第四章『開かれた扉』第二話 煙草ぐらい自分で買おな (九)
(九)
「すみません。話を戻しますね」
神楽はそう言うと手帳をめくって「当時、弟さんは、お酒を飲まれていたそうですが」とまりかに訊ねた。
「いえ、それはあり得ないんです」
まりかはすぐに否定した。
「体質的にお酒を一滴も飲めないんです」
その言葉に驚いた。捜査会議で、織田祐輔の名前が挙がったとき、極度の酩酊状態で謝って川に転落した可能性があると聞いていた。
「それに、あの日は祐輔にはしっかりとした目的がありました」
まりかはしっかりと顔を上げ、俺らを見ていた。
――ええ目や。
まりかは、自分のスマホを操作して、前に置いた。
「これが、祐輔と最後の会話です」
「失礼します」
と言って、神楽が手に取った。
『姉ちゃん』
五年前の六月二十日・午前十時二十分。
普通にそえられているはずの日付と時間が妙に生々しく見えた。
『何?どうしたの』
『今から金を取りに行く』
『やめときなよ。警察へ行った方がいいって』
『亜里砂の居場所も突き止めたし、大丈夫だよ』
八幡のマンションのことやな。
《けど、どうやって調べたんやろ?》
俺の脳裏に柴田修一の顔が浮かんできた。
警察で調べたところ、柴田修一が京都の現住所で弁護士事務所を立ち上げたのは、彼が三十五歳の平成八年の七月や。その六年後の平成十四年に探偵事務所を立ち上げているので、繋がりがあったとしてもおかしくない。
『亜里砂も観念したのか、金を返すから八幡の背割堤まで来てって連絡があった』
『何かおかしくない?』
『何が?』
『今まで逃げていた女がいきなり返すって、何か魂胆がありそうで怖いよ』
結果だけ見ると、まりかの不安が的中したことになる。
『大丈夫。お金を受け取ったら連絡するよ』
『分かった。くれぐれも気をつけてね』
このまりかの言葉に、「ありがとう」の絵文字が返ってきていた。
これが、姉弟の最後の会話やった。……言葉やなく、単に絵文字だけが妙に堪えた。
「辛い話を思い出させるような話を質問して、すみません」
スマホをまりかに返した神楽が、素直に詫びた。
まりかはその謝罪には答えず「あの、刑事さんは、祐輔の件、事故と事件、どちらだと思ってらっしゃいますか」という、質問を俺たちにしてきた。
「なんとも言えませんが」と、神楽が前置きして「これは結婚詐欺に関連して起きた『事件』です」と、まりかの目を真っ直ぐ見て言い切った。
《そうや。これは事件や》
合田も、同じような目に遭うとる。たまたま意識があったので助かったんやけど、暴行の痕跡がそれを示しとる。その現場を山根あかりが、笑いながら……
《そうや……動画?……撮影……》
「でも、その恨みというか復讐は看過できないです。そんなことをしても、祐輔さんは……」
俺の中に、何かが浮かんできそうな時に神楽が話し出した。
「祐輔は喜ばない? ですか。どうして死んだ人間の気持ちがわかるんですか? 教えてください。あなたにとって大事な人が、暴力によって急にいなくなってしまったとき、同じことが言えますか?」
「それは……」
まりかは、目に一杯の涙を浮かべながら、語気を荒めて神楽に聞いてきた。ただ、否定も肯定もしていない。その言葉尻が俺には「自白」しているように聞こえた。
「所長も同じことを言うと思います。もし喜ばないとしたら、会わせてください。祐輔やゆかりさんに……声を……聞かせてください」
そこまで言うとまりかは、顔を手で覆って泣き出した。俺は、その姿を見て何も言えなくなった。よく見ると神楽の手も心なしか震えていた。
未央は――。
《何でお前が泣いとんねん。仕事せぇや》
そういうオーラとは別に、俺は優しく、駅前で貰った「パチンコ屋」のティッシュを渡してやった。




