第五章「隠し扉の真実」第二話 奇跡?……そんなもんはまやかしや(六)
(六)
面会時間が終わった病室は、やたら静かやった。
テレビを見る気もなく、出された病院食を、旅館で食べる筈やった刺身やステーキと思いながら食べた。
……しかし、おかずのカボチャが若狭牛になることはなかった。俺は自身の不運を嘆いた。
《あれや。神楽が展望台へ行きたいと言わんかったら、このカボチャは特上肉やったんや。いや……俺はすでに、退院出来るまで回復してる筈や。……あの医者や。ちょっと朝飯食いそびれたいうて、意地悪も大概にせぇよ》
誰にも届かない虚しい愚痴を、俺は一人、若狭の病院で呟いていた。
その時、コンコンとノックがした。《看護師さんかな》と思いドアの方を見た。
「どうぞ」と、俺は返事をした。
ゆっくりと扉が開いて、織田まりかが「こんばんは」と言って、入ってきた。
「やあ、まりかさん。先日、うちの大月がしょうもないこと言うて、申し訳ございませんでした」
ここは、警部補としてまりかに頭を下げた。
「そんな。やめてください。私の方こそ泣いてしまってごめんなさい」
「柴田さんの付き添いでこの病院へ?」
修一は依然、意識不明の状態なので、まりかが関係者として、病院に泊まり込みで付き添っていると、神楽から聞いていた。
「はい。それで刑事さんから宇賀田さんも入院されていると聞いたので……」
まりかは、目を伏せた。コツ、コツと、まりかは俺のベッド脇まで来て、椅子に座った。
夜の病室は、やたら音が響く。
「これを、お渡ししたくて」
と言って、書類の入った袋とSDカードを、俺に渡した。
「なんで、俺に?」
「釣りに出かけられる際、所長が言っておられました。もし、自分が倒れたら、これを『あなた』に渡してほしいと」
「……これは?」
「所長が、彼なら僕達の心を理解してくれる筈だよ。……そして君を託しても安心だよって……」
意味深な言葉と共に、まりかは俺に抱きついてきた。そして俺を見つめてキスをした。
《えっ。どういう展開?これって完璧に俺のこと、好きやんな》
理性と本能がパニックになった。
激しくなる鼓動。俺の中の本能が『お前、この気持ちに応えな男やないで』と、関西弁で俺を煽ってきた。
『やめるんだぁ! 神楽のことを考えるんだぁ』
と、俺の中の理性が標準語で止めに入った。
『据え膳食わねば武士の恥』
という諺を思い出して、本能の意見を採用した。
目を閉じて俺に抱きついているまりかを、漫画のように歯をキラッと光らせて抱きしめた。
《俺も罪な男や。すまんな、彼女の視聴者さん達》
動画の中の彼女を愛するすべての男達に詫びた。
一旦、唇が離れて、お互いに見つめ合った。
そして二人は再び強く抱き合った。
再び抱き合った拍子に、まりかのしていた男物のネックレスが俺の首筋に当たった。
ズンッと鈍い痛みが走った。
……「姉ちゃん」
という声が聞こえた。織田祐輔……?
母親らしき人物が内職をしている。その手はひび割れていた……。
その手を見た瞬間、景色全体が、悲しみに染まったような色をしていた。
「はい、これ……誕生日……ゼント……」
声が途切れていたが、プレゼントと聞こえた。
大学生くらいの、まりか……?
彼女は笑っていた。
……うっすらと開いた目に、茶色い水……?
河川敷……。背割堤……に祐輔が立っている……。
こちらに振り向きざまに、『ありがとう……姉……ん』
……姉ちゃん。
気がつくと、まりかは俺の胸に顔を埋めていた。
彼女の肩が震えている……。
《泣いているのか?》
何か悪いことでもしたのかと、俺は悩んだ。
《いや待て……順序は間違ってないよな。なんであれが見えたんや?》
まりかの方から、誘惑してきた……よなぁ。……で、なんで泣いてるん?
少なくとも、この時点で、俺の理解力を超えていた。
「ごめんなさい」
まりかが涙を拭いて、立ち上がり、俺から離れた。そして、俺から目をそらして扉の方へ歩いていく。
ドアノブに手をかけた彼女の動きが、一瞬止まった。しばらくして、まりかは顔を上げて振り返り、俺をじっと見つめた。
「……ありがとうございます」
と言って、病室を出て行った。
「……何やったんや? 今のは……」
俺は、お預けを食らった感じになった。
《そうや。これは夢や。夢や言う事で神楽には黙っておこう》
そや。夢やったんやと思い直そうとした時、お腹に手を当てて幸せそうな神楽の顔を思い出した。
《そうやった……》
一瞬、俺は神楽に対して後ろめたい……気持ちになどなるわけあらへんねん。
《前回、伏見署に行くときの「来る」「来ない」は、信号を通る度、口に出して呟いとったせいで負けたけどな、ちゃんとここへ来るときにも「信号占い」をやっとんねん。今度は「来る」や。これで、五分に戻したで》
俺は、そう言い聞かせて忘れることにした。
なんちゅうか、子供が出来たとして、俺の生活は変わることがないような気すんねん。言うて宇賀田家は大家族や。神楽はそこに自然とおる。迷惑この上ないけど……。
初婆は、毎日『あんたの子供抱かせてやぁ。それまでは死なへんでぇ』宣言しとるしな。
姉ちゃんは、出戻りのくせして、当然のように実家に蜘蛛の巣を張り巡らせとる。
しかし、アレを見たのに、俺は意識を失うことなく持ちこたえた。これは進化や!
ようやく俺の中に、家の魑魅魍魎共に立ち向かえる力が、覚醒したんや。
《呪いに勝ったんや》
俺は一人、病室でガッツポーズを決めた。




