習を経て弁護士登録。医療事件を扱う事務所でいそ弁となる。
二十五歳で法律事務所を開業した。
その当時から付き合っていた友恵が二十七歳の時、俺は三十歳で結婚して、七年後にひかりが生まれた。
仕事も家庭も全てが順調だった。
それなのに俺はまた家族を失った……。
両親の愛情を知らない俺に、家族の大切さを教えてくれた妻。仕事と家庭を支えてくれていた、大切な女房を亡くしてしまった。神様というものは、常に俺から何かを奪う存在なんだろうかとさえ考えた。
しかし、その悲しみが癒えないとしても、ひかりとの暮らしは待ってはくれない。
まだ二歳のひかりは母親の死を理解はできなかっただろうに、母親のことを口にすることは、あまりなかった。だが、妻を失った悲しみはひかるとの生活で和らいでいた。
当時、医療関係の弁護を主にしていた俺は、ひかりとの生活を第一に考えて、医療訴訟のような重い案件からは距離を置き、個人の民事案件を中心に仕事を絞った。
妻が入院してから毎朝、ひかりの髪を結んでやった。
「パパ、痛いよ」と、ひかりに叱られながらも一生懸命、髪を束ねた。
一年以上経っても、友恵のように、ひかりの髪一つ結んでやることが出来ない。このとき、自分は不器用だと気づいた。
それから俺は、料理もするようになる。
かなりの料理下手だった俺も、カレーと卵焼きだけはやたら上達した。成長したひかりの弁当はいつも「唐揚げ」や「とんかつ」などの揚げ物ばかりだった。この辺はやはり友恵には勝てない。野菜など、ひかりの食生活を考えはするが、まだ若かった俺は、肉や揚げ物が中心になってしまっていた。
彼女は一言も文句を言わなかった。いつも「おいしかった」や「ありがとう」という言葉を書いたメモを、空の弁当箱と一緒に入れてくれた。
俺は嬉しくて、泣きながら弁当箱を洗っていた。
娘が小さい頃に話は戻るが、ひかりが風邪を引いたとき、気が動転して救急車を呼んでしまった。救急隊員の方にやんわり注意されたが「何かあったら弁護料安くしますから」と言って許して貰った。
光との思い出は、必死だっただけに、話せばきりがない。
人一人を育てることの難しさを、しみじみ考えさせられる。しかし、ひかりの可愛い寝顔を見ていると、日々の疲れなど取るに足らないものであった。
何もかもが初めてで戸惑いながらも、二人で笑って生きてきた。これからも長く続くと思っていた。
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《友恵が知子で、ひかりがゆかり……か》
「二人で笑って」という言葉が、重くのしかかってきた。
こうして第一章が終わった。
『ありがとうございました』
四年前、ゆかりの遺体を引き取りに来たとき、柴田修一はそれだけ言った。
あのときの打ちひしがれた修一の背中を今も俺は覚えている。
再婚もせず、ゆかりの成長だけを楽しみにしていたんやろうな。いつか結婚して、そして孫を抱いて……。
『これからも長く続くと思っていた』
《この文章は、ごく当たり前の父親の気持ちなんやろうな。誰も自分の子供が殺されるなんて、普通は想像もせえへんし、考えもせん》
髙井正弘、室田康太、大迫真司、山根あかり――。
こいつらに、至極あたりまえの夢を、修一は無残に奪われたんや。仏の顔が「鬼」に変わっても不思議やない。




