第五章「隠し扉の真実」第二話 奇跡?……そんなもんはまやかしや(七)
(七)
再び静けさを取り戻した部屋で、彼女から受け取った投稿前の原稿のコピーを袋から取り出した。
それは小説やった。短編か中編ぐらいの厚さで、ワープロソフトで書かれていた。
『隠し扉の真実』――。
というタイトルが書いてあった。著者名は『鬼童子』と書いてある。
『余命を聞かされたあと、何か残したいと考えましてね。僭越ながら、私の人生を綴った小説を書いています。まあ、無名の個人が書くわけですから、誰も興味ないでしょうが』
展望台での、修一の言葉が脳裏を過った。
『余命を宣告された男が、娘を殺した人間たちに、復讐をするというミステリー小説です。物語の中でなら、誰を……何人殺しても、罪には問われないですから』
今まで、こんな嫌な気持ちで小説を読んだことなんかないからな。
《明日、神楽が来たら、あいつに読んで貰うか……》
『……これを「あなた」に渡してほしいと……』
と言った、まりかの言葉を思い浮かべた。
俺は、重い気持ちで表紙を捲った。プロローグはなく、第一章から始まっている。
――
第一章「笑ってみろ」
(一)
俺は何のためらいもなく、花束を川へ投げた。
ビシャンと、水の音がした。
白と薄桃の混じった、どこにでもありそうな花だった。花束は水面に落ちて、小さく揺れた。すぐに流されるでもなく、その場で頼りなく回っていた。
その様子を、俺は黙ったまま見下ろしていた。
早朝の桂川は、明日から五月とはいえ、水はまだ冷たい。四月の初めに、まだ四分咲きだった桜は、川沿いを桃色に染め上げ、散っていった。今は葉桜となり、その緑をうっすら川面に溶かしている。
「……もう戻れん」
いや、戻る必要もない。
「そうだ……俺のすべては、あの日で終わってる」
誰に言うでもなく呟いて、自分の両手を見つめた。
もう、夜が明ける。東の空が白んできていた。
《フッ。夜明け……人の気も知らないで悠長なものだ》
そうだ。俺の目の前に見える景色は、あの日から真っ暗闇だった。食べたものの味も感じない。
俺はもう一度、人を殺した自分の手を見た。
あの女の首を絞めた感触が、まだ手の内に残っている。
葉擦れの音がした。俺は少し驚いて、音がした方へ顔を向けた。だが、人影はない。風に押されて、投げたばかりの花束が岸へ寄り、枝に引っかかって揺れていただけだった。白と薄桃の花弁が、水を吸って重たそうに垂れている。
背割堤は、夜になると驚くほど静かで、風に揺れる草の小さな音でも拾えそうだった。傍にかかっている御幸橋の上を時折、車が通過していく。
「……殺したかもしれない」
相田雄三が、俺の携帯に連絡を入れてきた。
「分かった。手はず通りのルートで帰りなさい」
と俺は、奴に指示をした。
すでにこの辺りの「防犯カメラ」の位置も確認してある。
《うまくいった》
と思ったが、生来の貧乏性という悪い癖で、ことの成就を見届けないと安心は出来ないので、犯行現場へ直接行って確認することにした。
現場に着くと、茂みの向こうで、衣擦れの音がした。
音がした方へ顔を向けると、あの女が服を整えようとしていた。髪は乱れ、上着もずれている。頭を押さえる手つきもおぼつかない。聞くまでもなく、この女の身に何があった直後かが、判る姿だった。
「下衆が――」
俺は奴を軽蔑した。己の欲を優先したために、あの女の身体に証拠を残すことになる。もう一度、計画を練り直さなければならないことに怒りを感じた。
「……大丈夫ですか」
俺が声をかけると女は一瞬、怯えた表情を見せた。
「だ、大丈夫です」
そう答えたものの、立ち上がろうとして小さく呻き、その場に膝をついた。
「警察を呼びましょうか?」
そう言いながら、俺は女を見ずに、辺りに人の姿がないかを探っていた。
そして、確認を終えると、再び女に目を向けた。
首には、細い紐のようなものがまだ巻きついていた。女はそれに気づいていないらしく、先端だけが背中に垂れている。
「いえ、本当に……大丈夫なので……」
息も途切れ途切れだった。
俺は女のそばへしゃがみこんだ。
「そうですか」
穏やかな声でそう言いながら、俺は垂れた紐の先を掴む。
そして、力任せに引いた。
女は、突然の事に言葉を出せず呻いていた。
俺は草陰に女を引きずり込んで、なおも力を込めた。
「どうだ、笑ってみろ。あのときのお前のように」
と、苦しむ女に言った。




