第二話 奇跡?……そんなもんはまやかしや(四)
(四)
夢の中で、知らない女がニコッと笑って俺の手を握った。手がめっちゃしびれて動かせないので、その手を振りほどこうと必死にもがいた。最初はにこやかにしていた女の表情が、見る見る鬼の顔に変わっていく。俺は、泣きそうになったところで目が覚めた。
神楽がベッドの脇で眠っていた。頬には涙の跡がある。
《泣いてたんか?》
神楽は、俺の手を両手で強く握りしめていた。
……指先の色が、変わっていた。
《あの鬼の正体はお前やったんや》
と、俺の中に、沸々と怒りが湧いてきた。
そやけど頭が痛くて起き上がれない。
とにかくその手ぇを離せと、もぞもぞやっていたので、神楽が起きてしまった。
「桔平ちゃん……」
俺を見るなり、その大きな目に涙をためて抱きついてきた。
「苦しい……離せ……」
あまりの締め付けに息ができなくなる。そうや……思い出したで。こいつはいつもこうやって俺の人生を締め上げとったことを思い出した。
「何やねん、いきなり」
いつものように俺が文句を言うと神楽は「帰ってきてくれて……ありがとう」と涙を拭いながら、変な事を言いよった。
《何のこっちゃ? 帰るも何も、ずっと病院で寝とっただけやろ》
「課長に報告してきます」と言いながら、神楽はナースコールで俺の意識が戻ったということを、看護師に伝え、医師を呼んで診てもらった。
「ちっ」
と、俺の様子を診察しにきた医師の「心の」声が聞こえた。
《多分朝飯の時間やったんやろう》と、俺は広い心で推察した。
医者が言うには、俺は一週間も昏睡状態やったらしく、しかも一時は心肺停止状態になったらしい。
つまりや。『一瞬』俺は死んだことになる。それを神楽が、俺の手ぇが痺れるほどの強い力で握りしめて、無理矢理俺を、現実の世界に呼び戻したっちゅう事になる。
《何してくれとんねん、お前は……。婆と同じあっち側の人間か!》
医者の話を、俺の服の袖を摘まみながら訊いている神楽を見て、俺は『迷惑なやっちゃ』と真剣に思った。
「柴田修一は?」
と訊くと、神楽が答えてくれた。
病院へ搬送された修一は緊急処置を受けた。しかし、癌は肝臓や肺にまで転移していて、手の施しようがなく、もはや痛みを薬で抑える手段しかないそうやった。そして、未だに意識が戻っていないそうや。
*
午前十時過ぎ、付き添いの神楽に「肉、喰いたい』とわがままを言うていたときに、ノックもせず、山際万作・京都府警捜査一課長がやってきた。
「よお、生き返ったらしいのお。ほんま、お前は頼もしいやっちゃ」
というおっさんの顔は赤く、どう見ても二日酔いやった。どうやら三日前に俺の状態が一度、悪化したとの報告を受けて、鑑識課長の国松雄三郎や、安田、浜田に至っては家族を伴って、こちらへ来たらしい。しかも同じ旅館に泊まっていると神楽から聞いた。
そして一行は神楽から、俺が旅館の料理を楽しみにしていた事を知った。
『あいつが楽しみにしていた料理や温泉を、わしらが代わりに温泉に浸かって、あいつが楽しみにしていた料理を喰って、酒を呑むことがあいつへの供養になるんや』
という国松のおっさんの一言を受けて、スキンヘッドが「そうすね……」と同調したことから、三日前から、俺が泊まっていた旅館で、どんちゃん騒ぎをしていたらしい。
みんな俺のことが心配すぎて飲み過ぎたんやと、山際のおっさんは言うとった。
ちなみに国松のおっさんは、昨夜から飲みすぎて、まだ寝ている。しかも、三日前に一度、数分だけ病室へ顔を出したきり、神楽への電話で済ましとった事も神楽から聞いた。
《へぇ~そうなんや。そんなに俺のことを思って……て、なるわけないやろ!》
当然、こいつらも小説で、殺すリストへ加えた。そして、俺はある重大な事実に辿り着いた。
《まだ俺は、旅館の飯を食ってへん――》
それは俺にとって、死にかけた事より重大なことやった。楽しみにしていた料理を、何一つ味わっていない。俺は予約した最初から「捜査が長引くかもしれん」という理由を作って、部屋を一週間(その後伸ばす予定やった)押さえていたんや。
その部屋すら泊まれてへん。
《今から過去の一週間分のキャンセル利くんやろうか?》
俺は己の不徳を、深く恥じた。




