第二話 奇跡?……そんなもんはまやかしや(二)
(二)
「ここは、妻が生きていた頃に三人で来ていた場所です。妻が亡くなってからは、ゆかりと毎年来ていました」
修一は、鞄からピンクのぬいぐるみを取り出して、抱えるようにして、それを海側に向けた。俺は、静かに修一の横へ立って、同じように海を見た。
「昨日が妻、知子の命日で、毎年、この時期にゆかりとここに来ていました。そして、今日がゆかりの命日なんです。それからは一人で、小さな位牌と、この熊のぬいぐるみを持って、ここへ来ています」
修一は家族の面影を思いながら、静かに話した。
俺は、いつも金魚の糞のように、横にいる神楽を見た。
この二ヶ月あまり、「子供」というワードに散々振り回されてきたせいか、さすがにジーンときてしまった。
そのせいか、安田のように子供にも恵まれて、家族で幸せに暮らしている側と、この前ようやく意識を取り戻した大野晴子や、山根あかりのように、子供を身籠りながら、その幸せに辿り着けなかった側――その両方を、俺は立て続けに見てしもた。
そして今、目の前にいる柴田修一は、一度は妻と娘に囲まれ、その幸せを手にしていた。それを一つずつ失って、いまは小さな位牌と熊のぬいぐるみだけを抱えて、家族三人で見ていた海を眺めている。
《家族か……》
俺はもう一度、神楽を見た。こいつも俺を見ながら、下腹を押さえながら難しい顔をしていた。
《こら、今そのジェスチャーは、やめんかい!》
俺は自分の気持ちを誤魔化すように、五十八に目をやった。
奴は離れた場所へ煙草を吸いに行くと指で合図をする。三歳と一歳の子を持つ親としては、思うところがあるんやなと思い、頷いた。神楽も『妊娠してるでぇ』と言わんばかりのポーズを取りながら、目を閉じていた。
《その手ぇは、いらんねん》
「……刑事さん、子供は?」
重い空気を察してか、修一が声をかけてきた。
「いえ、結婚もまだです」
「そうですか。子供はいいですよ。知子と一緒になって、苦しいながらもお互い頑張ってきたと思います。そして、生まれてきたゆかりを抱いた時、私は家族の温もりを感じました」
神楽が、何故か修一の話に頷いていた。俺の周囲に『責任取りやぁ』という、暗雲が立ちこめだしていた。
「知子がまだ元気だった頃、私は仕事が忙しくて、いつも帰りが遅かったんです。ですから、ゆかりと話をする機会も限られていました。知子には申し訳なかったんですが、家に帰ると毎日、ゆかりの寝顔を見に寝室へ行っていました。眠っているゆかりに『今日は何をして遊んだ?』なんて話しかけるだけで、不思議と一日の疲れが癒やされたものです」
《そういえば、安田も、鍋を囲みながら、子供の将来を考えて泣いていたな》
これが俺の子供やったら……その答えにはたどり着けなかった。
「お気持ちは痛いほど理解します。でも我々は、職務として訊かないといかない。あなたほどの経歴があって、何で……」
「医者から余命三ヶ月と言われました……膵臓がんだそうです。ゆかりがいなくなってから、毎日酒を浴びるように飲んでいたのが、よくなかったのかもしれませんね」
修一はふっと寂しそうな笑みを浮かべて、眼下の日本海を見ながら言った。
その言葉を聞いて、俺は以前、修一の事務所で事情を訊いたときのことを思い出した。
神楽が、ふと口にした言葉や。
『ところで、病院へは行かれましたか?』
《こんなとき、なんて返せばええんや……。何も思い浮かばん》
「人間って不思議な生き物ですね。もうすぐ死ぬとなったら、それまで心の内に留めていた扉が開いて、生の感情があふれ出てきました」
「お気持ちは理解出来ます……しかし」
余命を知って抑えていた感情が噴き出す、その心情は分かるという意味で……や。修一が犯人という確証は現時点で掴めていない。ましてや、自分の命が、あと僅かやなんて、経験したもんにしか、わからん事やろう。
俺は言葉を選びながら話を進めていた。
「人を殺してはいけない……ですか? まりか君から話は聞きました。彼女にも同じ質問をしたみたいですね」
修一は、相変わらず海から目を離さない。
『祐輔は喜ばない? ですか。どうして死んだ人間の気持ちがわかるんですか? 教えてください。あなたにとって大事な人が、暴力によって急にいなくなってしまったとき、同じことが言えますか?』
まりかは、目にいっぱいの涙を浮かべながら、語気を荒めて神楽に訴えていた。さすがの神楽も言葉を返せなかった。
『所長も同じことを言うと思います。もし喜ばないとしたら、会わせてください。祐輔やゆかりさんに……声を……聞かせてください』
その時の光景は、俺の目にも焼き付いていた。




