第一章「子供ができたの殺人事件」第一話「桜の下で、死体転がしてどないすんねん」(六)
(六)
帳場も整い、最初の捜査会議が行われた。
広いとは言えない会議室に、大勢の脳筋……いや、刑事達が集まっている。机の配置は、鑑識、分析、地取りといった班ごとに島を作る形で並べられていた。
『えーっ、私ぃ、本日ぅ……』
冒頭、本部長である八幡署長・下延昭夫のお爺が挨拶をした。署長室の前で、ノックする直前に聞こえたあの声の内容と同じやった。
《あれはやっぱり、挨拶の練習やったんやな》
そう思うと、思わず笑てしもた。
横の神楽が「笑うな」と、足で蹴る。
下延のお爺は挨拶を終えると、「どやっ」と言わんばかりの顔で、鼻高々に席へ戻った。
やり切ったという顔やった。
殺人事件の特別捜査本部の冒頭挨拶で、そこまで達成感を出せる人間を、俺は初めて見た。
その後、久永睦夫管理官(四十八歳・警視)が、事件の概要や目撃者の証言など、所轄で集めた証拠などの説明をした。
ホワイトボードには、被害者、大野晴子の名前の横に、氏名不詳と書かれた男が書き出されていた。
山際万作捜査一課長が、居並ぶ刑事たちを見回して口を開いた。
「この事案は、そのあたりの事情も鑑み、ご遺族の為、慎重に且つ、早期解決に向けて着実に動いてほしい」と言った。
大勢を前にすると、このおっさんはちょっと芝居がかる。特に最近は、動画配信サイトなどで毎日のように昔の刑事ドラマが流れている。おっさんもそれに嵌まっているらしいと耳にした。
《おっさん、刑事ドラマの見過ぎやろ》
と俺は、難しい顔を作って、いかにも「聞いてます」風を装い、内心はドラマのタイトルを考えていた。
見当たらない二台の携帯電話については、すでに捜索が始まっていた。
山際のおっさんが、帳場の立ち上がりを待たず、宇治川と木津川へ機動隊の潜水隊を出すよう要請していたからや。
春とはいえ、川の水はまだ冷たいやろう。
こういう仕事ばかりは、ほんまに頭が下がる思いやで。
捜査会議は、二時間を超えた。
現場の状況、遺留品、第一発見者の証言。倒れていた女と、氏名不詳の男との関係。それぞれの班が、それぞれの方向から意見を出し合った。
だが、結局のところ、現段階では何も見えてこない。
そして、最後に行き着く答えは一つやった。
「足や。最後は、どんだけ歩き回ったかや」
まあ、言葉にすれば、めっちゃ立派やな。
要するに、怪しい部分を気合いで一つずつ潰していくという、脳筋独特の根性論で話はまとまった。
《暑苦しいねん、お前ら》
心の中で突っ込んだところで、誰にも届かへん。
*
会議終了後、俺は至福のひとときをオアシス――喫煙所――で過ごそうと、署の屋上へ駆け上がった。
そこへ神楽が、資料に目を落としたまま、金魚のふんのようについてくる。
「大野晴子は、いまだに意識不明です」
スマホの画面から目を離さず、神楽が話し始めた。
「ただ、峠は越えたとの連絡が入っています」
春先の強い風に邪魔され、なかなか煙草に火がつかへん。
俺はライターを両手で囲いながら、「それは何よりや」と返した。
ようやく火がつき、煙をゆっくりと吸い込む。
ああ、幸せやぁ――と、しみじみ噛み締めていたとき、署の向かいにある病院へ、ちょうど一台の救急車が入っていくのが見えた。
「あの病院におるんか?」
被害者の大野晴子が搬送された病院を訊く。
「はい」
短く答えた神楽が、わずかに目を伏せた。
「お腹の子は、助かりませんでしたが……」
その言葉に、俺は煙を吐くことさえ忘れた。
「お腹の子は、助かりませんでしたが……」
その言葉に、俺は煙を吐くことさえ忘れた。
《マル害、妊娠しとったんか》
大野晴子は、流産したという。
――ということはや。
今回の事件での死者は、刺された男一人やと俺は思っとった。
けど、この事件では、まだ誰にも姿を見せてへん小さな命まで失われとる。
「……マジできついな」
「本当に」
神楽も、珍しく沈んだ顔をしていた。
その直後やった。
神楽が、すっと自分の腹に手を当てる。
『ここにもおるでぇ。あんた、忘れてへんやろなぁ』
とは……言うてへん。
何も言うてへんのに、その仕草だけで、俺には十分すぎるほどの圧が伝わってくる。
「あーっ、ウガンダ警部補だぁ」
背後から、「あの」聞きたくない声が聞こえた。




